将軍の帰洛と戦雲
年が明けて弘治4年(1558年)となり、俺は15歳になり、2月28日には昨秋の正親町天皇の即位に伴い、「弘治」から「永禄」に改元され、永禄元年を迎えた。
しかし、この改元により問題が起こる。改元は室町時代では朝廷が幕府と協議の上で行ってきた。たとえ将軍が洛外に亡命中でもそれは不変だったが、今回の改元は将軍・足利義輝を京から追放した三好長慶との相談だけで実施されたのだ。
近江の朽木谷に亡命中の足利義輝は、事前に朝廷から改元を知らされなかったため烈火の如く激怒し、改元を無視して「弘治」の元号を使い続けた。もし義輝が「永禄」を使用すれば、三好長慶が天下人だと認めることになるため、将軍としては当然の対応であった。
だが、征夷大将軍も朝廷の臣下である以上、朝廷が定めた改元を否定することは朝廷への反逆として朝敵認定されかねない行為であり、義輝は老獪な三好長慶の策謀にまんまと嵌められたのだ。
このままでは朝敵認定されるのが明らかで後のない足利義輝は、三好長慶から政権を奪い返すため挙兵に追い込まれる。これにより全国でも「弘治」を使い続ける幕府側の大名と、「永禄」に改める三好側の大名とに色分けされることになった。
5月、足利義輝は打倒三好と幕府の復権を目指し、六角義賢や管領・細川晴元の兵を糾合し、3千の兵で坂本に陣を構えた。
自前の兵力に乏しい足利義輝は、亡命先の朽木谷で三好家が京で政治を執り行うのを指を咥えて見ているしかなかったが、腐っても鯛、いや将軍だ。将軍に代わって実質的な天下人として振舞う三好長慶の好き勝手をこれ以上許せなかったに違いない。
6月、三好軍1万5千は東山の瓜生山山頂の将軍山城を占拠すると、幕府軍も瓜生山の南東の如意ヶ嶽を占拠するが、6月9日に両軍は北白川で激突し、この「北白川の戦い」で兵数で勝る三好軍は義輝の奉公衆70人を討ち取り勝利した。
その後、戦況が膠着状態となると、三好長慶は六角義賢と和睦交渉を開始し、8月に本拠の四国から軍勢を呼び寄せ、幕府軍に圧力を掛けた。戦力的に不利に立たされた六角義賢は、和睦せざるを得ない状況に追い込まれた。
まぁ、当然と言えば当然だ。義賢は自分の領地も守らなければならない。これ以上戦えば六角家も痛手を被る危険が大きく、いつまでも幕府に加勢して六角家の勢威を削ぐ訳には行かなかったのだ。
「ついに公方様が京に戻られたか」
「はい。六角家の仲裁によって帰洛を果たしたそうにございます」
11月6日、和睦が成立し、足利義輝は5年ぶりに入京を果たした。だが、管領・細川晴元が和睦に反対して坂本に留まったことにより、幕府の実権を握った三好長慶は天下人としての立場を確立し、摂津を中心にして山城・丹波・和泉・阿波・淡路・讃岐・播磨を勢力圏にする三好家は最盛期を迎えることになった。
この和睦により、足利義輝も「永禄」への改元を認めることになり、将軍の義輝が朝敵認定される事態を回避するに至った。
◇◇◇
「至急の報せにございます!!!」
11月中旬のある日の昼前、大きな声と共にドタドタと慌てた様子の足音が大広間に近づいてくる。評定が終わってすぐの弛緩した雰囲気だった家臣たちも何事かと身構えた。
「如何した?!」
父は使者の慌てぶりから焦眉の急を察して訊ねた。
只事でないのは俺にもすぐ分かった。まさか寺倉郷に向かって何者かが攻めてきたのか? 嫌な予感が頭を過ぎる。まだ自衛できる軍備が整ってはおらず、今侵攻されるのは拙い。鉄砲の準備は整っているが、農繁期ということもあり、兵数があまり揃っていないのだ。常備兵は傭兵を含めてもそう多くはない。
「浅井家が六角領へ侵攻を始めました!」
「何だと!?」
浅井家は浅井久政の代から六角家に従属していたが、先日の三好家と和議を結んだ六角家の隙を狙った形で、今回は久政が一方的に従属関係を解消して六角領に侵攻を図ったそうだ。定頼の死により三好家との戦で六角家の勢威が少しずつ衰え始めたのを察知し、久政は今が六角家から独立する好機だと考えたのだろう。
浅井久政は後世に伝わっている限りでは、勇猛な父・亮政とは対照的に武勇に冴えなかったとされ、浅井家が六角家の従属下になる直接的な原因になったという評価を受けている。
「寺倉家にも蒲生家から出陣の命が出ております。六角家は全力を以って浅井の叛乱を鎮圧するとの由にございまする」
使者はそう言うと、蒲生定秀からの手紙を父に差し出した。寺倉家は蒲生家の家臣であるため、戦に出陣する時には父は蒲生家の将として戦うことになる。
「左様か、大儀であった。では、我らも出陣の支度を急がねばならぬな。源四郎、出陣だ! 急ぎ兵を集めよ!」
大倉源四郎久秀は代々寺倉家に仕える譜代の家臣の中で軍事担当の重臣だ。年齢は今年40歳を迎えたところだ。これまでの戦で父の右腕として父を支えてきた寺倉家きっての猛将だ。久秀の「秀」は父・政秀の偏諱であり、父の信頼の高さが伺える。
「して、使者殿、浅井の兵はどの程度だ?」
「はっ、浅井の兵は5千ほどかと思われます。対する六角家は2倍以上の兵を集める模様にございまする」
「では、我らは100の兵を出そう。下野守様にそうお伝えくだされ」
「はっ、承知いたしました。では失礼いたしまする」
使者がそう言い残して大広間を出て行くと、父が家臣たちに告げる。
「さて、皆の者。兵数は圧倒的に我らが優位である故、余程のことがない限り負けることはあるまいが、戦は時の運と申す。何が起こるか分からぬ故、努々油断はできぬ」
「父上、もし浅井が美濃の斎藤家と手を結んでいるとすれば、父上が出陣して、もぬけの殻となった寺倉郷に背後から斎藤家が攻め込むやもしれませぬ。そうなれば寺倉家は滅びかねません」
「なるほど、確かに正吉郎の申すとおり念には念を入れておくべきだな。では、儂は常備兵100で出陣する故、それとは別に兵を集めよ。分不相応ではあるが、幸いにして寺倉家には金がある故、追加で傭兵を雇い、領民たちを集めれば100にはなろう。ふっ、正吉郎は軍略の才もあるようだな」
六角家と斎藤家との関係は芳しくない。そのため、用心として守備兵として幾らか残す必要があった。とは言え、合計で200の兵は寺倉家の石高からすれば多すぎるくらいだが、領民兵を最小限に抑え、常備兵主体の軍編成に変えたため、こうして戦の際には融通が利くのだ。
常備兵は父と出陣し、領民兵は寺倉郷を守るために残る。常備兵は日頃の厳しい訓練の成果を発揮する格好の機会となるし、農業の労働力でもある領民兵が戦死するリスクはできるだけ減らしたいためだが、もし斎藤家が寺倉郷に攻めて来る事態となれば、領民兵も故郷を守るため死に物狂いで戦うだろう。
追加の傭兵を集めるのには時間が掛かると思うかもしれないが、豊かで仕事も多くある寺倉郷で働く傭兵は多いので、募集を行えばすぐに集まるはずだ。
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