第16話 水汲み上等!

 翻訳の仕事を持って来るのはミランダの仕事。

 でも彼女は時々それ以外の仕事もたまに拾ってくる。

 例えばパンとケーキの件だとか。

 今回もまたそうだった。

 俺とミランダの前には40過ぎのおっさんが座っている。

 彼はグードリッジさんと言ってゲオルグ商会の会頭さんだそうだ。

 ゲオルグ商会は出版とは全く関係ない穀物を中心に扱う業者さん。

 でもミランダの実家とは昔からの付き合いらしい。


「……それでオーキッド伯爵から、新規参入許可の代わりに開拓事業を押し付けられたという訳ですか」

「ええ。その通りです。ですがその開拓予定地というのがこんな感じでして」

 この世界の地図作製技術は日本のものに引けをとらない出来だ。

 魔法で地形を把握できる技術者がいるので等高線入りのかなり精細な地図を作製できる。

 ただ国土全域を把握するところまではいっておらず、こういった開拓の際に計画予定地を測量してその地区限定の地図を作るという感じだけれども。

 そしてその地図には畑作地としては決定的な悪条件が描かれていた。


「水利が無いですね」

「そうなのです」

 開拓予定地は台地上の平坦な場所だ。

 平坦で面積もそこそこ広いが高い山等は無いので台地上に流れてくる河川は無い。

 アラミド川という台地の横を削って流れるそこそこ大きな川があるだけだ。

 だが川の水面から台地まで最低でも3腕6m、大きい部分では6腕12m以上の高低差がある。


「これで降水量さえそこそこあれば麦作程度は出来るのですが、残念ながら雨量も十分ではないのです。開拓すれば家畜の放牧地程度にはなるでしょう。しかしオーキッド伯爵側はあくまで畑作地に、それも麦や豆、カブやジャガイモ等を中心にした輪作をしたいと強く希望していまして……」

 輪作農業はここのところのトレンドだ。

 これによって連作障害を防ぐことが出来て、結果安定した収穫量を期待できる。

 ただしそれは向いている土地ならばだ。

 この条件だと圧倒的に水が足りない。


「水が足りないというのは伯爵側はご存じなのですよね」

「農業に携わる者が下のアラミド川からくみ上げればいいと考えている模様です。ですがこれでは水をくみ上げる労働量が多すぎて耕作に支障が出ます。その辺の事を伯爵側は理解していないのです。もしくは理解したくないというべきでしょうか」

 2年ちょい前の改革後、この国の貴族は割と大変になった。

 無能と見做されると容赦なく減封されたり転封されたりする。

 だから常に新しい産物を探したり領地の未利用地域を開拓しようとする訳だ。

 無能な者程既存施設の改善より新規開拓に走る傾向がある。

 結果無茶な開拓等で失敗する例も多かったりする訳だ。


「井戸とかはどうでしたでしょうか」

「既に調査しました。アラミド川の水面より高い水位の井戸は出ない模様です」

 なるほど。

「どうだアシュノール、何か案は思いつかないか」

 条件は理解した。

 つまり必要なのは『アラミド川から最小限の労力で水をくみ上げる方法』だ。

 とすると揚水水車等の揚水装置について書かれた本があればいいな。

 普通の揚水水車だとこの高さをくみ上げるのは難しいから、その辺は色々考えて。


「わかりました。取り敢えず少しだけ、1週間くらい時間を下さい。資料を集めさせていただきます」

「おお、案を授けていただけますか」

「あくまで案だけで、実施するのは商会さんとなりますけれど宜しいでしょうか」

「もちろんです。どうぞよろしくお願いいたします」

 俺の手を両手で握ってぶんぶんと握手をしてから、何度も頭を下げつつ会頭さんは事務所を出ていった。


「しかし流石だなアシュは。もう案を思いついたか」

「あくまで案だけですけれどね。これから資料を取り寄せて翻訳します」

「でも翻訳以外の仕事を持ち込むなんて、本来は反則ですわ」

 テディから苦情が出た。

 彼女は小説の翻訳の仕事が一番好きなのだ。

 何せ作業を通じて新作を真っ先に楽しめるから。


「でも新しい考えって楽しみだよね。どんな方法を考えているのかな」

「基本的には水車かな」

「水車って、あの粉を引くやつ?」

 フィオナの認識はこの世界的には正しい。

 何せ今現在、水車のほとんどは粉ひきとか製紙とかに使われているから。


「例えばこんなものを動かすとかさ」

 俺は螺旋形の筒の絵を描く。

 いわゆる『アルキメデスのスクリュー』という奴だ。

「この螺旋が入った長い棒の下端を水面につけて、くるくる回すと考えてみてくれ。そうすると螺旋の下部分に水が貯まり、回転するごとに徐々に上に登っていくだろう。これが案のその1」

