贈り物

鈴風

彫刻

 彼女は絵を描いていた。物心がついたころにはクレヨンで画用紙に落書きをしていたらしい。彼女の親はすぐに彼女の才能に気づき、幼稚園に通う歳になるとほぼ同時に絵画の教室に通わせた。その成果があったかなかったかは定かではないが、彼女は類まれな才能を開花させた。指導を受けた彼女は、すぐに先生ですら手に負えないレベルにまでにその画力を高めた。彼女の作り出す作品には人をひきつける魔力があるように思われた。芸術の神に祝福された若き天才とメディアが騒ぎ始めたのは彼女が九九を覚えたころである。


 彼女は絵を描くことが大好きであった。何よりもカンバスに向かって筆を振るっている時間を愛していた。しかし、順風満帆のように思われた彼女の画家人生はそう長く続かなかった。

 彼女の周りの人間は彼女が作品を発表するたびに称賛し、若いのにすごいねと口にした。実際彼女は齢十二という若さで日本中に名をはせる画家であった。しかし、彼女は有名になればなるほど得体のしれない何かに足を引っ張られるような、闇に引きずり込まれるような感覚を覚えた。期待に応えなければならない、望まれるような絵を描かなければならない、がっかりさせてはいけない。無心で自分が描きたいものを描いていたころとは打って変わり、窮屈さを感じた。それはある種の呪いのようなものとして彼女の脳内にどっしりと座り込んでいた。


 彼女は芸術家であり、右脳が非常に発達していた。とくに空間認知能力においては右に出る者はいなかっただろう。しかし、その一方で彼女は非常に論理を重んじた。論理が通っていない発言に彼女は人一倍敏感であった。それゆえクラスでは同年代の人間と話が合うはずもなく孤立していた。また、教師からも嫌われていた。「ちっ、絵がちょっとうまいだけのくせに調子に乗りやがって」

「あー天才さんは私たち阿保とは違いましたね、はいはいごめんなさい」

 彼女は耐え忍んだ。一人、ただ一人彼女が心を許した相手がいたのだが、その子が親の都合で転校をすることになってしまい、再び心を閉ざすこととなった。


 彼女が仮定法を習う頃には絵を描くこと以外にも仕事が増えていった。この言い方だと語弊があるが、これまでのカンバスに絵を描く仕事以外にもイラストレーターとしての仕事やアニメーションを作る仕事まで依頼が舞い込んできたということだ。明らかに高校生がこなせる仕事量ではなかったが、彼女はいつかまた、ただ無心で絵を描いていたあの頃の感情を取り戻す日が来るはずだ、と淡々と数々の名作をうみだしていった。


 そんな彼女も羽を伸ばせる場所を見つけた。匿名で画像付きの投稿が可能なSNSサービスだ。そこでは自分が描きたいものを、思う存分描くことができた。誰の気を遣う必要なんてない。ただ、自分が表現したいことを表現することができた。

 彼女は描き続けた。天才と言われ、その重圧に壊されかけていた。それでも、ひたすらに描き続けた。時には自称評論家の有象無象が読むに値しない作品を否定するコメントをしてきても、彼女は気にしなかった。全く傷つかなかったかと言われれば嘘になる。なぜなら彼女はひたすら称賛されて生きてきたからで、若き天才として期待に応え続けてきたからだ。それでも、彼女にとって描きたいものを描くことができるというのはこの上ない僥倖であった。


 彼女は己の才能を少し低く見積もっていたのかもしれない。彼女ほどの才能の持ち主が描いた絵は、どう足掻こうと大衆に賛美される運命にあったのだ。望もうが、望まなかろうが、芸術的才能が彼女を陽の当たる場所に導いてしまう。

 彼女のアカウントはたちまちインターネット上で注目の的となった。彼女は器用に仕事のものとは絵柄を変えていたが、どこか幻想的で象徴的で耽美で見る者を魅了する魔力を隠しきることはできなかった。


