第5話 受け止められる心

母は一言もしゃべらないけど父はうれしそうだ。

俺は父に聞いた。

「父さん、どうしてそんなに幸せそうなんだ。」

父は「お前はうれしくないのか?」

「母さんが帰ってきたのだよ。」

俺は父に再び言った。

「母さんが帰ってきたって、母さんは死んだんだ!」

「そこにいるのは幽霊だ!」

俺は強い口調で父に言った。

父は悲しい顔になった。

俺は何だか居たたまれなくなり部屋に戻った。


「俺だって幽霊でも母さんが帰ってきてうれしいに決まっている。」

「でも、それではダメなんだ!」

「母さんの死をなかったものにはできない。」

「現実に目を背けて《そむけて》ばかりでは前に進めないんだ!」

俺は自分に言い聞かせるように叫んだ。


俺たちが前を向かないと母さんは浮かばれない。

俺たちに「いつまでも泣いていていいよ」と母が言うはずはない。

母は優しいだけではなく厳しい人でもあった。

でも、厳しいだけだったら今でも思い続けられるはずがない。

その厳しさにも優しさが込められていたからずっと好きで思っていられるのだ。


母の思い出は永遠に残しておきたい。

だが、今の父を見ていると生前の母の思い出が消えて行ってしまうのではないかと思えてくる。

それだけ父は現実を見ていないという事だ。

俺は父に思いっきり言った。

「今の父さんを見て母さんは喜んでいるのか?」

「母さんは本当に嬉しく思っているのか?」

父も母が真から喜んでいるわけではないというのは分かっているようだ。

でも、母が自分の前に出てきたことの嬉しさが勝って《まさって》今日こんにちにあるようだ。


俺たちと亡くなった母との奇妙な同居生活が始まってから数週間経った頃、母の表情が変わっていった事に違和感を覚えた。

俺は母に聞いた。

「母さん、どこか悪いのか?」

母は首を横に振った。

具合が悪いわけではないようだ。

俺はハッと「心の問題では?」と思った。

俺たちが今の生活に満足しているのが問題なのだろう。

俺も父の事が言えない。

幽霊でも母が帰ってきたことに喜びを感じているのがいけないのだろう。

喜んでいるという事は現実に目を背けているという事なのだ。

現実に目を向けないと母を悲しませるだけだ。


楽しかった母との生活はもちろん大事な思い出だけど、その母は現実にはもう居ない!

現実に居るはずのない母の思い出ばかりに浸っていては俺たちはダメになる。

母はそう言いたいのだろう。

今、思えば母があらわれた理由が良く分かる。

俺たちに自分はもう居ないというのを分かってほしいのだろう。

俺も父に流されたのだから大いに反省している。

後は父が母の気持ちを察してくれるかだ。

でも、「無理だろうな」と心の中で俺は思った。


一言もしゃべらなかった母が口を開いた。

「あなた、いい加減にして!」

「え?」

俺と父は顔を見合せた。

「母さんがしゃべった?」

幽霊だから話ができないのかと思っていた。

そして、続けて母が言った。

「あなた、いつまで悲しんでいるの?」

「いつまで現実から目を背けているの?」

「私はいないの!ここにいる私は現実には居ない存在なの!!」

母の剣幕に父はタジタジだ。

それだけ怒った時の母はすごいのだ。


「あなたはこの家の主なの」

「今のあなたは父親失格よ」

「あなたより和弘の方がよほど父親らしいわ。」

俺も今の生活に満足はしていたけど父よりはマシだ。

それだけ今の父はだらしなく思える。


「和江」

父が言葉を発した。

弱音を吐くのかと思ったら違った。

「俺、頑張るよ」

「和江に呆れられない《あきれられない》ぐらいの男・・いや、父親になってみせる」

「和江、天国で見ていてくれ」

「俺は絶対にやってやる」

母の激励が効いたのか父の目が輝いた。

俺も父には負けられないと思った。


それから終日経って俺たちは前向きにもの事をとらえるようになった。

過去は戻らないけど未来は変えられるのだから。


そして、母はというとまだ俺たちの家に居る。

一つだけ違う所は母の姿が俺たちには見えなくなったという事だ。

それでも母がいるという事はどんな状況でも俺たちの事が心配だという事だ。

「がんばって」

空耳かもしれないが母の声が聞こえたように感じて「今日も頑張るよ」と空に向かって叫んでから学校へと向かった。

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