源煌寺の会盟① 凱旋と手紙

近江国・寺倉郷。


11月30日の昼過ぎ、俺は領民兵や傭兵400を率いて寺倉郷に凱旋した。既に伝令を送り、戦勝を伝えていたので、寺倉郷の北の砦には領民兵の家族たちが総出で出迎えてくれた。


「皆の者、我ら寺倉軍は浅井家の鎌刃城を落とし、亡き父の弔い合戦に勝利した。すべては勇猛果敢に戦った皆の力によるものだ! 出迎えた家族たちに胸を張って誇るが良い! 勝鬨を上げよ! えいッ! えいッ! 応ッーー!!」


「「えいッ! えいッ! 応ッーー!!!」」


大きな勝鬨と共に、領民兵たちが拳を天に突き上げる。出陣前に檄を飛ばした時には悲壮な顔をした者ばかりだったが、今は誰もが誇らし気な笑顔に溢れている。そして、再会した家族たちと抱き合った領民兵たちは満面の笑顔に溢れていた。


だが、領民たちが凱旋に沸く片隅で嘆き悲しんでいる者たちが僅かにいた。10名ほどの領民兵が戦死したためだ。戦争で人死は避けられないことだが、すべては俺の責任だ。運ばれてきた遺体に縋り付いて泣き崩れる遺族を目にし、俺は掛ける言葉もなかった。


その後、俺は屋敷に向かうと、門の前で徳さんや弟妹が出迎えてくれた。


「母上、近時丸、阿幸。戦に勝利し、ただ今、無事に戻りました」


「正吉郎殿、無事の帰還を祈っておりましたよ。きっと蔵之丞様もお喜びでしょう」


「「兄上ぇぇーーー!!」」 


近時丸と阿幸は父に続いて俺まで死んでしまうのではないかと心配していたようだ。2人とも安堵の涙を浮かべて俺にしがみ付いてきた。


「私は大丈夫だ。必ず勝って、父上の仇を討つと約束したであろう?」


「「はい!」」


涙交じりの笑顔を返す2人を見て、俺は大事な家族を残して死ぬ訳には行かないと決意を新たにすると、屋敷の奥の間に向かった。俺にはまだ大事な用事があるからだ。


「父上、鎌刃城を落とし、父上の弔い合戦に勝利しました。仇の浅井左兵衛尉を討つことは叶いませなんだが、父上の無念を晴らすことができました。私は父上の遺志を継いで寺倉家を守って参ります。どうか天上から見守っていてください」


俺は仏壇の前に座り、亡き父の位牌に手を合わせて初陣での戦勝を報告した。天国の父もきっと喜んでくれているだろう。


その後、夕方からは祝勝の祝宴が盛大に開かれ、大広間は夜更けまで賑やかな声で盛り上がった。




◇◇◇





翌12月1日の午前、俺は今後の寺倉家の方針を定めるため、臨時の評定を開いた。まず、寺倉家の本拠地を鎌刃城に移すことを決定し、近日中に引っ越しを行うよう準備を指示した。それと同時に、移民受入により飽和気味だった寺倉郷の領民たちに、鎌刃城下の町へ移住を募ることにした。


さらに、戦死した将兵の遺族が路頭に迷わないように遺族補償制度の整備を命じた。これは、昨日の凱旋の際に遺族が嘆き悲しむ光景が目に焼き付き、せめて遺族たちの生活を補償したいという俺の自己満足によるものだったが、家臣たちは「これで将兵が死を恐れずに戦うことができまする」と賛同してくれた。


