高宮の戦い① 鎮圧

「父上、私は如何すれば宜しいでしょう。いよいよ初陣にございまするか?」


「元服はしたが、此度の戦ではお前は出さぬ。今回は我らにとっても久しい戦であり、正直なところ何が起こるか分からぬ故、残念ながら初陣はまたの機会とする。それに斎藤家が万が一攻めてきた時に領民を率いる者が必要である故、お前には寺倉郷の留守居役を頼む。よいな、正吉郎」


俺はついに初陣かと、やる気十分で父に声を掛けたが、父は落ち着いた声で俺の目を見据えながらそう言った。


今回の戦は六角家が浅井家を鎮圧し、再び従属させるという戦いだ。浅井久政が浅井家の主導権を握っているということは、史実どおりに六角家が勝利を手にするはずだ。口には出さないが、正直なところ楽勝で終わるんじゃないかと予想している。


武家の嫡男である以上、遅かれ早かれ戦に出なければならないし、前世の記憶のある俺が血生臭い戦場を見たら気絶する恐れもあるので、少しでも早い内から実戦の経験を積んで、人死にや血の匂いに慣れておいた方がいいと思い、俺は初陣を望んでいたのだ。


だが、先ほど斎藤家が攻めてくる可能性を俺が指摘してしまったため、留守居役を任されるのは半ば覚悟していた。とんだ藪蛇だな。これで変なフラグが立ってしまい、本当に斎藤家が攻めてくるなんてことがなければ良いのだが。


「……左様ですか。残念ですが、父上の仰せに従います」


「うむ。お前にならば寺倉郷の守りを安心して任せられる。お前がいる限り、儂がいない間も大丈夫だろう。領内のこと、徳と近時丸、阿幸のことを宜しく頼んだぞ」


弟の近時丸は9歳、妹の阿幸は8歳になっている。俺は生まれてからすぐに亡くなった正妻の子で、弟と妹は後妻の徳さんの子で異母兄弟であるが、父は全く差別することなく、等しく愛情を注いでくれる。もちろん俺にとっても2人はとても可愛い大切な弟妹だ。


「はい、私は父上の留守の間、寺倉郷と家族を確と守ります」


先ほどの蒲生家の使者は俺にも手紙を置いていった。4年前に寺倉郷に来訪した後から、蒲生定秀は頻繁に俺に手紙を送ってきて、六角家の動向を逐一教えてくれているのだ。今回も父への出陣命令と同時に、わざわざ俺宛に情報を流すのだから、何か裏の思惑があるのは間違いないが、今はありがたく受け取っておくとしよう。


その手紙によると、浅井久政の叛乱を聞いた六角義賢はかなり立腹したらしく、蒲生定秀ら「六角六宿老」に八つ当たりするかのように怒鳴り散らしたそうだ。やはり六角義賢はかなり短気な性格のようだな。


翌朝、屋敷の前には、馬に乗った鎧武者姿の父が率いる大勢の将兵の姿があった。


「では正吉郎、徳、近時丸、阿幸、行って参るぞ」


「「ご武運をお祈りしております」」


「うむ。では出陣じゃ!!」


「応ッッッッ!!」


勝つ可能性が非常に高いとは言っても、六角軍の将兵が一人も戦死しないはずはない以上、運悪く父が戦死しないという保証はどこにもない。俺は出陣する父の後姿を見送りながら、父の無事を祈った。



◇◇◇



永禄元年(1558年)11月19日。六角家が三好家と和睦した直後、六角家が戦続きで疲弊していると見た浅井久政は、一方的に六角家との従属関係を解消し、独立を果たすため挙兵に踏み切った。


浅井軍は坂田郡南部の地頭山城を攻め落とすと、六角義賢の侵攻により奪われた鎌刃城と菖蒲嶽城を奪還した後、太尾山城、磯山城、物生山城、丸山城、さらには六角家にとって北近江の要の城である佐和山城までも手中に収めた。


