暴君の愚計③ 悲報

「左様ですか。……某の天命もここで尽きるのですな」


政秀は達観したような遠い目で今日までの人生を振り返るかのように呟く。その言葉には様々な思いが込められているのが感じ取れたが、久政に窺い知ることはできなかった。


「愚劣な左京大夫は……、必ずいつか私の手で倒してみせると約束しよう。貴殿のためにも、あ奴だけは絶対に倒さねばならぬ! あ奴は乱世の膿だ!」


久政は再起を誓う強い意志を目に込めて政秀の目を見つめた。たとえ根拠がなかろうとも諸悪の根源たる六角家を討ち倒す決意を示さなければ、罪の意識から自分が押し潰されてしまいそうだったからだ。


「浅井様、復讐など些細なことに過ぎませぬ。某は家族や家臣、領民たちさえ無事ならば、何も要らぬのですよ。某が死んでも寺倉家は嫡男の正吉郎がいる限り大丈夫です。信頼する家臣たちが必ずや支えてくれるでしょう。ですから某は何も案じることなく逝けまする。唯一の心残りと言えば孫の顔が見られなかったことですかな」


政秀はそう言って無邪気な笑顔を見せる。その笑顔は家族の将来を憂う真の父親としての顔であった。決して虚勢を張っている訳ではない、本心からの言葉であるのは見て取れた。


政秀の慈愛に満ちた仏のような表情を目にした久政は、浅井家中では親子が対立している現実もあってか、堪え続けてきた感情が溢れ出してしまう。


「う、ううっ……。家族を憂い、家臣を信じ、民を思う貴殿を手に掛けるなど、如何なる理由があろうとも決して許されるものではない。私は地獄に落ちても構わぬ。だが、必ずや憎き六角義賢を打ち倒して見せる故、どうか勘弁してくれ!」


久政の目から堪えようのない大粒の涙が次々と地面に零れ落ち、爪が掌に食い込み、血が滲むほど強く拳を握りしめ、嗚咽を漏らしていた。


「浅井様、復讐は何も生みませぬよ」


まるで父親が子供を諭すような穏やかな声が久政の耳に響く。


「さぁ、早く某をお斬りなされ。今日初めて会った某のために涙を流すことのできる貴方が、尊敬に値する方であるのは十分分かり申した。貴方の手に掛かるのであれば、某も心穏やかに逝けまする」


これから殺される政秀が、仇である六角義賢と自分に対して怨恨の情を一切見せないことがさらなる罪悪感を生み出し、自責の念が大きな波となって久政に襲い掛かる。


「ううっ……!」


年甲斐もなく久政は号泣した。武家の当主としては憚るべき振舞いではあったが、どうしても一人の人間として感情を抑えることができなかったのだ。


涙と鼻水に塗れた顔を拭いながら、丸腰の久政は政秀の腰の刀を抜くと、刀を持つ両手は小刻みに震えていた。


「御免!!」


そして、奥歯を噛み締めながら一切の雑念を振り払うかのように肩の上に振りかぶると、意を決して刀を振り抜いた。




◇◇◇




久政は政秀の首を刎ねた後、合掌して政秀の冥福を祈りながらも涙が止まることはなかった。


未の刻(午後2時)、船が江北の尾上浦の湊に到着し、待ち受けていた甲賀衆に政秀の遺体を引き渡した。


既にここは浅井家の領地である。少しでも気を緩めれば、取り返しのつかないことをしたという罪悪感に我を失いそうな気がして、久政は顔を強張らせながらも浅井家当主として毅然とした態度を貫き通した。


「お主に一つ頼みがある。寺倉殿の遺体は淡海に沈めて構わぬが、首だけは寺倉家の家族の元へ送り届けてもらいたい」


「分かり申した。浅井様がどうしてもと仰るのならば、首は寺倉家へ送り届けましょう」


「では頼んだぞ」


久政は言葉少なく背を向けると、小谷城へと戻っていった。




◇◇◇




近江国・観音寺城。


その日の夕方、観音寺城で重臣たちと晩餐を楽しむ六角義賢の元に、小谷城に送還した浅井久政の護衛役を務めた寺倉政秀が、久政に殺害されたとの一報が届けられた。


「な、何? 蔵之丞が殺されただと!?」


政秀の主君である蒲生定秀は予期せぬ報せに仰天する。だがその時、上座に座る義賢の口角が一瞬僅かに上がるのを見逃さなかった。


(これが貴様の狙いだったのか! 卑怯にも浅井を使って儂の家臣を殺させるとは武士の風上にも置けぬ奴め。絶対に許せぬ。いつか必ずその命を以って償わせてやるわ)


