白紙

 私は何も持っていなかった。よく器用だねと言われるけど、どれも中途半端でしょせん器用貧乏にしかなることができない人間なんだ、という事実を突きつけられている気がしてならなかった。

 飽き性なのも結局極めたところでそこのプロには勝てないのがわかっていて、傷つくのが怖いから逃げていただけだ。世の中で持て囃されている人たちに敵いっこないと最初から決めつけていた。


 大学生になって、ますます勝負するのが怖くなった。あたりを見渡すとごろごろと才能のある人がいて、何も持っていない自分に気が付くたびに後ろめたさで思わず死にたくなった。

 大学に行けばきっと何かしたいことが見つかるよ。夢中でそのこと以外考える余裕がなくなる何かを見つけろ。私にはその何かを手に入れられる日が来るのか、才能がもしあるのならそれはいつ開花するのか。何一つわからないまま十代を終えてしまった。



「来週からは結月君の脚本の撮影が始めていこうと思う。今月の上映会以上にいいものをみんなで作り上げよう。お疲れさま! 乾杯!」

 部長の音頭で飲み会が始まる。

 皆川、私と同じ二年生。これまで脚本を書いていた先輩が今月の上映会で引退するということで、彼女の脚本が採用された。

 私は演技が、というか人前で何かをすることが苦手だったので必然的に裏方に回ることになった。ずっと道具を作るだけの日々。自分の書いた世界を人に演じてもらって、それを観客に見てもらう。そんなことは夢のまた夢の話だった。そもそも脚本を書き上げることすらできなかった。何となく構想はあるし、書き始めはとても楽しい。けれども、途中からだんだん書けなくなってきて、こんなの面白くないよねと筆を止めてしまう。そうしてたまっていくのは起承転結の起くらいで話が止まっている無数のワードファイルと自身への苛々だけだった。


 サークルでは他人になじめないままだ。高校生くらいのころから人とうまく関係を築くのが苦手になった。飲み会でもずっと端の方で余っている料理を食べて、ひっそり酒を飲むだけ。酒を飲むたびに自分の弱い部分が暴かれるようで、生きるのがつらい、なんで私は生きてるんだろうと泣きたくなった。こんな人生に何の意味があるのか片っ端から人に訊いて回ってお前生きてる意味ないよと徹底的に否定してもらいたかった。

 酒に弱いのに素面でいるのがつらくてたまらないから度数の酒をたくさん飲んだせいか、頭がふわふわというよりかはぐわんぐわんといった風に揺さぶられている感覚を覚えた。どうにでもなれと思った。



 経緯はよくわからない。けれども、とりあえず皆川と私は川辺で風にあたっていた。

「お、気づいた? 結構飲んだみたいね。意識があるのかないのかすらよくわからないから死んだかと思った」

「どうせなら死ねたらよかった」

 自暴自棄、そんな言葉が脳裏をよぎる。

「どうして?」

「あんたみたいな天才が憎いから。天才に勝てない勝とうという努力すらできない自分が憎いから」

 皆川とはあまり親しく会話をした覚えはない。下の名前すら知らない。ただ同学年の女子で飲み会に参加していたから介抱を任せられたのだろう。とんだ災難だ。介抱してやった相手の恨み言に付き合わされるとは。

「天才、ね。優はさ、何か好きなこととかあるの?」

 彼女のきれいな黒髪が揺れる。深海を想起させる瞳が私を捉えて離さない。

「それがあったらこんな惨めな生き方してないと思う」


 夜の川は美しかった。美しいものを見るたびにそれを表現する言葉を探すけれどいつも見つけることはできない。お勉強が少しできるくらいで学問に熱中できるわけでもなかった。地元では一番頭がいいと言われている大学でも、熱意のない人間は結局落ちこぼれて終わり。熱意をもった秀才でも、狂気をもった天才でもない私は。

「何もないわけなんてないよ」

「何もないから諦めたんだよ! 何もない人のことわからないのに知った口きくなよ!」

 夢中で叫んでいた。

「頑張ってもうまくいかない、失敗するくらいなら最初からやらないほうがいい。だってださいじゃん。頑張ったのにだめだったって。全力で本気で懸命にやってうまくいかなかったら言い訳できないじゃん。私は白紙。何にもかいてないんだよ」


