鎌刃城夜襲① 覚悟

寺倉郷に悲報が伝えられた翌日。しとしとと冷たい涙雨が降る中、寺倉家の菩提寺である源煌寺では、俺が喪主となり、父・寺倉蔵之丞政秀の葬儀がしめやかに営まれた。


家族や家臣だけでなく、多くの領民たちも悲しみを共有し、父の冥福を祈って葬儀に参列してくれた。普段は大勢の人で賑わう参道の商人街も今日ばかりは喪に服し、閑散として静まり返っている。


しかし、葬儀の裏では平行して、屋敷では浅井領侵攻に向けた準備が慌ただしく進められ、傭兵や領民兵が急ピッチで集められていた。寺倉家は4年前から兵農分離を進めてきており、出陣を予定する500の兵は先日の「高宮の戦い」で集めた兵200に加えて、追加で300の兵を集めなければならないのだ。


ただ、寺倉郷で働く傭兵が多いとは言っても、さすがにあと50人集めるのが精々だ。そうなると、残りは領民兵となる。この戦国時代の兵力は1万石の石高に対して250人が目安だ。寺倉郷の石高は塩水選と正条植えにより5千石ほどに増えてはいるが、それでも兵力は125人で300人には全く足りない。


だが今回は父の弔い合戦だ。父を殺した実行犯である浅井久政に正義の鉄槌を下すための聖戦であり、さらには寺倉家が六角家の傘下から独立を果たすための独立戦争でもある。今回ばかりは非常事態の戦時特例措置として、俺は60歳以上の老人や病人、怪我人を除く寺倉郷の成人男性全員を召集する臨時徴兵令を発令した。


俺は子供や老人以外の領民の男たちを死の危険のある戦場に駆り出す罪悪感に苛まれたが、これを知った領民のほとんどは父の弔い合戦だと知り、喜んで参陣に応じてくれた。中には60歳以上ながら志願する老人もいるそうで、何とか500の兵を集める目途がつくに至った。


だが日頃から厳しい訓練をしている常備兵とは違い、領民兵たちの錬度は決して高いとは言えず、烏合の衆と言えるかもしれない。それでも低い錬度を補って余りあるほどの高い士気と団結力がある。俺も今回の戦が初陣となるが、決死の覚悟で共に戦うつもりだ。


今回の出陣はあくまで六角家や主家の蒲生家には内密な極秘作戦だ。兵を緊急に召集しているのをもし六角家にでも知られれば、六角義賢は『寺倉家に謀叛の疑いあり』という絶好の大義名分を与えてしまい、義賢が大喜びして寺倉討伐の兵を送って来るのは間違いない。


寺倉郷はモノと情報が行き交う活気のある商人の街となりつつあり、長い間の情報統制は難しいだろう。したがって、慌ただしく葬儀が営まれている間に、葬儀を隠れ蓑として迅速に出陣の準備を整え、早急に攻め込まなければならない。


もちろん、寺倉軍500が乾坤一擲の戦いぶりを見せたところで、浅井家の小谷城に正面から当たっても勝ち目はゼロだ。そこで狙うのは、坂田郡東部にある山城の鎌刃城だ。


いくら声高に責め立てようとも、父を殺したのはあくまで浅井久政だ、というのが六角家側の姿勢のはずだ。これを崩すとは思えない。そんな中下手に本来なら味方である六角家の所領を攻め取りでもすれば、地道に高めた寺倉家の名声を地に落とす事になりかねないし、この時代で「六角義賢が浅井久政に命じて寺倉政秀を始末させた」という証拠を出せるはずもない。本人が口を割らない限りは、証明など不可能である。


それを知る蒲生定秀も、義賢を失脚に追い込む手札にはできても、六角家を積極的に害する行いをするとも思えない。隠居を迫って新たな当主を据えるくらいが関の山だ。三好の動向にも目を光らせなければならない。


なんにせよ、六角家を攻める正当性を持ち合わせていないのが現状であった。それに対して、浅井を攻めるのならば六角の反感は買おうとも、世間の理解は得られる。何といっても当主が弑逆されたのだからな。父の死を利用するようで胸が苦しいが、同情する者は多いはずだ。