真相を察した定秀はギリギリと奥歯を噛み締め、自分の家臣を私情によって胸三寸で暗殺した主君に殺意を抱く。もっとも、事前に聞いていれば真っ先に止めに入ってはいたが。寺倉家は今後の蒲生家の心強き味方になると踏んでいただけに、無念は尽きなかった。


(正吉郎には蔵之丞を見殺しにしてしまったことを詫びねばなるまいな)


父を亡くした正吉郎がどのような行動に出るのか。確実に恨みは抱くだろう。蒲生に刃を向けてくるかもしれない。そうなる前に弁明すべく、至急文を認め、寺倉家へと使者を送った。




◇◇◇




近江国・寺倉郷。


その報せが届いたのは、朝食を食べ終わった直後の一服していた時であった。部屋の板障子を開け、勢いよく入ってきたのは蒲生家の伝令兵だった。


「火急の報せにございまする!!」


その緊迫した声からは先日の浅井家の叛乱以上に、只事ではないことが感じられた。伝令兵は俺の前で膝を折ると、息も絶え絶えの様子で、肩は大きく上下している。尋常じゃない慌てようだ。おそらく未明から馬で駆けどおしだったのだろう。


「な、何事だ」


動揺を隠そうと努めるものの、俺の声は震えていた。案の定、俺の嫌な胸騒ぎは最悪の形で的中した。


「く、蔵之丞様が、浅井左兵衛尉の手によって、……討死なされました!」


その報せを聞いた瞬間、部屋の中は凍ったようにシーンと静まり返った。面々は一様に銅像が如く凍りつき、寂寞とした表情を覗かせている。俺自身、言葉の意味を理解するのに10秒ほど間が空いた。


「父上が……討たれた、そう申したのか?」


俺は息が詰まりそうになるのを必死に堪え、何かの聞き間違いだと祈りつつ聞き直す。


「はい。蔵之丞様は捕虜となった浅井左兵衛尉を送還する護衛役を命じられ、昨日、淡海を小谷城に向かう船上で、浅井左兵衛尉に刀を奪われ、討死なされたとの由にございます。蔵之丞様の首だけが送り返されました。此方にございまする」


伝令兵も俺を前にして冷静な報告に努めているが、肌寒い晩秋の朝なのに顔には大粒の汗が噴き出している。そして、徐に背後から首桶が俺の前に差し出される。


俺は嘘であって欲しいと願いながらも、恐る恐る首桶を開けて中を覗き込むと、そんな淡い期待は粉々に砕かれた。俺は屋敷の奥に住む家族に父の死を伝えると、徳さんも弟妹も嗚咽を漏らし続けていた。父には心労をかけた。これでは風樹之嘆ではないか。


「蔵之丞様が亡くなられただと? 何故だ! 戦には勝ったではないか!」


「六角家に領地を召し上げられた腹いせか!」


「浅井左兵衛尉め!そこまで卑劣な男であったか!」


やがて政務のため屋敷に出仕してきた家臣たちが父の死を知ると、家臣たちの勁烈な怒号が屋敷内を飛び交い始めた。


率直に言えば、俺はまだ当主としての器量に欠けると自己評価している。しかし、確か父が出陣した時に最後に貰ったのは、『儂がいなくとも、お前がいる限りは大丈夫だ。領内のこと、徳と近時丸、阿幸のことを頼んだぞ』という言葉だったと記憶している。


今から思えば、まるで遺言めいた言葉にも思えるが、紛れもなく俺が父と最後に交わした男同士の約束だ。いつまでも悲嘆に暮れたままでは、冥土の父に顔向けできない。父との約束を守り、俺が当主として寺倉家を、寺倉郷を守っていかなければならないのだ。

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