激動の夜④


 「お腹空いた……」

 

 アイシャがポツリと呟いた。

 

 「私もペコペコです……」

 

 ルファもそれに同意する。

 カリマの町に着いてから休む間もなくリカルドに関する聞き込みを始めたせいで、まともな食事といえば隣町からカリマに移動する道中、小休憩をとった時に味気無いパンと果物を少し食べたくらいだ。

 しかしその小休憩がまともな食事と思っているのはリーシュだけで、ルファは全くそう思っていない。

 

 この辺りは二人の育ちや価値観の違いが現れている。

 

 リーシュは傭兵団で育った。大陸各地を転々と旅をする中で、場合によっては休憩を取らずに移動する事もある。

 食事の時間すら無いのは珍しくもない。そもそもリーシュは食に執着が無い。

 生きるのに最低限の栄養を摂取できれば良いという考えだ。だから一人暮らしを数年続けていたというのに料理の腕は上がらず、雑な味付けでルファの舌にダメージを与えた。

 

 一方ルファは一般家庭で育った。裕福ではないが貧乏でもない、ごく普通の家庭だ。

 そしてアルケディシア教に引き取られてからも、修行こそ厳しかったが普段の待遇はそれなりに良かった。

 それも当然だ。親友のメノエには負けるが、ルファも才能を高く評価されて教会に誘われたエリートである。

 将来聖女になる可能性を秘めた彼女らを教会が雑に扱うはずもない。故に食事も一般庶民よりは良いものを食べて育ってきた。

 

 育ちの違う二人が一緒に旅をする仲になったからといって、急に同じ価値観になるはずも無い。

 リーシュは口を半開きにしてルファを見た。

 

 「(薄々気付いてたが……こいつ大食いなのか?)」

 

 リーシュはクレナ村の家で彼女が家事を始めた時に思っていたのだ。ルファが作る食事の量が妙に多いと。

 多いとは思っていたがルファはそれを毎回残さず食べるので、残さないなら構わないと、特に何も言わずに受け入れていた。

 しかし旅をするとなればそうもいかない。長い旅になるのだ。食費だけで相当な額が必要だろう。

 

 「(控えるよう言うべきか? いやしかし食事くらいは自由にさせてやりたいし……だがこの先を考えると……)」

 「(リーシュさんどうしたんだろう? お腹空いたのかな?)」

 

 リーシュは誤解しているがルファの食べる量は極普通である。ただリーシュの食が細いだけだ。

 ルファはまさか大食いと誤解されていると思うはずもなく、口を半開きにして見つめてくるリーシュに首を傾げるのであった。

 

 「あー、その……お前のその……まあいい……何か食べれそうな物を探してくる。ここで待ってろ」

 「あ、はい……行ってらっしゃい?」

 

 ルファはリビングから出て台所に向かうリーシュの背中を目で追う。何を言いかけたのかさっぱり分からなかった。

 リビングにはルファとアイシャだけが残される。マルコ達はまだ監禁されていた部屋から出ようとしないので、気にはしておくが今はそっとしておくべきかとリーシュと二人で話し合った。

 

 リーシュを待つ間、ルファは隣に座るアイシャに話しかける。

 

 「リーシュさん、何を言いかけたんだろうねえ」

 「しらない」

 「だ、だよね……ところでアイシャちゃんはリーシュさんと仲良しだよね! 私もアイシャちゃんと仲良くなりたいなあ。参考までに聞きたいんだけど、どうしてリーシュさんを気に入ってるの?」

 「顔だよ」

 「……ほへ?」

 「顔がいい」

 「そ、そうなんだ……あは、あはははは」

 

 アイシャはまだ七歳。七歳児のまさかの答えに渇いた笑いを漏らすルファ。

 別に悪くは無いのだが、何故かなんとなく気まずくなって沈黙してしまった。

 

 「…………」

 「…………」

 

 リビングを静寂が包む。アイシャは静寂が苦にならないタイプのようで、特に何も思わずリーシュの帰りを待っていたが、年上のルファはソワソワして落ち着かなかった。

 

 「(リーシュさん、早く戻って来て下さいっ! 偉大なる紅き星アルケディシアよ、どうか私の願いをリーシュさんに届けて下さい! 大至急! 大至急です!)」

 

 一刻も早くリーシュが戻って来るよう心の中でお祈りを捧げる。なんともショボい祈りだが、奇跡的に本当に願いが届いたのかリビングの扉が開いた。

 

 「(奇跡! 冥き巨人が討伐された並の奇跡です!)」

 

