鎌刃城夜襲③ 旧友

新庄久基は城下に居館を構えていたが、「高宮の戦い」の後、鎌刃城の整備に専念していた久基は、鎌刃城に逗留して一夜を明かしていたのであった。もし久基が城に詰めていなければ、寺倉軍は夜陰に乗じて裏口から大将不在の鎌刃城を容易に制圧していたであろう。


「それは此方の台詞よ、次郎左衛門。此度の戦はお主の主・浅井左兵衛尉が、我が主君・寺倉蔵之丞様を暗殺したが故の必然が引き起こした弔い合戦よ」


「なっ、戯けたことを申すな。浅井家は再び六角家に従属したのだぞ。左兵衛尉様が味方を弑する道理があるはずもなかろう。第一、私は何も聞いてはおらんぞ」


「左兵衛尉は六角左京大夫に脅された後ろめたさがあるのだ。家臣に伝えるはずもあるまい。次郎左衛門、それでも大人しく城を明け渡さぬと申すか?」


「そも、私は左兵衛尉様にこの城を任された身だ。事実とあっても言われるままに城を明け渡すはずなどなかろう」


「ならば旧知の仲なれど、いざ尋常に勝負!」


久秀は槍を持って久基に一騎討ちを挑んだ。対する久基も槍を構える。


だが、一騎討ちは武芸に長けた久秀に圧倒的に有利であった。猛将と呼ばれる久秀の卓越した槍捌きに対して、特に武芸に長けている訳でもない久基は劣勢に立たされる。


「どうした、次郎左衛門。貴様の槍はこの程度か!」


頭が切れる久基は浅井家中でも指折りの優秀な文官だが、基本的には温良恭倹な気質である。それでも久基は、負けじと気迫を以て久秀に恐れず向かっていき槍を振るう。そして鎌刃城の隅々まで把握していた彼は、段差や傾斜の激しい鎌刃城の地形を巧みな身の熟しで久秀の槍を防ぎ続けた。


「お主は甘いな、源四郎! お主の腕であれば、私など一突きで倒せるはずだ! 敵である私に情けを掛けておるのか? それは私に対する侮辱だぞ!」


久基が指摘したとおり旧友という間柄が久秀を無意識に手加減させていた。今は敵同士だと分かっていても、久秀はどうしても久基を仕留めることができなかった。


「くっ、これ以上手間取っていては陽動した意味がない。一旦退くぞ!」


久秀は歯噛みしながらも、別働隊に撤退を命じるのだった。




◇◇◇




「申し訳ございませぬ。まさか新庄遠江守が城に詰めているとは知らず、主郭を落とし損ねました」


「気にするな。私も簡単に落とせるとは思ってはおらぬ。新たな策を練れば良い」


気落ちして頭を垂れる久秀に、俺は自信ありげに告げた。やはり旧友と戦えば実力を発揮できないだろうと、俺は久秀が失敗した時の策は考えていたのだ。


別働隊の主郭への到達には失敗したものの、2つの陽動部隊は虎口の城門を打ち破り、堀切を突破していた。特に西の尾根の守りは予想以上に薄かったため、松笠勘九郎の率いる部隊が主郭手前の門に辿り着いた。


「しかし、いかがいたしまするか?」


久秀は脂汗を額に浮かべて視線を落とした。先ほどの失敗がかなり堪えているようだ。


「まだ夜明けまでは時間がある。敵からは此方の姿は見え辛いが、此方からは松明の光で人影がよく見える。鉄砲隊に敵兵を一人ずつ狙撃を分担させ、狙撃するのだ」


ここでいよいよ鉄砲隊の出番だ。鉄砲隊は一斉射撃の弾幕ではなく、郭や門の上にいる敵兵を狙うのだ。弾が飛んでくる方向がバラバラであれば、敵も混乱するはずだ。


「私は新庄遠江守を狙う。源四郎、もはや敵に情は掛けぬぞ。良いな」


「はっ、承知しておりまする」


近くの木に登った俺は、主郭で軍配を掲げて将兵を鼓舞する新庄久基の心臓付近に狙いを定めると、得物の引き金を引いた。




◇◇◇




「ダーン」、「ダーン」「ダーン」「ダーン」「ダーン」……


正吉郎の放った射撃音を合図として、鉄砲隊の狙撃が続いていく。正吉郎の撃った銃弾は久基の左肩を見事に撃ち抜いた。久基は身体の均衡を崩し、地べたに倒れ込んだ。


「今だ! 畳み掛けろ!!」


正吉郎は腹の底から将兵を鼓舞する声を張り上げた。生死は不明だが、敵の大将が撃たれたのだ。死んではおらずとも、煩雑な戦場においてそれを判断する術はなく、死んでいると喫驚してもなんら不思議ではない。当然ながら士気は底を突く。今が最大の好機であった。


