第3章 俺の仕事は翻訳だけれど

第14話 美味しいパンと翻訳と

 色々問題はあるが仕事そのものは大変に順調。

 まだ5月と拠点移動してから2か月も経っていないけれど、既に小説3本と科学系の本1冊、数学の本を1冊契約にこぎつけた。

 契約金額もミランダのおかげか今までの実績のおかげかかなりいい感じ。

 特に今回出した科学系の本、『燃焼について』は実用書としても評判がいい。

 この本の内容通り実践すると炎系統の魔法が魔力そのままで数ランクアップする。

 あと子供向けにあの『いやいやえん』を訳した本も順調らしい。

 読み聞かせ用としても初等学校生徒が自分で読む用としても好評だそうだ。

 これらのおかげで既に今年分の家賃と食費は確保できた。

 無論税金分は取っておかなければならないけれど。

 そんな訳で事務所にも少しだけゆったりとした空気が流れている。


「今日の昼は何処かに食べに行くか」

 ミランダからそんな話が出た。

「いいですわね。此処へ来てからまだ外食に行った事が無いですわ」

「俺も賛成」

 いつも自分で作った物ばかりだと引き出しが狭くなるからな。

「何やかんや言ってアシュの作るご飯、結構美味しいしね。でも何処かいいお店あるの?」

「ああ。ここんところ打ち合わせに使っている店でさ。パンが美味しいんだ」

 パンが美味しいというのはちょっと期待だ。


 スティヴァレのパンは言っては何だがただの変形した小麦粉という感じの代物だ。

 かつて日本で食べていたパンとはちょっと違う。

 具体的に言うと酵母とかイースト菌とかを一切使わない。

 水っぽい生地に魔法で気泡を入れて膨らませるという方式だ。

 この方式でパンを作ると発酵時間とか無しでわりと早く出来る。

 ただし何と言うか味は割と素っ気ない。

 勿論いい小麦を使えばそれなりに小麦の香りもするのだろう。

 でもだいたい安い麦で作るので結果として残念なものが出来上がる。

 焼いた香ばしさとつけあわせの味で食べる感じの代物だ。


 そんな訳でミランダについて全員でおすすめの店とやらに出向く。

 3ブロックほど歩いた先、住宅街の一角に普通の家よりちょっとだけ大きいかなという程度の赤い焼土壁2階建ての建物があった。

『軽食 啄木鳥ピカス』と小さい看板が出ている。

 正直意識して探さないとわからないような店だ。

「どーも」

 入るなりミランダはそんな挨拶をして奥のテーブルへ。

 中は4人掛けテーブル8席とカウンターというつくり。

 何気にテーブル席は俺達4人で埋まってしまった。

 それなりにお客さんは多いようだ。

 まだ昼食には少し早めの時間だしさ。


「何が美味しいんですか?」

「ここのメニューは簡単でさ。昼食時にはスタンダードサンドしか無い。でもこれが美味しくてさ。ここんところ2日に1回はここで食べている感じだ」

「いいですわね。私やアシュは室内仕事であまり出ないですから」

「たまにはテディ達も出た方がいいんじゃないか」

「でも店とか全然わかりませんし」

「その辺は歩き回って探すのさ」

 なんて話していると40代くらいのおばちゃんがプレートをかかえてやってくる。

「4人前、お待たせしました」

 みかけは単なるサンドイッチ3つと麦芽飲料だ。

 ただスティヴァレで一般的な四角いパンではなく長円形のパン。

 具材はハムチーズとスイートバターと卵の3種類かな。

 

 まずハムチーズから手に取って食べてみる。

 おっとこれは!!

「美味しい」

 フィオナがにっこりしている。

「本当ですわ。他のパンと全然違う」

「そうだろそうだろ」

 ミランダ、どや顔。

 でも確かに美味しい。

 パン自体の味が美味しく、そのせいで只のハムチーズサンドが数倍上の味になっている。

 香りといい不規則な空胞といいこれはきっと酵母菌できっちり発酵させたパンだ。

 しかも小麦粉もかなりいいのを使っている。

 香りもいいしパンのしっとり加減も、最初感じる塩味とその後に感じるほのかな甘みも最高だ。

 でもこれだと相当手間がかかっているだろうと思う。

 捏ねて寝せて発酵させてなんて時間と手間が必要だ。

 酵母菌も独自に栽培しないとならないし、スティヴァレで売られている普通のパンとは数段手間がかかった代物だな。


「これはもっとメジャーになってもおかしくない味ですわ」

 テディの台詞に俺はうんうんと頷く。

 これこそが本当のパンなのだ。

 あのお好み焼きの生地を焼いて膨らましたようなのはただの簡易版。

 そう感じてしまう。


「皆が美味しいと感じてくれたところで、アシュノールに相談1件だ」

 えっ?

「まあここで話す話題じゃないから、事務所に帰ってからだけどな」

「何ですか」

「取り敢えず今はこのパンの味を味わっておいてくれ」

 よくわからないまま、それでも俺は言われたとおりしっかり味わわせてもらう。


 事務所に戻ってきて、そして尋ねてみる。

「ところで相談って何ですか?」

「実はあの店、あまり儲かっていないそうなんだ。確かにお店は繁盛しているけれど、他のパン屋の値段水準を考えるとあまり高価に出来ない。でもまもなく子供が中等学校に入るからお金が今までよりかかる。

 それであのパン以外にも何かお客に出せるようなものが出来ないかって、あそこの奥さんに相談されたんだ。出来ればサンドイッチの後に食べられるような甘い物がいいってさ。それでアシュが作ってくれる甘い物シリーズを思い出したんだ。

 そんな訳でもしよければだが、あの店にアシュノールが作る甘い物シリーズについて教えてやってくれないか」


 甘い物シリーズとは2日に1回くらい俺が作るおやつの類だ。

 俺の腕前もあって特に難しいものは作っていない。

 ここに来た日に作ったチーズケーキとか、焼きプリンとか、ベーキングパウダーの代わりに魔法で気泡を入れた蒸しケーキもどきとかだ。

「あのお店で甘い物を作ってくれたらもっともっと美味しくなるかもしれませんわ」

 確かに俺のいい加減な知識でいい加減に作ったものよりは美味しくなるだろう。

 でも教えるのが俺のいい加減なレシピで果たしていいのだろうか。

 どうせなら……


「わかりました。ちょうどお仕事も今は余裕がありますし。でもあのお店の方に教えるなら俺のいい加減なレシピより、本式のしっかりしたレシピの方がいいですよね」

 俺はちょい奮発して正銀貨1枚をテーブルの上に置く。

「日本語書物召喚! パン及び洋菓子の本格的なレシピ本。起動!」

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