 人類を恐怖に陥れた冥き巨人の大安売りをしながら、顔を明るくして扉の方に振り向き声をかける。

 

 「待ってましたよリーシュさん! おかえりなさ──」

 

 しかしそこに居たのはリーシュではなかった。綺麗な銀色の髪も、澄んだ碧い瞳も持っていない。

 

 「みぃーつけた! やっぱり正解じゃん。超絶有能美少女すぎて困るわー! 有能過ぎる自分が怖い!」

 

 そう言って笑う黒髪の少女。ポニーテールに纏めた髪に褐色の肌、恐ろしいほどに整った顔、そして紅く輝く瞳。

 謎の双子の片割れルカナ。法刃隊の詰所から鼻歌を唄いながらやって来た。

 

 「だ、誰ですか!?」

 「ん? 私はルカナ。見ての通り美少女だよ! 貴女も中々可愛いねえ……ンカナより全然可愛いよ!」

 「な、何を言っているんですか!」

 

 戦いに関しては素人のルファでも分かる。ルカナは普通じゃない。

 

 「アイシャちゃんは逃げて!」

 

 しかしアイシャは動けなかった。ルカナの瞳を見て足がすくんでしまったのだ。

 

 「ねえ、遊ぼうよ! 大丈夫だよ、ゆーっくり遊んであげるからさ」

 

 その瞬間、ルカナの魔力が吹き上がる。魔力を察知したルファの行動は反射的なものだった。

 アイシャを守るように抱きしめて叫ぶ。

 

 「《陽光結界》」

 

 叫ぶと同時に光の壁がルファ達を守るように囲んだ。その結界に衝撃が走る。

 ルファが魔術を使うのとほぼ同時に、ルカナが右拳を振りあげて向かってきていたのだ。間一髪の所で結界は完成し、ルカナの拳は結界に阻まれた。

 

 「……へえ、アルケディシアの術を使えるんだあ! 面白いじゃん!」

 

 ルカナは目を輝かせると、今度は左拳を結界に叩きつけた。そして次は右拳。左、右と連続で打ち込む。

 

 「壊れるまで続けちゃうよー! あと何発持つかな? 数えてみよー!」

 

 ルファは結界の中からルカナを睨む。

 

 「(詠唱出来てないから強度が足りない! もう一度結界を……!)」

 

 しかし詠唱している時間があるのだろうか。ルカナが拳を叩きつけるたび、結界にヒビが入っていくのだ。

 

 「いーち!」

 

 ルカナがこれまでよりも力を込めて右拳を振る。己の腕の中で震えるアイシャをより強く抱きしめ、ルファはやれる事を考える。

 この結界が破られたらどうなってしまうのだろうか。せめてアイシャだけは逃したいが叶うだろうか。

 

 「にーい!」

 

 ルカナの左拳が結界に大きな亀裂を生んだ。もうこれ以上結界はもたない。

 考えはまとまらないままだ。無理もないだろう。

 戦いは不慣れなルファに、ルカナの相手は荷が重すぎるのだ。

 

 トドメと言わんばかりに右拳を大きく振りかぶる。ルファは思わず強く目を瞑ってしまう。

 結局結界が破られた後のことは何も考えつかなかった。無力感を感じるルファ。

 追い込まれたこの状況で、ルファは祈ることしか出来なかった。

 

 「(助けて……!)」

 

 右拳が結界に迫る。ルカナの表情は喜色に満ちていた。

 

 「さぁぁぁぁぁん!」

 

 渾身の一撃。しかしルカナが繰り出したそれは、結界に届くことは無かった。

 鎧に包まれていた筈のルカナの右腕が音を立てて床に落ちる。

 

 「──はっ? え? なんで?」

 

 己の右肘から先が無い事に気付いたルカナは激しく戸惑った。床に落ちた腕を見ると、その横には剣が突き刺さっている。

 そして次にルカナは紅い瞳を右に向ける。そこには銀髪碧目の美しい男が剣を振り下ろした姿勢で立っていた。

 結界が壊れないのを訝しみルファは目を開く。そして仲間の姿に歓喜の声をあげた。

 

 「リーシュさん!」

 

 リーシュは床に突き刺さってしまった剣から手を離すと、右拳を固く握りルカナの顔面に打ち込んだ。

 

 「──ふぎゃ!」

 

 間抜けな声をあげて吹き飛ぶルカナ。座り込んだ姿勢で壁に背をぶつけて止まる。

 ルカナは「ごほっ……!」と息を吐き前を見る。すると目の前に黒い編み上げのブーツが迫っていた。

 

