第4章 秘密と秘密

第20話 雨中の来訪者

 酷い事になった。

 一気に忙しくなったのだ。

 小説の翻訳だけでなく色々な相談事まで含めた仕事の依頼が押し寄せている。

 例えば数学の理論についてとか。

 空に光る星についてとか。

 治療魔法では治りにくい難病についてとか。

『儲かりそうな細工物は無いですか』なんてのまであったそうだ。

 流石に最後のはミランダも断ったそうだけれど。


 誰かさんのせいとは言わない。

 何処ぞから悩みを聞いてはホイホイ俺に投げるミランダのせいだとか、決して。

 くそ真面目に対応してしまった俺も悪いのだ。

 結果、解決するごとに依頼はかえって増加。

 結果が今のありさまだ。

 今ではミランダも翻訳と関係ない仕事は基本的には断っている。

 ただどうしても断れない筋なんてものもある。

 それに今までに受けてしまった仕事が減る訳ではない。


 依頼と共に机の上には異国語にほんごの本が山積み。

 でも呆けてもいられない。

 俺はそのうち1冊を開き、翻訳魔法を使いつつ訳を紙にかきつけていく。

 勿論高速翻訳モード全開だ。

「アシュ、こちらはもう宜しいでしょうか」

 テディはそう言って俺が横に置いた紙に手をやる。 

「ああ。でも一応全体を読んでからもう一度確認した方がいい」

「わかりましたわ。でもスケジュールが詰まっていますからある程度はじめておきますね」

 テディは俺の書き殴った自動翻訳よりはマシな程度の訳を元に校正しつつ綺麗な訳に直しながら清書をはじめる。


「申し訳ありません。今月は他にも色々入っておりまして……」

 ミランダは応接スペースで何処かの人と交渉中。

 彼女がここで調整してくれないと俺達の仕事は量的にパンクする。

 最近はほとんどの依頼を断っている状態だ。

 それでもスケジュールはブラック企業な状態。

 それに断りにくい依頼なんてのもある。

 難病治療の相談とかはどうしても手を出してやりたくなってしまう訳だ。 

 治療魔法だけでは治せないが知識があれば簡単という病気も多いことだし。

 例えば脚気なんて魔法で治そうとすると原因不明かつ常に治療魔法をかけ続けなければ好転しない難病だ。

 しかし知識さえあればはい芽飲料でも飲ませて簡単に回復させたり出来る。

 まあそんな感じで色々とまあ、ドツボにはまった状態。


 そんな訳で本日も朝早くからしこしこ翻訳仕事をしている。

 外は久しぶりに明け方からずっと雨模様。

 そのせいか珍しく来客も無く4人揃っている午前中のひとときに。

 チーン、チーン。

 呼び鈴の音が響いた。


「はーい」

 渉外担当のミランダが出ていく。

 何かひそひそ話のような声の後、ミランダが応接スペースに客人を案内した模様。

 そして。


「テディ、フィオナ、アシュノール、お客様だ」

 何だろう。

 ミランダ以外が渉外用の応接スペースに行くなんて事はまず無い。

 ましてや全員招集なんて初めてだ。

 そう思いつつ俺も応接スペースへ。


 来客は俺達と同年代くらいの女性だった。

 長い黒髪が印象的な、でも綺麗と言うより可愛いという感じの人だ。

「どうも初めまして。テディやミランダ、フィオナの昔からの友人でロッサーナと申しますわ。どうぞ宜しくお願い致します」

 誰かはすぐに分かった。

 俺だって元は貴族の端くれだ。

 だから彼女の顔位は知っている。

 こんな処にお供も無しで来てはいけない人だという事も。


「はじめまして。ここで著述業をしておりますアシュノールです」

 あえて普通の挨拶をしておく。

 彼女が誰かあえて気付かないような態度で。

 うまく装えているかはわからないけれど。

「どうぞ」

 フィオナがいつの間にかお茶を入れて、全員に配ってくれた

 ちなみにここスティヴァレではお茶は高級品だ。

 輸入でしか手に入らないので非常に高価。

 でも今の相手だとそれくらいは出さないと申し訳ない。


「テディとは昨年秋以来、ミランダやフィオナとは2年と少しぶりですが元気なようで良かったですわ」

「それで殿下、こちらにはどのような御用でいらしたのですか?」

 ミランダさんが率直に尋ねる。

 そう、相手はロッサーナ殿下。

 現在の国王陛下の妹で現在の地位は筆頭国王補佐官。

 国王陛下が未婚なので王位継承権第2位でもある。


「旧交を温めにと言いたい処ですが、残念ながらお仕事の依頼ですわ。以前ここのグループで『想像上で論じる政治体制として可能性のある制度の構造分析』という本を出されましたよね」

