氏真との邂逅① 休日と娯楽
9月上旬、10日ぶりの休日を得た俺は、自分の部屋の縁側で青天白日の空を仰ぎながらゆったりと寛いでいた。
この時代の日本に休日や日曜日なんて概念があるはずもなく、晴れていれば子供だろうが働くのが当たり前だ。以前は大雨や大雪で外に出られなければ自動的に休みになったが、今ではそれも千歯扱きや唐箕作りの内職が広まって、休みではなくなった。
領内をそんなブラックな労働環境に変えた元凶は紛れもなくこの俺だ。その俺が天気も良いのにぬくぬくと休日を貪っているのは、人でなしの誹りを受けても仕方ないのだが、当の領民たちは現状をブラックだとは認識しておらず、むしろ暮らしが豊かになって喜び、俺に心から感謝しているくらいだ。
それに、俺は精神年齢は32歳だが、まだ数え13歳で、前世では小学6年生だ。武家の跡継ぎとして勉学や武術の鍛錬を課せられているが、武術の鍛錬はかなり厳しく、毎日していたら身体が保たないくらいハードなものだ。
さらに、最近では父の政務の手伝いや、領内を視察して改善点を指摘する役目も俺の仕事になりつつある。だから、10日に1日は休日を設けて一日中ボーッと過ごして身体を休めているのだ。それくらいしても罰は当たらないくらい、寺倉家に貢献している自負はある。
とは言っても、何もしないというのも正直なところ苦痛に感じる。前世のワーカホリックの日本人の定年退職後のように休むことに慣れていないのか、それとも日本人は常に働かなければ生きていけない遺伝子でも組み込まれているのだろうか。
忙しい時には休みが欲しいのに、いざ休日になった途端やることがなくて、暇を持て余してしまう。だからといって一日中寝ている訳にもいかない。そう考えると、この時代には前世のような娯楽が少ないことに改めて気づかされる。娯楽に溢れた前世の記憶がある身にとっては、とても堪えるな。
「せめて何か娯楽があればな」
何気なく呟いた言葉だったが、なるほど、娯楽か! 人間は生活に余裕が生まれると娯楽を欲するものだ。ようやく暮らしが少し豊かになった寺倉郷の領民たちにも、そろそろ娯楽を提供してもいい頃だろう。
ただ、茶の湯は退屈で性に合わないし、音楽や文学、芸能は上流階級に限られる。スポーツも庶民は日常で身体を動かしているので今一つだな。そうなるとゲームが手頃だろう。
まずカードゲームならばカルタだが、確かこの時代にポルトガル人宣教師からキリスト教と一緒に、トランプがポルトガル語のカルタの名前で伝わった頃だ。小倉百人一首や花札が生まれるのは江戸時代だから、先んじて花札を作るのも一案だな。
ボードゲームも庶民も十分楽しめるだろうが、既に存在する将棋や囲碁は長い時間が掛かり過ぎる。庶民にも簡単なルールで手早く遊べる安価なゲームを京や堺、全国に売り出せば、ひと儲けできる潜在的な需要があるはずだ。
折角の休日だったはずなのに、庶民に受けるのはどんなゲームだろうかと、いつの間にか俺は思案に耽っていた。そして、最初に思いついたのがリバーシだ。ルールも簡単で大人でも子供でもすぐに理解できるし、木材で安価に製作できる。
思いつくとすぐ行動するのが俺の性分だ。俺は屋敷内にあった杉板を拝借して、早速試作することにした。リバーシ盤は将棋盤より一回り小さい8×8の64マスだ。駒は薄い板を鋸で64個の木片にカットした後、丸く加工するのはなかなか骨が折れた。
最後に、駒の裏表を区別するため片面だけ墨汁で黒色に塗ると、庭に並べて乾かした。もう片面は白い塗料は高価なので朱漆がいいと思うが、試作品なので木目のままでいいだろう。朝10時頃から始めて昼飯を挟み、ようやく出来上がったのは14時過ぎだった。