 「ちょっと待っ──」

 

 今度はルカナの顎に痛みが走る。そして脳が揺れた。 

 リーシュがルカナの顎を右足で蹴り上げたのだ。ご丁寧に、鉄板入りのつま先部分を使って。

 ルカナの意識がまだあるので、蹴り上げていた右足を少し動かして、足の裏でルカナの顔面を潰すように蹴った。

 情け容赦ない追撃である。相手が美少女だろうとなんだろうとリーシュには関係なかった。

 

 中々エゲツない追撃に、先ほどまで追い込まれたルファも「え、えええ……」と声を漏らしている。

 

 「お前、どこの誰だ」

 

 顔面を踏んだままリーシュが言う。それに対しルカナは何やら言っているようだが、踏まれているので上手く喋れない。

 いつまでも踏まれっぱなしでいるほどルカナは大人しくない。残った左手でリーシュの右足を掴もうとする。

 リーシュはそれを足を引いて躱すと、今度は左足でルカナのこめかみを狙って蹴りを繰り出す。

 

 ルカナは素早く反応し額で蹴りを受ける。額の硬さに驚くリーシュ。

 思い切り蹴ったというのにルカナの頭は揺れることなく、逆に蹴りを弾き返した。

 座り込んだままのルカナだったが、その隙に立ち上がるとリーシュから距離を取る。

 

 「い、痛いよー! なになになんなの! 右腕はどうでもいいけど……問答無用で美少女の顔面を殴るなんて! いやそれどころか踏んじゃうし! 鬼畜の所業かッ!」

 

 リーシュを責めるルカナの顔には見事な靴跡がついており、鼻からはダラダラと血が流れていた。美少女が台無しである。

 リーシュは距離を取られたことに対して舌打ちをすると、ルカナから目を離さないまま床に刺さってしまっていた大剣を回収し、ルファ達を庇うように立つ。

 ルカナの右腕を斬った際に力を入れすぎて刺さってしまったのだ。

 

 その後ルカナが状況を理解する前にダメージを与える事を優先して、床に刺さった剣を引き抜くより手っ取り早い格闘戦に移行した。

 リーシュとしては顎を蹴り上げた時に相手は意識を失うものだと思っていたが、ルカナが恐ろしく打たれ強かったのは誤算であった。

 

 「頑丈な奴……」

 「『頑丈な奴……』じゃないよ! 鬼なの!? ぜーんぶ顔面狙いの攻撃とか鬼なのッ!? あれ、よく見たらお兄さんすっごい私の好みなんだけど!?」

 「うるさいな。お前誰だ、何でこいつを狙った」

 「冷たくしないでよ……こいつって、その可愛い娘の事? 驚いちゃったなあ、こんなところでアルケディシアの術を見れるなんてさ! つい夢中になっちゃってお兄さんに気付かなかったよ。失敗したなあ……」

 

 肘から先が失くなった右腕を左手で抑えながら口を尖らせるルカナ。今のところリーシュにこてんぱんにやられているのに緊張感は全く無いし怒ってもいない。

 むしろどこか機嫌が良いように見える。

 

 「あ、そうだ。私はルカナ! 見ての通り超絶美少女だよ! お兄さん的に私はどう? 超可愛いとか超綺麗とか思ってくれる?」

 

 そう言って少し顔を傾けてウィンクするが、未だに鼻血は出ているし靴跡もついたままなので様にならない。

 

 「その鎧、法刃隊か。どうしてここに来た」

 「無視しないでよ……お兄さんは私のこと見て何も思わないんだね? 私の瞳、不気味じゃないの?」

 「そんな事どうでもいい。どうしてここに来た、ガリオンはどうした?」

 「つーめーたーいー! でも冷たくされるのも良いかも……!」

 

 ルカナは、にまにまとだらしなくニヤける。

 

 「ああ、そうそう。ガリオンって厳ついオジサンだよね? あのオジサンなら殺しちゃった! ルカナちゃん美少女でしかも最強だからさー、遊んでたつもりだったんだけど勢い余って『えいっ!』ってやっちゃった!」

 「…………!」

 「そ、そんな!」

 

 リーシュは静かに目を見開き、ルファは驚き声をあげる。そんな二人を見てルカナは唇の端を吊り上げた。

 

 「──さあ、遊ぼうよ! ここからが本番だよ?」

 

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ルフォレシアの剣 灰島シキ @sikiko

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