 なるほどと一同頷いたところでテディが疑問を口にする。

「でもこれですと、筒は人が回すんですの?」


 ふふふふふ、甘いなテディ。

「こんな感じで関節が2つ以上ある接手を使って、他から回転する力を貰ってくるんだ。例えば水車に繋げるとかさ。そうすれば川の流れがある限り、自動で回るだろ」

「ならこれで完成じゃないか」

 ミランダ、それはまだ早い。


「ただこの仕組みだとさ、この筒が凄く長くなるだろ。そうするとこれを支えて回転させる装置が結構大変だ。重いし長いからしなるし。これの重さを支えつつ回転抵抗が低い状態に保つのは結構大変だろ。メンテナンスも可動部が大きい分面倒だ。だから他にも同じような役割をする仕組みをいくつか翻訳して最良の物を出そうと思っている」

 例えば熊本とか千葉には巨大な揚水水車があったよな。

 ベルサイユ宮殿に水を供給した巨大装置なんてのもある。

 その辺を色々調べた上で適切な装置の構造を訳してやる必要があるだろう。

 そんな訳で俺は正銀貨3枚3万円を取り出して前に置く。

 専門の文献とかは値段が高いからこれくらい置いておいた方がいいだろう。

「日本語書物召喚! モーターや蒸気機関を使わない揚水装置の図面及び設計に関する本、条件は水力で稼働するもの。起動!」


 思ったより色々と出て来た。

 水撃ポンプとかPHPポンプとか。

 これを全部読んで性能比較するのかと思うとちょいと疲れそうだ。

 でもまあ、やるか。

 俺は出てきた文献を読み始める……

 

 ◇◇◇


 3日かけて文献を日本語のまま数種類読みふけった結果、大型で見栄えのするような揚水水車とかアルキメデスのスクリューではなく、ごくごく通常タイプの押上式ポンプを採用する事にした。

 この世界は科学技術は今一つ。

 だが魔法のおかげで工作物はかなり高い精度で作る事が出来る。

 金属も青銅や鋼鉄程度までならそこそこ魔法炉で量産されている状態だ。

 だから

   ① 鉄軸受けとローラーベアリングを使用した水車

   ② 自在継ぎ手や各種歯車、チェーン等の動力伝達機構

   ③ てこで2台の押上式ポンプを互いに動作させる青銅製押上式ポンプ

の図面をそれぞれ見つけて翻訳し、ミランダ経由で商会へと送った。

 装置としてはベルサイユ宮殿へ水を送ったマルリーの機械とほぼ同等水準。

 だからこの世界の技術で充分作成可能だし実用にもなる。

 水田でも作るので無ければこれで充分対応出来る筈だ。


「制作費は結構かかると思いますけれどね」

「でもあれくらいの工作品ならそう法外にはならないだろ」

 その辺はミランダの方が俺より詳しい。

「グードリッジのおじさんも喜んでいたしね。至急この図面を専門家に見せて検討しますって。あの人にはここを借りる時なんかにも色々世話になったからさ」

「そんな事もあったのですか」

「ここゼノアについては実家の商会もグードリッジさんの処を窓口にしているしさ。実はそれ以前も色々世話になっているんだ。だから出来るだけなんとかしてやりたかった。だから本業じゃないけれどついついアシュに頼ってしまった訳だ」

 なるほどな。


「水車のためにある程度川をせき止めるらしいから、工事は早くとも1月はかかるそうだ。でも出来たら皆で見に行ってもいいな。馬車で半日程度で行ける場所だし」

「僕もそのポンプや水車の現物を見てみたいな。図面は見せて貰ったけれど、実際に動いているところを見てみたい」

「たまにはちょっと遠くに出かけるのも気分転換になっていいと思いますわ」

 フィオナもテディも賛成のようだ。

 確かにここへ来てからまだ遠出をした事が無い。

 だから皆で遠出するのも悪くないよな。


「でもそれでしたら3ヶ月先では無くて、近いうちに遊びに行きませんか。まもなく暑い季節になりますし海へ行くなんてのもいいと思いますわ」

「楽しそうだな、それは」

「賛成だね」

 海か。

 実は俺、この世界では海へ遊びに行った事はないんだよな。

 そう思うと少し楽しみになってくる。


「まずは水着を新調しないとね」

「そうですね。4人で服屋でも行きましょうか」

 おい待てテディ。

「俺は短パンでいいぞ」

「折角ですからどんな水着がいいか、アシュに選んでいただかないと」

 おいおい。

 まあこの世界の服屋はオーダーメイドだからそんなに苦労はしないかな。

 それならまあいいとするか。

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