あいにく藤次郎は不在だったため、俺は完成したばかりのリバーシを持って、源煌寺の参道にできた商人街へ向かうことにした。
◇◇◇
途中の田んぼでは、黄金色にたわわに実った稲穂が、一面綺麗に並んで秋風に揺られており、今年は豊作なのが一目瞭然だった。
「淀峰丸さま! 今年は豊作にございます。これも淀峰丸さまのお陰でございます」
勘兵衛と一緒に歩いていると、俺を見掛けた領民たちから平伏されてしまう。
「いや、これは皆が一所懸命働いた証だ。豊作で良かったな」
「左様ですな。領民たちも皆笑顔に溢れておりますな」
そんな会話を交わしながら久しぶりに源煌寺の参道に来たが、2ヶ月前よりも明らかに往来する人数が増えており、俺は驚きを隠せなかった。
「以前来た時よりも人が多いな」
商人街に来る度に発展ぶりが随所に見られ、これも内政改革の成果だと思うと、喜ばずにはいられない。5年前までは寂れた参道だったというのに、やはり金は天下の回り物だ。金が集まり、物が動くところに人は集まるのだ。
「淀峰丸さまの努力が実を結んだ結果にございますな」
側にいるだけで頼もしい兄のような存在の勘兵衛が柔和な笑みを浮かべる。
「これは淀峰丸さま! ようこそいらっしゃいました! ですが、お呼びいただければ、私がお屋敷に伺いましたぞ」
木原十蔵の店に着くと、十蔵は俺を見るなり顔を明るくさせる。
「いや、今日は領内の視察もあって出向いたのだ。十蔵、面白い物を持ってきたのだが、ちょっと見てくれないか?」
「畏まりました。……はて? これは碁盤と木でできた碁石でございますか?」
「これは私が考え出した遊具で"返碁"という。碁や将棋ほど難しくなく、童でもできる遊具だ」
リバーシの原型は19世紀にイギリスで考案され、20世紀に日本で商品化されて世界中に広まったゲームだが、俺は分かり易く"引っくり返す碁"という意味で「返碁」と命名した。
そして俺は十蔵にルールを説明すると、早速十蔵と一局遊んでみた。結果はもちろん俺の圧勝だ。
「これは大変面白い! 遊び方も非常に簡単で、誰でも遊べる画期的な遊具ですな。で、これを売り出したいという訳ですな?」
「ああ、そのとおりだ。売れると思うか?」
「淀峰丸さま、売れるどころではありませぬ。日ノ本中の家に広まるくらい評判になると断言します。神仏に誓って、この木原十蔵が保証いたしますぞ!」
「そうか、それほど売れるか」
子供でも簡単に遊べるとなれば庶民にも需要は多いだろう。十蔵のお墨付きを得られた俺は、笑みを漏らしながら内心でガッツポーズをした。
もちろん俺が作ったものは粗い試作品で、とても売りに出せる代物ではない。領内や他領に売り出すには大量生産が必要となるし、それなりの品質も求められる。返碁の販売については十蔵に頼むのが最も無難だろう。藤次郎には領民たちの新たな内職として生産面を任せるとしよう。
そして、十蔵と細かい話を詰めようとした時、参道を闊歩する見知らぬ武士の一行を視界に捉えた。最近は他領から偵察に来て、迷惑な諍いを起こす武士もいるため、俺は眉を顰めて様子を伺った。
「ここが寺倉郷の商人街か。なるほど、確かに思った以上に栄えておるな。内蔵頭様が勧められたのも納得だな」
「左様ですな。彦五郎様」
武士たちに囲まれて歩く若い男は、上等な身なりからして明らかに身分の高い武士に違いない。そして若い男の横を歩く中年男が発した『彦五郎』という名前に聞き覚えを感じると、俺の頭にはある人物が浮かんだのだった。
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