氏真との邂逅③ 金蘭之友

「では、私からはこれを授けよう」


俺が父から新たな名前を授かると、上座の横に座っていた氏真が側近を呼び、一振りの刀を持って来させた。そして、その刀を右手に持つと、俺に歩み寄って手渡した。


「抜いてみるがいい」


氏真の言葉に従い、刀を鞘から抜くと、視界に収まったのは豪華絢爛で見事な刀だった。素人の俺でもその凄さが理解できるほどだ。


「この刀は……?」


「粟田口吉光という高名な刀工がかつて鍛えた刀だ。銘を池照藤四郎いけしょうとうじろうという。土産として駿河に持ち帰るつもりだったが、淀峰丸、いや正吉郎殿の元服祝いに贈ろう」


氏真は義元の命令によって上洛し、畿内各地を巡っていたそうだが、流石は天下に名高い今川家というべきか、粟田口派は俺でも知っている有名な刀工集団だ。その梁山泊とも呼ぶべき粟田口吉光の作品となると、下手をすれば国宝級の代物である。


「そ、そのような貴重な物をいただく訳には参りませぬ」


俺は刀を鞘に納めると、首を左右に振りながら氏真に差し出した。分不相応な物を持てば身の破滅を招きかねない。


「ふっ、実直な男だな。遠慮は要らぬ。たった一度の元服だ。今川家の立会人としての誇りに懸けて、これくらいは受け取ってもらわねば私が困るのだ」


「……では、ありがたく頂戴いたします」


大大名の今川家の嫡男にそこまで言われて、これ以上無碍に断っては却って失礼に当たるというものだ。


こうして俺は元服を迎えて成人し、『寺倉正吉郎蹊政』と名乗ることとなった。儀式の後は、祝宴の準備が進められ、俺の元服を知った領民たちが、お祝いに採れたばかりの野菜や肉を献上しに屋敷に足を運んだのだった。



◇◇◇



祝宴が終わった後の夜、元服した喜びで神経が高ぶっているためか、俺は目が冴えて眠れずにいた。初めて飲んだお酒の心地の良いほろ酔い気分で屋敷の縁側に座り、庭と夜空を眺めていると、突然背後から声が掛かった。


「正吉郎、眠れぬのか?」


氏真だった。俺の隣に座ると、月を見上げる。


「はい、左様にございます。上総介様は?」


「私もだ。……正吉郎、寺倉郷はつい5年前まではただの農村だったと聞いたが、それは真か?」


「ええ、確かにこの地は普通の農村で、商人街などございませんでした」


「うぅむ。聞けば聞くほど驚くばかりだ。先ほどお主の元服を祝いに来た商人に会うたのだが、お主に感謝しているのがよく分かった。まだ13というのに大したものだ」


「かたじけなく存じます。ですが、それは父上や家臣たち、そして領民たちが力を合わせたからこそ、初めて為せたことにございます。私一人の力では何も出来ませぬ」


「……なるほど。お主を慕う者たちの気持ちが良く分かる。ここまで民の暮らしを豊かにし、村を栄えさせたというのに、お主は決して驕り高ぶるところがない」


「そのように申されますと、いささか照れてしまいます」


「はははっ、褒めておるのだ。照れるが良い」


俺に自然な笑顔を向ける氏真を見て、6歳も離れてはいるが、戦国の世に生まれて初めての"友人"とでも言うべき存在を見つけたような気がした。


「正吉郎様。お話の途中に失礼いたしまする。先ほど宴の最中に木原十蔵殿から正吉郎様に渡してほしいと、こちらの品を預かりました」


憚るように小さな声を掛けてきた勘兵衛の手にあったのは返碁だった。それは俺が作った粗い試作品ではなく、より精巧に作られたものだ。おそらく十蔵が職人に急いで作らせたのだろう。