 やがて彼女は絵を描くことがつらくなってきた。妄信的に彼女を慕うコメントを残す信者のような存在が、嫉妬し自分の才能のなさを人や環境のせいにして罵詈雑言をストレス解消がためにぶつけてくるような存在が憎く感じられた。自分の輪郭が少しずつ薄れていくような感覚、少しずつ酸素が薄れていくような感覚。もはや楽しくは、なかった。  


 彼女は天才であるがゆえに周りの人間を見下したりしたことはなかった。しかし、他人に己の人生が侵されていくことに辟易していた。次元の低い考えしかできない人間を哀れに思った。

 彼女曰く、芸術とは自分の心という素材を削り出す行為だ。削れば削るほど洗練されれ、美しいものが生み出される。ただし、削れば削るほど自分という領域が失われていく。

 暗闇の中。何も見えない世界に光を灯すような、絶望しかけている人間のよりどころになるような創作を望んだ。周りの人間には、うみだされる光だけを評価してほしかった。彼女は自身に興味を持たれたくなかった。彼女自身を評価しないでほしかった。作者が作品を差し置いて多くを語るのは間違いだと信じてやまなかった。しかし彼女はすでに絶望していた。作品がこんなにも雄弁に語っているのに誰もそれに目を止めようとせず、あろうことか作者を評価しようとする。彼女は己を殺すことにした。


 彼女は天才画家としての人生を終わらせることを発表した。もちろん、SNSでのイラストの投稿もやめた。彼女自身が身を引くことで、これまでの彼女の作品は作品自体の価値を認めてもらえるようになると考えた結果の行動だという。

 当然、世間は騒然とした。若き天才の突然の幕引きはさまざまな憶測を呼んだ。「若い天才と持て囃されることに疲れた」とだけ彼女は引退に際しコメントを残した。このコメントがさらに議論の旋風を巻き起こすこととなった。

 結果的に人々は彼女の思う通りに動くこととなった。彼女自身の権威が失墜することで作品たちは一人立ちすることとなり、再評価を受けられる。

 彼女は死に、作品たちはうまれなおした。

 名声を捨てるというある種のエンターテインメントが彼女の最後の作品となった。

 全てを失って、しかし彼女は幸せそうに笑っていた。

「僕は何かを救いたくて描いている、と思っていたんだ。でも、それは違った。私はきっと何かを徹底的にぶっ壊したかった。破壊という美を表現したかった。そして、そのうえでそれが誰かの救いになってくれたなら嬉しいね。で、僕は若き天才というブランドを破壊することに決めたんだ。どこかの誰かが喉から手が出るほど欲しがってるものを自ら捨て去る。足枷を失くせば僕は自由になれる。人はそんな僕をかわいそうと思うかもしれない。バカだと思うかもしれない。でもそんなの全部、お門違いだ。全部失った僕が不幸に見えるならそいつの目は節穴だ。本質を見れちゃいない。画家としての自分が死んだだけであって、僕はまだ生きている。こんなことをしても別に平気で生きてられるよってことを証明したかった。失職だからね、言ってしまえば。生きるのがつらい。そう思う人は世界に数えきれないほどいると思うし、その人たちに全力で生きろ、生きてりゃいいことあるよなんて残酷な言葉を投げかけるつもりはないよ。でも、せめて、命を破壊する前に他に破壊できるものは全部破壊してほしいんだ。破壊は美しいから。それでもなお満足できなかったのなら仕方ない。何も思い残すことなく逝けばいい。とにかく何が言いたいって、全部失ったって僕は幸せに凡人としての生を楽しんでるよってこと。気にくわないならやめてしまえばいい。捨ててしまえばいい。そういう行動をいざというときに取れる勇気を誰かが持ってくれたらそれでいい。これが僕からの最後のプレゼント」


 彼女が自分のことを「僕」と言ったのは、これが最後である。

 村瀬結月は新たな人生を歩み始めた。

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