故に高宮の戦いで安堵された浅井領の端部に位置する鎌刃城を標的と定めたわけだ。それだけではない。他にも理由はある。


鎌刃城のすぐ北には東山道が通るため、浅井家にとって鎌刃城は戦略的要衝である。鎌刃城を奪われるのは軍事的にも経済的にも大きな痛手になるという立地的要素に加え、鎌刃城は湖北最大の堅固な山城として知られている。寺倉郷の南北の街道には砦を築いたが、精々関所に毛の生えたレベルであり、防御力はお世辞にも決して高いとは言えない。六角家が本腰を入れて攻めて来れば一溜りもないだろう。


したがって寺倉家が六角家の傘下から独立するためには、やはり本拠地となりうる城、それも防御力の高い山城が必要だと考えた。史実で浅井長政と織田信長の熾烈な戦いが行われた城である鎌刃城ならば、たとえ籠城戦になっても数ヶ月は持ち堪えることができるだろう。


また険しく曲がりくねった山道ではあるものの、寺倉郷のある板ヶ谷から鎌刃城には山中で林道が通じている。浅井家に動きを察知されずに行軍できる可能性が非常に高いという点も大きかった。狭い山道の行軍には兵500の少人数なのは却って好都合となる。


ルートは大杉林道から五僧峠の西を抜けて権現谷林道へと至り、その先の武奈林道へと折れる道程だ。このルートを辿れば、鎌刃城の死角である山の南側から攻めることができる。


さらに、鎌刃城は先日の叛乱で浅井家が六角家から奪還したばかりの城だという要素もある。六角家から奪った際に鎌刃城の城壁や城門は傷を負い、修復も十分ではないはずだと見ている。浅井家は敗戦の戦後処理で手一杯で、鎌刃城に詰める城兵はまだ少なく、戦の備えなど碌にできているはずもない。まさか六角家傘下で味方であるはずの寺倉家が攻めて来るとは、夢にも思っていないに違いない。


そんな難攻不落の要衝である鎌刃城を500の兵で落とすのは正攻法では不可能だし、たとえ落とせたとしても将兵に大きな損害が出てしまうのは確実だ。


将兵の損害を極力少なくして城を落とすには奇襲しかない。それも夜襲だ。兵数において勝機が少ない場合に用いられるのがこの戦術であり、相手が予想していない場所を、敵兵の気が緩んだ真夜中に攻め込む作戦になる。


しかしながら、たとえ敵の隙を突く夜襲は言っても、勝つのは至難を極める。一晩の内に落とせなければ、すぐに浅井の援軍が駆け付け、この作戦は失敗となる。だが負ける気など毛ほどもない。


俺は心に決めたのだ。必ずや父上の無念を晴らすと。チャンスは一度だけだ。たった一度の戦いに、俺は己の持ちうる全てを賭け、この手に勝利を掴んで見せる。




◇◇◇




「正吉郎様。今、宜しいでしょうか?」


「ああ、構わぬ」


葬儀の翌日の夕方、板障子の向こうから勘兵衛の声が掛かった。緊張感からか、俺の声が掠れているのが自分でも分かった。


「初陣というのに落ち着いておられますな」


「そのように見えるか? これでも掌には汗が滲み、先ほどから武者震いが止まらぬのだぞ」


「正吉郎様は初陣、ましてや大将でございます故、緊張するのは当然にございます。蔵之丞様は生前、『寺倉の名は一躍広まったが、砂上の楼閣が如くどこか危ういところがある』と仰っておられました。これより先は茨の道にございます。浅井家、六角家だけでなく、主家である蒲生家をも敵に回します。もはや後戻りはできませぬ。努々お忘れなきよう」


勘兵衛は俺に覚悟を促したのだろう。勘兵衛の言うとおりだ。弱小国人の寺倉家が浅井家、六角家という近江の大大名に刃を向けるのだ。敗れれば即ち死が待っている。怖めず臆せずの青二才のままではいられない。勝たねばならぬのだ。事ここに至っては若さや未熟さなどは言い訳に過ぎない。俺は鎧に身を固め、一軍の大将としての峻烈な風格を纏わんと、気を引き締めた。父から受け継いだばかりの寺倉家を俺がすぐに滅ぼす訳にはいかない。


「良い顔をしておられますな」


「ありがとう。勘兵衛にはいつも世話を掛けてばかりだな」


この後は重臣たちとの軍議と出陣の儀式だ。15歳と言えども出陣には大将の俺が檄を飛ばして、将兵の士気を高めなければならない。俺は俺のすべきことを為すだけだ。

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