「正吉郎様、失礼いたします。浅井家から文が届いておりまする」


評定の終わった昼過ぎ、勘兵衛が一通の手紙を持って自室に入ってきた。


「何? 浅井から?」


俺は眉を顰める。このタイミングで浅井家から手紙が届くというのは、鎌刃城を奪ったことへの抗議だろうな。


「はい、浅井家の使者は正吉郎様が鎌刃城から帰還したと聞いて、急いで寺倉郷にやって来たとの由にございます」


「だが、すぐに兵を集めて攻めてくると思いきや、文を送ってくるとは不可解だな」


俺は訝しく思いながらも受け取った手紙を開くと、そこには驚くべき内容が書かれていた。


『そもそも此度の一連の件については、当方に大きな非があり申す。ついては現状を維持する条件での和睦ならびに同盟の密約を結びたく存ずる。同意いただければ、指定された場所へ出向きまする』


「なっ、和睦と同盟の提案、だと!?」


書面には和睦だけでなく、同盟を結びたいとある。注目すべきは『一連の件』は浅井家に非があると認めている点だ。それに、『現状を維持する』という文言は、寺倉家の鎌刃城の所有を認めるという意味に他ならない。


「浅井に原因があるとは言え、格下相手に頭を下げて同盟まで結ぼうなどとは……。何かの策略ではございませぬか?」


俺から手紙を受け取って一読した勘兵衛が、当然のように疑ってかかる。


「いや、むしろ策略と疑われないために此方に出向こうという意味だと取れる」


俺は見落とした点がないか、もう一度精読すると、最後に書かれた名前に気が付いて目を瞠った。


『浅井新九郎賢政』


「浅井家の当主が……変わっているだと?!」


浅井賢政とは史実の浅井長政の初名だ。長政の家督相続は、史実では2年後の「野良田の戦い」の後に家臣のクーデターにより久政が隠居させられ、長政が擁立されたことによる。


だが、父の暗殺を知った賢政が久政を隠居に追いやったか、それとも久政が責任を感じて自ら家督を賢政に譲り渡したか、いずれにしても先日の叛乱失敗の直後だ。武力による政変ではなく、平和裏に当主交代を果たしたと考えるのが妥当だろう。


鎌刃城を奪ったのが当主交代の前か後かは不明だが、賢政も新当主に就いたばかりで、寺倉家とは戦うよりも味方に付けた方が得策だと考えたのだろうな。そう考えれば、格下相手に低姿勢な手紙の内容も納得が行く。


しかし、よく考えてみると、俺が内政改革と軍備増強を進めたことにより、六角義賢が父の暗殺を企んで浅井久政に実行させ、その結果、史実より2年早く久政から賢政に当主が交代した。


つまりは賢政の当主就任は、俺の影響により史実が改変された結果ではないか? 賢政が当主に就いたことにより、今後ますます史実との乖離が大きくなっていくのは間違いないだろう。


「父親の業を背負う浅井新九郎殿も若年ながら立派にございますな」


勘兵衛も賢政の姿勢に感心したように言う。


確かに、父親の罪を浅井家の非として認め、和睦を申し出た賢政の態度は、六角義賢に爪の垢でも煎じて飲ませたいくらい立派だ。確か俺の1つ年下のはずだが、賢政は聡明かつ善良な精神を備えた人物で、後世に伝わるとおり文武に優れた勇将なのだろう。


そんな賢政と戦っても俺の策が通じるとは限らない。ましてや北近江を治める浅井家は寺倉家より遙かに強大な大名だ。一介の国人に過ぎない寺倉家でも浅井家相手に必ず勝てると思うほど、俺は自信家ではない。


それに加えて、そもそも今回の戦は浅井久政個人への私怨だ。だが、その久政が当主から退いたからには、父の仇討ちという大義名分が失われてしまった。意地を張って浅井家とこれ以上戦っても領民たちを無駄死させて、昨日のような遺族を増やすだけだ。


そうだ、父と約束したではないか。俺が何より守らなければならないのは、家族と家臣と領民たちだ。その命を危険に晒してまで仇討ちに拘っていては、父も決して喜ばないはずだ。


その考えに至った途端、父の死以来ずっと血が上ったままだった頭が急激に冷め、俺は冷静な思考を取り戻していった。

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