鳳雛の決起

蒲生家の伝令はその後、蒲生定秀からの手紙を俺に渡した後、しばらく休憩してから帰路についた。


定秀からの手紙には、六角義賢が浅井久政の護送の護衛役として、一介の陪臣にすぎない父を名指しで定秀に命じてきたこと、そして、父が殺害されたとの一報に際して、義賢が微かに憫笑を浮かべたことから、義賢が浅井久政を脅迫して父を殺させた黒幕であるのは間違いなく、自分の家臣である父を暗殺した義賢は不当な権利侵害であり、断じて許しはしないと断固とした言葉で書かれてあった。


そして手紙の最後には、定秀が自分の家臣である父を義賢の謀略から守ることができなかったことに、主君として心から謝罪するという誠実な言葉が書かれてあった。この謝罪の文を読むだけでも、六角義賢とは全く月とスッポン、 提灯に釣り鐘だ。


「……まさか、暗殺されるとはな」


俺は周りに聞こえない程度の消え入るような声で呟く。ただ父の暗殺は軍備強化を推し進めてきた俺の責任でもある。俺の中では俺自身が狙われるかもしれないという不安は、少なからず渦巻いていた。


だが、まさか父の身にまで危険が及ぶとは考えもしなかった。今になってよく考えれば、寺倉郷を発展させたのは寺倉家の当主である父の手腕によるものだと考えれば、真っ先に父を排除するのが常識的な手段なのだろう。もっと早く気づいていれば父の命を救えた可能性があると考えると、俺は自分を責めずにはいられなかった。


いずれにしても父の暗殺の首謀者は六角義賢だと判明した。義賢は自分の地位を脅かしそうな存在は叩き潰そうとする、狭量な性格の持ち主だ。急速に発展し、軍備を強化し始めた寺倉家を、たとえ陪臣と言えども見逃すはずがなかったのだ。


俺は義賢とは直接対面したことはないが、蒲生定秀から送られてくる手紙から義賢の性格は把握できていた。親の七光りの権力を自分の実力だと勘違いし、権力を振りかざして驕り高ぶるという虚栄心の旺盛な傲慢な当主だ。


だが、義賢は蒲生家の家臣である父を直接罰することはできない。そこで自分の手を汚さない代わりに、浅井久政という絶好の駒を使って生意気な存在である父の暗殺を目論んだに違いない。浅井久政は義賢に命じられ、拒むことができなかったのだろう。


本来ならば丸腰のはずの久政が刀を奪って父を殺して逃げたのだ。「誰か」の助けなしには絶対成し得ないはずだ。義賢が浅井家の存続を条件として久政に父の暗殺を命令し、義賢の家臣が手を貸したとすれば、全ての辻褄が合う。


たとえ脅迫されて仕方なく実行したとしても、心から反省し、面前で真摯に謝罪されない限りは久政を許すつもりもない。そんな未来があるとは今は到底思えないが。


俺は決心した。必ずや六角義賢と浅井久政に大きな報いを与えて父の無念を晴らし、父の愛した寺倉郷をさらに繁栄させ、領民たちの平穏を守ると。そのために必要とあれば、自衛だけでなく先制攻撃も厭わないつもりだ。


これまでは領地拡大なんて微塵も考えたことはなかったが、父の死で考えが変わった。この乱世は亀のように守っているばかりでは生き抜くことなんてできない。下剋上すら自らの血肉とする覚悟が必要なのだ。





◇◇◇





朝に父の訃報が届き、俺が決意を固めている間に、父の死は瞬く間に領内に広まり、昼頃には家臣たちが続々と大広間に集まってきた。屋敷で一番広いはずの大広間が狭く感じるほどの人が集まったが、皆の顔は一様に不安に包まれているのが見て取れた。


そして、皆の目は熱い期待を以って"神童"と名高い次期当主の俺に向けられており、俺はこれまで父が座っていた上座に座ると、凛とした声で告げる。


「皆の者。既に聞いているだろうが、昨日父上がお亡くなりになられた」


俺の言葉に皆は一様に沈痛な面持ちを浮かべ、中には泣き崩れる者もいた。家臣が悲しみに暮れるのは愛されていた証拠だ。父は皆に慕われる"名君"だったのだ。そのことに嬉しく思いながらも、俺は言葉を続けた。


「父上は先日の戦で捕虜となった浅井宮内少輔の手に掛かり殺された。……だが、浅井宮内少輔を脅かして父上を殺させた本当の首謀者は、六角左京大夫である。俺は左京大夫諸共決して許しはせぬ! 草の根を分けてでもその報いを必ず受けさせて見せようぞ!」


皆は父を殺した首謀者が六角義賢だと知り、一様に目を見開いて驚いた。


「だが、心配は無用だ。寺倉家の当主は俺だ! これからの寺倉家が進むべき道は、この俺が指し示す! この寺倉正吉郎蹊政がいる限り、寺倉家は安泰だ。 俺を信じて付いて来るという者は、今ここで拳を天に突き上げろ!」


俺はできる限りの威圧を込めて戦場で兵を鼓舞するかのように叫びながら拳を突き上げた。すると、先ほどまで沈滞していた大広間の雰囲気を一変させた俺に、皆は驚きながらも俺の檄に条件反射するかのように拳を突き上げた。


「応ッッッッッ!!!!」


俺の視界には拳を上げない者は一人も見当たらなかった。ボルテージは一気に上がり、大広間は異様な熱気に包まれた。さながら鬨の声か地鳴りのような大音響が俺の腹に轟いた。


「では明日、父上の葬儀を執り行う。同時に至急、兵500を集めよ。明後日出陣し、浅井領へ侵攻する。父上の弔い合戦だ! 六角家の顔色を窺うのは今日で終わりだ。寺倉家は六角家の傘下から独立する。俺がいる限り、寺倉家は負けぬ。絶対にだ!」


俺は一時の感情だけで無謀な妄言を吐いた訳ではない。先日の「高宮の戦い」で常備兵と領民兵、追加で雇った傭兵を合わせて200の兵が領内にいるが、後2日で何とか兵500を集めたい。最悪は領民の男を根こそぎ徴兵してでも揃えるつもりだ。


近江を制する者は天下を制す。今は天下など大仰なことを言える立場ではないが、俺の心の中に固い決意が確かに芽生えたのだ。六角家と浅井家という仇敵を討ち果たし、この近江に安寧と静謐をもたらす。そんな夢物語のような大きな目標が俺の脳裏にはっきりと形取られた。


茨の道だが、決めた以上はもはや立ち止まる訳には行かない。もちろん御家断絶のリスクもあるが、リスクを取らずしてリターンはない。義賢の卑劣な罠によって殺された父の無念を慮れば、皆も居た堪れないだろう。


「はっ、すぐに戦の支度を整えまする!」


家臣たちは俺の淀みのない力強い意志の籠った目を見て頷くと、声を張り上げた。家臣たちの目は真っ直ぐ俺に向けられ、新たな主君である俺への期待がひしひしと伝わってくる。勘兵衛に至っては「正吉郎様、ご立派になられて……」と呟きながら、頰に涙で濡らしていた。


(必ずや、父上の無念は晴らしてみせます。どうか天から見守ってください!)


そんな家臣たちの期待を嬉しく思いながら、俺は父の無念を雪辱しようと強く拳を握り、天上の父に誓いを立てるのだった。

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