第8話 新生活の予感

 2月ももう終わり。

 卒業式を明日に控えた午後にミランダさんが発表した。

「新拠点はここラツィオじゃなくてゼノアにした。家は街の中心部から少し離れているけれど、治安もいいし商店街も近い場所だ」

 ゼノアは国の北部、西側の海沿いの街だ。

 位置としてはここラツィオから北西に250離500km程度。

 馬車だと西海岸経由で5日程度だろう。

 かなり遠い。


「ゼノアですか。活気のあるいい街ですわ」

「テディは行った事があるのか?」

「ラツィオからロンバードへ行く際、船便を使うとゼノアの港を使うのですわ」

 それはまあそれとしてだ。

「何故にゼノアなんだ? ここからかなり遠いけれど」

「遠くて独自の気風があって街が栄えている。交通が便利で本を出版しても全国へのルートに乗せる事が可能な場所。そんな感じだな。

 何せ国に睨まれるような本も出すからさ、国王の権力が強いラツィオじゃない方がいい。南部は栄えている大きな街はネイプルくらいしかない。フロレントはラツィオからそこまで遠くないから今ひとつ。ロンバードは街としては悪くないけれどテディの家であるメディオラ侯爵の本拠地だろ。そう考えると最適なのはゼノアかウェネティ、トランといった都市だ。

 この中では流通を考えるとゼノアがいい。ラツィオやネイプルへの海運もあるしロンバードやトランといった大都市もそれほど遠くない。何より元々が自治都市だから反体制的な本を出そうと平気だしな」

 なるほど。

 色々考えて決めたという事か。


「そんな訳で卒業式を終えたらすぐ引っ越せるよう準備しておいてくれ。手荷物に出来ない物はまとめて送ればいい。物件そのものは3月1日から使用可能だ。物件概要はこんな感じ」

 外観のイラストや地図、間取りや賃貸料等が記載された3枚ほどの書類がテーブル上に出される。

 間取りや外観を記載した紙は真っ先にテオドーラさん達に取られてしまったので、俺は概要が記載された紙を手に取った。

 ふむふむ、賃料は……1月あたり小金貨1枚10万円正銀貨5枚5万円か。

 高いけれど4人で住むなら仕方ないだろう。

 金は既に結構貯まっている。

 数年分程度なら余裕で前払い出来る位だ。

 何せ王立学校の寮にいるものだから金を使う事もほとんど無いし。


 建物はなんと4階建て。

 1階が事務所に使える大部屋2。

 2階がリビングと食堂とキッチンと小部屋1と風呂。

 3階が大きな寝室1と小寝室3にベランダ。

 4階が小寝室4と物置代わりに使用している小部屋1。

 トイレと洗面所は1階と2階についている。


 それにしても何か広すぎないか、この物件。

 どう考えても普通の物件じゃないだろう。

 よくよく概要を読んでみると……やっぱり。


「いいのかこれ、もと男爵の館だろう」

 ミランダは頷く。

「ああ、ロテーラ男爵が商売に失敗して手放した館だ。別館の方は壊したらしいけれど、本館の方は高さがあって壊すのに金がかかるという理由でそのまま賃借物件になった。でも流石に大きくて使いにくいからなかなか借りようという人が出なかったらしい。そんな訳で広さの割に安くなっていた。まあこの辺の情報は正直親父の経由だけれどさ」

「何か楽しみになってきましたわ」

 元お嬢様はご機嫌の模様。

「図書館が近くていいかな」

 フィオナさんもかなりご機嫌だ。

「それは偶然だけれどさ。でも商店街も遠くないし元貴族街だから治安も悪くないしいい場所だろ」


 ただ俺には微妙に疑問もある。

「貴族街に庶民が住んでいいんですか?」

「ゼノアなら全然問題ないと親父が言っていた。それにあくまで元貴族街だ。昨年の不況でゼノアで商売していた貴族が結構撤退して今じゃ新興住宅街さ。大きすぎる館とかは壊して新しい小さい建物になっている。この建物は壊されなかった中では大きい方らしい」

 そりゃこの部屋数考えたら大きい方だろう。


 ただ何か俺も楽しみになって来た。

 図書館が近いというのはやっぱり嬉しい。

 仕事の合間に図書館に行って本に浸るなんて最高だ。

 それにこれだけ部屋があれば俺のプライバシーも大丈夫だろう。

 それと風呂があるというのが何気に嬉しい。

 日本人という記憶が蘇って以来浴槽がある風呂が恋しいのだ。

 寮の洗体所はお湯をかぶって身体を拭くだけだからな。

 ゆったり入れる浴槽、カモーン! という感じだ。


「ところで一つ、質問をして宜しいでしょうか」

「何だい、テディ」

「実は私、料理とか裁縫とかお洗濯とか家事関係は全てメイドに任せていたのでよくわからないのですけれど、誰か教えて頂けますでしょうか」

 場の空気が一瞬凍った。

「洗濯と掃除、簡単な裁縫なら寮生活である程度やっているけれど……」

 フィオナさんに続けてミランダさんも苦い表情で口を開く。

「私は洗濯と掃除までだな。料理はちょっとやった事が無い……」

 あ、まずい。

 3人の視線が俺に集中する。

 仕方ないな。

「寮に入ってからは全然やっていないから自信は無いですよ」

 一応元日本人で一生独身だったから大抵の事は出来る。

 無論この世界には洗濯機とか掃除機とか電子レンジとかは無い。

 でも代わりに魔法がある。

 だから何とかなるだろう。


「それじゃアシュノールさんに申し訳ないですわ。なら仕方ないですからオールワークスメイドを雇うとか……」

「メイドは結構高くつくぞ。特にゼノアは労賃が高いからさ。儲かる自信はあるけれど最初は出来るだけ固定費を安くしたい」

 ミランダさんの言う事はもっともだ。

 でもそうなるとすると……

「出来るだけ早く僕も料理を覚えるから。それまではアシュノールお願い!」

 フィオナさんの台詞通りの事になるようだ。

 でもまあいいか。

 そう言えば日本風の料理も食べたいと思えてきたし。

 醤油とか味噌とかは無いだろうし砂糖は高い。

 それでも何とか和風の料理をつくってみようではないか。

 なんて野心もちょっとだけ出来た。

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