この浅井軍の攻勢を許した理由には、浅井軍の士気が極めて高かったのと、久政の見立てどおり六角家の兵の多くが三好家との戦で負傷や疲弊しており、迅速な兵の再招集ができなかったためであった。


そして、浅井軍5千は多賀大社に近い東山道の宿場町である高宮の地に陣を構え、六角軍の到着を待ち構えていた。


浅井家は六角家に従属していた間、六角家を後ろ盾にして国人衆を支配し、北近江の領国経営に専念することができ、いつか独立を果たす日のために力を蓄えていた。


隣国から軍事的圧迫を受けない浅井家にとって、畿内で大きな勢力を誇る六角家の傘下に入ったことは、むしろ正解だったのかもしれない。そのお陰で大きな経済基盤となる小谷城の増築にも繋がったと考えれば、久政の判断は正しかった部分もあると言えよう。


浅井久政は浅井家の衰退を招いたとして、後世では専ら暗愚な当主という評価を受けているが、確かに戦は不得手であったものの、治水や灌漑事業を進め、小谷城山上に六坊を築いて寺社政策を推し進めるなど、領国経営の面では一定の評価を与えられるだろう。


だが、浅井家中は配下の家臣の力が強く、一向に六角家から独立しようとしない久政に対して内心不満に思う家臣は多かった。だからこそ、史実では重臣らが優秀な嫡男の長政を担ぎ上げ、クーデターを起こしたのだろう。"敵は味方にこそあり"とはよく言ったもので、戦の火種は相手方ではなく味方にあることも少なくないのだ。


そして今回の久政の挙兵は、管領代として権力を握った六角定頼の死により六角家の勢威が衰え、さらに三好家との戦いで疲弊したところを攻め込むという、かなり合理的な考えであると言えた。


六角家の従属下に甘んじる現状に不満を持つ家臣たちの不穏な圧力を感じ取り、挙兵せざるを得ない状況に追い込まれた面もあったが、これで久政に戦の才能さえあれば、名君といっても差し支えなく、そう考えると久政には運がなかったようにも思える。


一方、六角軍の将兵たちは三好家との戦が終わったばかりの召集命令に不平不満を口にしながらも、浅井軍との圧倒的な兵数差から勝ち戦だと知ると、徐々に落ち着きを取り戻し、戦功を挙げようと士気を上げた。


それもそのはず、高宮の地に到着した六角軍の兵数は1万2千。浅井軍の2倍を優に超える戦力であった。対する浅井軍の将兵たちは六角軍との兵数差を目の当たりにして、これまでの勢いは何処へやら、完全に萎縮してしまったようだった。


先に攻め込んだのは六角軍だった。気の短い性格の六角義賢は、父・定頼の全盛期を見て育ったため我慢が苦手であり、何事においても痺れを切らすのが早かった。定頼が死んでから三好家との抗争でも劣勢に立たされることが多くなり、自分の思いどおりに事が運ばない今の状況に、義賢が隔靴掻痒の感を抱いていたのは間違いなかった。


浅井軍もすぐさま反撃し、緒戦は優勢だった浅井軍だったが、やはり多勢に無勢。徐々に数の差に押されていく。倍以上の兵数の六角軍に為すすべもなく、久政は追い詰められつつあった。


もし久政に戦の才能があれば、ここで知略と武勇を発揮し、奇襲により浅井軍を勝利へと導いたかもしれない。だが、そこにいたのは軍略や兵の指揮に関して"無能な"久政であった。退却の命令を出す判断も遅れ、浅井軍の本陣は四方を六角軍に包囲されてしまう。


「もはやこれまでか」


何も出来ずに討ち取られる無力な自分に対する哀れみと、浅井家が滅んでしまうことへの無念か。包囲された時点で諦念に身を任せていた久政に残されたのは、もはや武士として潔く切腹する自由だけであった。

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