「ほぅ、よく出来ているな」


「それは何だ? 碁にしては碁盤が小さいようだが?」


氏真が興味深そうに見ている。俺が初めて作ったのだから、知らないのも無理はない。


「これは返碁という新しい遊具にございます。昼間に私が試作したものを、商人が精巧に作り直したものです」


「ほぅ、新しい遊具とな? 如何にして遊ぶのだ?」


氏真はまだ数え19歳。前世で言えば高校3年生だ。好奇心旺盛で目新しい物に目を光らせるのは当然だ。


「まずは裏表の色が違う4つの駒をこのように並べます。そして、違う色の駒を挟むように交互に並べて、縦横斜めで挟まれた駒は裏返されます。これを64個のマスが全て埋まるまで続けていき、最後に駒の数の多い方が勝ちという簡単な遊びにございます」


「ふむ。手順は簡単だが、なかなか面白そうだな。正吉郎、私と一局遊んでくれぬか?」


「もちろん構いませぬ。ですが、手加減はいたしませぬぞ」


だが、氏真は初見だったにも関わらず、すぐにコツを掴み、白熱した盛り上がりを見せた。俺も真剣勝負で最後に何とか勝ち越し、10戦して戦績は6勝4敗だった。


「むむぅ、いや最後は残念だった。あと少しだったな」


最後の一局で惜敗した氏真は少し悔しそうだ。


「初めて遊んで、これほど早く強くなられるとは驚くばかりにございます。そうだ。この返碁は刀のお礼として上総介様に差し上げます故、駿河への土産にしてください」


「そうか。では、かたじけなくいただくとしよう。駿河に帰ったら父上とも一局遊んでみたいものだな。……ところで、正吉郎。お主は本当に13歳か? お主と話をしていると、まるで同年代か年上と話しているように思えてしまうのだ」


俺は一瞬息が詰まり、背中に冷や汗が流れた。前世と合わせれば精神年齢は33歳だ。自然と言動も大人びてしまい、氏真が違和感を感じるのも当然だ。


「左様ですか……」


俺は答えることができずに視線を夜空に彷徨わせていたが、氏真は俺に構うことなく語り始めた。


「私には同年代の側近はおるが、名門の家に生まれ育った故、気の許せる友がおらぬ。6つも歳の離れたお主に言うのも可笑しな話だが、正吉郎、私の友になってはくれぬか?」


「はい! 私もぜひ上総介様と仲良くしとうございます」


「そうか。だが、その呼び名では畏まりすぎて友とは言い難い。せめて彦五郎と呼んではくれぬか?」


「では、彦五郎殿、で宜しいでしょうか?」


「うむ、それで良い。では正吉郎、これからも時折文を送る故、宜しく頼むぞ」


まるで男女のお見合いのようだなと感じてしまった。この時代は衆道は一般的だが、俺には想像するだけで鳥肌が立ってしまう。だが、氏真が俺に向ける眼差しは衆道の色とはかけ離れており、純粋な友情だった。


この戦国の世では下剋上や肉親の間で殺し合うことも珍しくない。裏切りが日常茶飯事だと自ずと疑心暗鬼になり、いずれは周囲に心から信頼できる者が居なくなってしまう。


ましてや赤の他人で信頼し合える友人なんて、掛け替えのない貴重な存在だ。だから俺は思った。「この人に史実のような悲惨な運命を辿らせる訳には行かない」と。


とは言っても、史実の今川家の未来を伝えることはできない。そもそも父・義元公が討死し、今川家は滅亡すると伝えたところで信じる者がいるはずもなく、俺の気が狂ったと思われるのが関の山だ。


それでも、たとえ僅かでも氏真の役に立ちたいという感情が芽生えた。だが、何かを伝えようにも口から言葉が出てこない。


「さて、もう夜も遅い。私は明朝出立する故、正吉郎も早く寝るのだな」


俺はそう言って客間に戻っていく氏真の背中を見送ることしかできなかった。


翌朝、氏真は寺倉郷を後にし、再び駿河への帰路に就いたのだった。

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