春の狂気
荒瀬 悠人
第1話
生きてるかのようだった。先輩が描くツバメは。
息を呑むほどに美しい先輩の絵。
私が特に好きな作品が、美女の裸体とツバメ。その美しいモデルこそ先輩の彼女だった。
彼女は桜の花が大好きで
「桜に生まれ変わりたい」
といつも先輩に話していたという。
春になると、二人は桜を見に旅行に出かけていた。二人は本当に仲が良く、大学でもいつも一緒だった。
だからこそ、私はよく見かける二人の可愛らしいやりとりが大好きだった。
「今日もいるのね」
「今日もいるよ」
先輩たちは私の理想のカップルだった。
ある日、彼女が突然行方不明になってしまった。
詳細は何も分からない。先輩は彼女の行方を懸命に探していた。だが、彼女はいっこうに見つからない。
そして日が経つにつれ、先輩の様子がおかしくなっていった。髭は伸び、肌は荒れて、目の下には濃いクマができ、行方不明になった日から着替えていないのか、シャツも酷く汚れていた。
以前の私が理想としていた、先輩の姿はそこにはなかった。
この頃から、先輩は周りに奇妙な事を言い始めた。
「彼女はね、きっと桜になってしまったんだよ。老けていく姿なんて誰にも見せたくないだろ?美しいままでいたいから桜になったんだ。僕には分かる」
周囲も最初は心配していたが、次第に先輩との会話を避けるようになった。
愛した人を探して、孤立していく先輩を見ていて心がとても傷んだが、それ故に壊れていく先輩が怖かった。
私も中庭で絵を描いている先輩を見かけたことがある。
先輩は、彼女が愛した桜の絵を描きながら
「ずっと一緒だからね。ずっと・・・」
と呟いていた。
取り憑かれた様に絵を描く先輩の姿は、まるで狂気の沙汰だった。
それから間もなく、先輩は会話が成立しなくなり、精神病院に入院したと友達から聞いた。
そして時は過ぎ、移り変わる生活の中で、皆先輩のことは徐々に忘れていった。私も春景色を楽しみ、家の近くの桜通りで、のんびりと散歩をしていた。
すると突然、空気が張り裂けるような悲鳴が聞こえた。
何かあったのかと声が聞こえる方へ急いで向かう。
そこには、気が狂うほど咲き乱れた桜の木に縋りつく、ボロボロな姿の先輩がいた。
「やっと見つけたよ。君なんだね。綺麗だ。本当に綺麗だよ。やっと一緒にいれるね。愛してるよ」
まるで彼女なんだと信じ込み、桜の木に話しかける先輩。
私はその異様な光景に、目を奪われてしまった。
見つめていると吸い込まれそうなほど美しく咲いた桜。膝をつき、涙を流しながら愛を唱える先輩。
その姿はまるで宗教画のように神秘的で儚く、そして美しく見えた。風が吹くと桜の花びらからはなぜか彼女の香りがした。
ふと気がつくと先輩の手から桜の花びらが舞い、先輩が消えていくのが分かった。
驚いて声をかけようとしたその瞬間、先輩は一気に花びらとなり、風に舞って消えていってしまった。
それから先輩を探したが、どこを探しても先輩は見つからなかった。
そして桜が散った今もなお、先輩を見た者はいない。ただ先輩の行方が分からなくなった日から、あの桜の木にツバメが一羽、居着くようになった。
そのツバメは先輩が描くツバメにとてもよく似ており、まるで桜の木を愛してるかのように一時も離れなかったという。
「今日もいるのね」
「今日もいるよ」
春の狂気 荒瀬 悠人 @arase_yuto
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