そして、まもなく門が突破されると主郭が制圧され、鎌刃城は落城した。痛みで気を失っていた久基は捕らえられた。


「皆の者! 我らの勝利だ! 勝鬨を上げよ! えいッ! えいッ!応ッッ!!!」


ーーえいッ! えいッ! 応ッ!!!


寺倉軍の将兵から勝利の雄叫びが上がったその時、夜明けの曙光が勝利を祝福するかのように正吉郎の頬を微かに撫でる。晩秋の肌寒い黎明の刻、東の稜線を眩く照らす光は寺倉家の未来を示すように金色に輝いていた。




◇◇◇




「左兵衛尉様が寺倉蔵之丞様を暗殺したとは信じられませぬ」


後ろ手を縛られた新庄久基は開口一番そう告げた。


「新庄遠江守殿、誠に浅井家から何も伝えられてはおらぬのか?」


「神仏に誓って、源四郎殿から初めて知らされた次第にございまする」


(どうやら嘘ではないようだな。暗殺は不名誉な行為だ。おそらく浅井久政は家中に隠しているのだろう)


「おそらく、浅井左兵衛尉殿は六角左京大夫に脅かされたのであろう。左京大夫にとっては商いで名を挙げ、軍備を整える寺倉家は目障りな存在だったのだろう。そのような私情のために父上は……う、うっ」


父が亡くなった日、二度と泣かないと心に誓った正吉郎だったが、気がつくと嗚咽を漏らしていた。


久基は正吉郎の様子を見て、その言が真実だと信じるに至った。そして、武士の誇りを失った主君・浅井久政に対する忠誠心が消え去った。


「よもや左兵衛尉様がお味方に手を掛けるとは……、たとえ脅されようとも決して許されませぬ。さすがに私も愛想が尽き申した。かくなる上は主君に代わって腹を切ってお詫び申す。短刀をお貸しくだされ」


だが、正吉郎は首を左右に振り、説くように口を開いた。


「親に授かった命を粗末にしてはならぬ。愚かな主君の罪を家臣が償うなど、貴殿の命が勿体なさ過ぎる。心の臓を狙った銃弾が左肩に逸れたのは、まだ生きてこの世で為すべきことを為せ、と神が命じている証だ。……故に浅井家臣だった貴殿は一度死に、今新たに生まれ変わり、これからはこの寺倉正吉郎蹊政に仕えてはみぬか?」


「……ですが、浅井左兵衛尉様は健在にございます故、私はいつ裏切るとも知れぬ身。正吉郎様が信を置くには値しませぬ」


「ふっ、本当に信用できない男ならば、自ら裏切るかもしれないなどと申すはずはなかろう。源四郎、遠江守はこう申しておるが、如何思う?」


「はっ。遠江守は信義に篤い男にございますれば、浅井左兵衛尉に愛想が尽きたのならば、正吉郎様を裏切ることなどあり得ませぬ」


「源四郎はこう申しておるぞ。もう一度言おう。遠江守殿、私に仕えぬか?」


「それほどまでに……誠にかたじけなく存じます。そう仰るならば、某を寺倉家の末席に加えさせていただきまする」


「そうか。では、貴殿が生まれ変わった印として新しき名を授けよう。貴殿の出自は坂田郡北庄の堀村だそうだな。では、これより『堀』の姓を名乗るが良い。そして、浅井左兵衛尉の偏諱である『久』を捨て、我が父・蔵之丞の『秀』を偏諱として授ける故、『堀遠江守秀基』と名乗るがいい。良い名であろう?」


「ははっ、勿体なくも素晴らしい名をいただき、誠にかたじけなく存じます。堀遠江守秀基、この命果てるまで寺倉正吉郎様に誠心誠意お仕えいたします! これより『秀』の字は堀家の通字とし、末代までこの御恩を伝えまする」


こうして正吉郎に忠誠を誓った堀秀基は、寺倉家の柱石として重責を担うことになるのであった。

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