 皆川は私の話を真剣な顔で聞いていた。それからゆっくりと、語る。

「才能って言葉、あまりよくないと思う。定義があいまいだし。別に何か一つに本気で取り組まなくたっていい、命を燃やすように熱中できる人間なんてほんの一握りだよ。真っ白って何にでも染まることができる色。何にもかいてない? そんなわけない。優はただ一歩踏み出せてないだけ。器用貧乏は何も極められないんじゃないよ。どれをやるにしてもスタート地点が他の人よりも前にあるんだ」

「でもすぐにやめちゃうから抜かされる」

「抜かされたくない何かなら?」

「何か、なんてないよ」

「ううん。あるよ。優にはちゃんと」

 皆川はスマホの画面をこちらに向ける。私のSNSアカウントのプロフィールが映し出されていた。

「これ優でしょ?」

「どうして……」

 実名じゃないしほとんどプライベートのことも書き込んでいない。

「優の言葉だから。この文章、優しく人に寄り添うあたたかい言葉で描かれた世界。高校生のころから見てた。まさか作者に出会えるだなんて思ってなかったけど」


 激流のように思考が、感情が脳内を駆け巡って言葉が出てこない。高校生のときに書いた文。思いついたことを書きなぐった、言葉の群れ。

「見たときにもしや、と思って話してみてやっぱりそうなんだと確信したよ。それを見て私はまた創作してみようと思ったの」

「また?」

「昔ね、私は絵を描いていたの。やめちゃったんだけどね。いろいろしんどくなって。私ね、優の小説読んで脚本書こうと思ったんだ。途中で終わってたけど、私の心をつかむのには十分だったよ」

「そんなの嘘。どうせ内心レベル低いなって見下してるんでしょ! つまんないってコメントがついてた。私はそれを見て書くのをやめた」

「顔も見たことのない有象無象の言葉なんて気にしないで、ねぇ。私は好きだから」


 皆川の瞳に雫がたまって、やがてそれが頬を伝い、河原に落ちる。私は戸惑い、泣きたいのはこっちだよと叫びたくなった。涙を右手で拭って次の瞬間私は結月の胸に抱き寄せられた。

「いいんだよ。自分のしたいことをしたら。誰かにどう思われるかなんて、どうでもいい。人生は自分のもんなんだよ。他の人に壊されちゃダメ」

 泣きそうだった。いや、泣いていた。

「優だけだったんだよ。昔も今も私と対等に話してくれたのは。大学に入って、人に変に思われないか不安でいっぱいだったときに話しかけてくれて、サークルにも誘ってくれた」

「昔も?」

「まだ気づかないの? 悲しいなぁ、私はすぐにわかったんだけど。ほら絵描きの」

「あ、あ! ゆづちゃん? ゆづちゃんなの? でも、名前……」

「苗字はいろいろあってね。ゆづちゃん、か。たしかそう呼ばれてたね。懐かしい」

「雰囲気変わりすぎでしょ。昔は自分のこと僕って言ってたし」

「そりゃ小学生のころとは変わるでしょ。アカウントの主が優って気づけたのも私が優に書いたイラストをアイコンに使ってたからだよ。優だけは私のことを一人の人間として見てくれた。だから、だから」

 結月の声が震えて、私を抱く力が強くなって、私は涙で顔がぐちゃぐちゃになって何も話せなくて、しばらくそのままでいた。

「私が、小説書いたらさ、そ、その、読んでくれない?」


 訊きたいことは山ほどあった。あれからの生活のこと、絵のこと、いろいろ。けれども、今言わなくちゃいけないこと、違う、言いたいことはこれだけだった。

 才能なんて、いらない。私の言葉はちゃんと人に届いていた。たった一人でも、世界で私のことを認めてくれる人がいたらそれでいい。私の心は他の誰にも削らせない。私が彫る。本当に私が求めていたのは、秀才の熱意でも、天才の狂気でもなくて、誰かの愛だった。肯定だった。

 川の流れを二人で眺める。見上げれば夏の大三角。デネブ、アルタイル、ベガ。宇宙の光が照らしてくれる。言葉にできないくらい美しいからこそ、絶対的に人の心をつかむもの。

まだまだ自信なんてないけど、私は書く。美しさを表現できなくても、誰かにバカにされても、一人じゃない。

 すっかり酔いは醒めて、ぼんやりとしていた世界の輪郭がはっきりしてくる。ありがとう、そのつぶやきは夏の夜空に吸い込まれていった。




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贈り物 鈴風 @huhu-ri

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