「ええ」

 俺は頷きながらも内心はドキドキものだ。

 何せ一大問題になってしまった本だから。

 王妹殿下、どういうつもりだろう。

 今更逮捕とかそういう事は無いとは思うけれど。


「あの内容の続きで、次は共産主義体制と資本主義体制についてより詳しい本をお願いしたいのです。共産主義に向かうにも色々な段階があるでしょうし、資本主義の方は政治体制も多様でしょう。それらについてどのような場合に成立し、どのような成長を遂げ、もしくはどのような点で成長が衰えるか。またどのような利点と欠点があるか。出来るだけ詳しく網羅的に記載された本が欲しいのですわ。

 ただ網羅的にとなるとキリがないので、ある程度教科書的な本で前回の本より詳しい本、想定される体制を続けた場合どのようになるのかがわかる本。そういった内容でお願いしたいかと思います」

 なるほど。

 かなり難しい注文だ。

 高校の政治・倫理の教科書を訳す程度じゃ駄目だろうな。

 せめて大学の教養レベルの教科書レベルでないと。


「わかりました。ですがそのような内容の本はまた問題が起きる可能性があるのではないかと思われますけれど」

「前回はかなり現体制に対する問題提起を控えめにしたのに、それでも色々な論議を巻き起こしましたしね」

 あきらかに王妹殿下、その辺は理解してくれているようだ。

「ですので今回は私の方で権利を一括で買い取った上、国立研究所名で発表させていただきます。そうすると本来の著者名が出なくなりますが、その分高い金額で権利を購入させていただきます」

 確かにそれなら俺達に害が及ぶことはないだろう。

 それでも疑問は残る。

 何故そんな本をわざわざ書かせて出版させるのだろう。


「ですが何をするつもりなのでしょうか?」

 心配そうな表情のテディに殿下は微笑みかける。

「大丈夫よ、テディ。これは陛下もご存知の計画のひとつよ。というか共犯かな、お兄様と」

 テディがその台詞に苦笑する。

「ブラコンはなおっていないようですわね」

「残念ながらお兄様よりいい男、なかなか見つからないのですわ」

 おいおい。

 なお特報! 王妹殿下はブラコンだった! とはならない。

 既に貴族の間では周知の事実だからだ。

 ただブラコン以上の関係にはなっていないとも知られている。

 陛下はシスコンではないらしいから。

 ちなみにスティヴァレの常識では近親相姦は親子は禁止、兄弟はOKだ。

 

「それでは話を戻しますわ。この件を正金貨3枚300万円、うち支度金として正金貨1枚100万円前払いでお願いしたいと思いますの。よろしいかしら」

 おいおいちょっと待ってくれ。

「どんな本になるかもわからないのに、前金で正金貨1枚100万円も出してよろしいのでしょうか?」

「テディ達やテディ達が見込んだ方相手なら任せて問題ないと思っていますわ」

 ぎくっ!

 それは俺達の関係を知っているぞという事なのだろうか。

 きっとそうだろう。

 この国では重婚は別に罪ではない。

 でも庶民で妻が3人という男性は滅多にいないのだ。

 なので思わず俺は固まってしまう。


「テディ達が羨ましいですわ。忙しそうだけれど幸せそうで。私も愛する方と今すぐ一緒になれたらどんなにいいかと思いますもの。

 さて、これが支度金ですわ。よろしくご査収くださいませ」

 殿下はそう言って、そして一見ごく普通のポシェットからさっと封筒を取り出す。

「ええ、確かに」

 テディは封筒を受け取る。


「ただ危ない真似はなさらないで下さいね」

「今は私史上最も安全な状況ですわ。2年前にお兄様に大掃除をしていただきましたので」

 その言葉が何を指しているかは俺にもわかる。


 元々この国の政治は国王と側近の貴族を中心に闇の中で行われていた。

 貴族や王族等の不自然な病死等も珍しくない状態が長い事つづいていた。

 だが2年前、現国王陛下が体制を一新。

 専制君主である国王を中心とした中央集権国家へと変化。

 責任や命令系統が不明瞭な政治的なんとかというものがほぼなくなった。

 その事を彼女は言っているのだろう。

 更に言うと彼女もその改革に噛んでいた可能性が高い。

 前にテディ達がそんな事を言っていた覚えがある。


「それではそろそろ戻らないと怒られるので失礼いたします。それではまたごきげんよう。出来上がった頃またお伺いいたしますわ」

 殿下は立ち上がり頭を下げ、そのまま優雅な動きですっと玄関の方へ。

「お送りしますよ」

 慌てて立ち上がったミランダに彼女は頭を振る。

「いえ、一人の方が目立ちませんわ。それに人目につかないように移動するの、得意ですのよ。昔から鍛えていますから」

 彼女はそう言って玄関を開け、そのまますっと外へと消えて行った。


 しばらくそれを見送った後、扉を閉めてテディは俺の方を見る。

「アシュは今の方、どなたかわかりますよね」

「一応元貴族の端くれですから」

 俺の返答にテディは頷く。

「前に一度お話しましたね。殿下は私が高級学校1年の時の3年生で、生徒自治会会長でいらしたの。昔の私達の憧れの人でしたわ」

 その辺はいつかの夜に聞いたような気がする。

 何分夜の事なので良くはおぼえていないけれど。

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