第8話:ハイスピード・ハイウェイ

第8話①:負け犬の帰還

 ホテルの一室。

 夕日によって赤く染まる街並みが、部屋一面の窓から眺められる。

 遮光機能によって眩しすぎない室内は、その幻想的な赤い光で適度に明るい。

「準備が整うまでは、のんびりしよう。食べていいんだよ」

 テーブルには甘いお菓子が並ぶ。人工甘味料ではない砂糖を使った焼き菓子。

 甘く香ばしい香りは食欲をそそる。

「温かいうちに食べたほうが、おいしいんだ」

 足を組みながらタブレット端末を操作するシューイチは、視線を外すことなく隣のテーブルに置かれたクッキーを取って齧る。

「うん。おいしい。下界のことはよく知らないけど、こういった物は食べれないだろ?」

 テーブルを挟んだ隣には、首輪によって能力を制御されたジェニファーが目を伏せて座っている。決して目を合わせようとせず、ただ俯いて大人しくする。

 能力は感情によって作用される。

 シュウイチに対する恐れや怒り、そして不安を抑え込むために、ジェニファーは自己を押し殺していた。うっかり目を合わせて、能力が暴走でもしたら、首輪によるあの苦しみをまた受けることになる。

 必死で感情を殺して、平静を溜まっていた。


 シュウイチは反応のないことを知りながらも、勝手に話し続けていると、屈強なスーツ姿の男(連れてきた護衛【エンフォーサー】の一人)が近づいてくる。

「終わった?」

「はい。出発の準備も整いました」

「ふーん。今から出たとして襲撃の可能性は……まぁ、こんなもんか」

 タブレット端末を操作すると、内蔵された人工知能(AI)があらゆるところから集積されるビッグデータから、これから起こりえる襲撃者や襲撃場所、時間などをリストにして弾き出す。それによって、帰りのルートや時間帯の最適解を提示してくれる。

 もちろん、AIの提示する襲撃リストは、未来の観測ではなく、あくまでも可能性に他ならない。しかし、過去に事例や、犯罪の傾向、どのような人がいるかなど、到底人間ではさばききれない膨大なデータによる仮定は、かなり角度の高いものだ。

 そして、そのAIによれば、すぐに出た場合が最も襲撃の可能性が低いというもの。最もどれだけ高くても20%を超える結果は出てないので、ほぼ安全に帰還できるだろう。

 邪魔になりそうな存在は事前に排除しているので、当然といえば当然の結果だ。

 仮に襲撃を受けたとしても、返り討ちにできる程度の戦力は揃えているが。

「これから、この街を出る。これを運転手に渡しといて、街を出る最適なルートだから」

 タブレット端末を護衛に手渡して立ち上がるシュウイチだが、エンフォーサーがまだ何かを言いたそうに立っていることに気付いた。

「なに?」

「あの、お話したいと言う方が来てます」

「俺に? 来てる?」

 通信ではなく、直に会いに来たことに眉を顰める。

 思い当たるとしたら、ジェニファー・パックの取引にかかわったブリッツたちだろう。しかし、もしその街のチンピラならエンフォーサーの態度がおかしい。明らかに彼よりも目上の存在が、来ているのだろう。

「引き留めはしたのですが、どうしても、と扉の外まで」

しかも、相手はかなり強権的な訪問らしい。どうしようか、とわずかに漏れる困惑の態度から想像できる。

「面倒なことはごめんだぞ。これから街を出るのに」


「街を出んのか? ちょうど良かったぜ。それに時間は取らせねぇよ」


 ノックもせずに入ってきた大男は軽く笑いながら、扉の前に立つ。

 部屋の外で引き留めたであろうエンフォーサーたちが、床に転がっているのを開け放たれた扉から見える。

 突然の乱入者に、ジェニファーは椅子の背もたれから、恐る恐る様子を眺めると、そこには見上げるほどの巨体に短い金髪の大男がいた。凶悪な鋭い眼光は人を睨むだけで射殺しそうなほど。引き千切れたガスマスクの残骸が、口元を覆う呼吸器部分からぶら下がっている。身に着ける服もスラムで過ごすように襤褸切れ同然なものだった。


 シュウイチはその姿を見るや、可笑しそうに噴き出す。

「なんだよ、お前、その恰好! マジか! ウケるわー。お腹痛いお腹痛い」

 キャラからは想像できなかったシュウイチの笑いように、ジェニファーは虚を突かれる。一方、笑われた大男は、ふてくされた顔をしている。

「何がそんなにおもしれーんだ! クソが」

「負け犬ー!」

「お前、ホント嫌な奴だな!」

「ゲイリー・フォノラズに負けて、よく顔が出せたな?」

 未だに笑いの収まらないシュウイチの言葉に、大男は苦い顔をする。

 グスタフ・ザ・レイド。

 イージスマイルとライデッカー・カンパニーの提携を阻止し、逆に吸収合併するために派遣された男だ。しかし、それは失敗に。

 グスタフもゲイリーに苦渋を舐めさせられた。


「俺は負けてねぇ! 全力を出し切ってない。次に機会があれば『ハイド』を使う」


「はい。彼をよく見て。これがよく言う『負け犬の遠吠え』」

「誰が負け犬だ!」

 シュウイチは、椅子に隠れながら恐る恐るグスタフを眺めるジェニファーに言う。そこでグスタフも始めて少女の存在に気付いた。

「誰だ? このガキは」

「新しい社員だ。俺はこの子を迎えに来た」

「見たことある面だな」

 グスタフはズカズカと大股で部屋へと入り、ジェニファーを見下ろす。

「そりゃ、そうだろ。君の負けたゲイリーと一緒にいたんだから」

 あえて「負けた」を強調するシュウイチに、苛立たしく喉を鳴らす。

「だ、か、ら。次は勝つって言ってんだろ!」


「それは無理だね。ゲイリー・フォノラズは消滅した」


 何気なく言ったセリフだったが、ジェニファーはザワリと心が荒れる。そのざわめきが大きくなる前に、彼女は椅子に座りなおして、目を強く瞑って頭の中で数を数える。

「IFRBを使用したからな」

「確かに雑踏区でボム騒ぎがあったが、お前か」

「正確には、俺が渡したボムを使ったようだな」

「クソが。なら、さすがに跡形もねぇな」

 グスタフは悪態を吐くながら、乱暴にマスク部分を外す。その奥にはいくつも機器が取り付けられており、両端が大きく裂けた口が現れる。そして、テーブルの並べられたクッキーを鷲掴み、大きな口に押し込む。

「ゲイリー・フォノラズを確実に仕留めるには、これが一番だという分析結果だ」

 それを聞いてもグスタフは不服そうにクッキーを頬張る。

「汚名をそそいで、うちに戻る気だったか?」

 答えはしなかったが、不機嫌に唸っている姿を見れば、正解なことは分かる。

「社長、怒っていたからな」

「キャシアンは関係ねぇよ。負けっぱなしじゃ、戻れねぇ。俺の問題だ」

「まぁ、いい。一緒に連れて帰ってやる」

 その言い方が気に入らなかったらしく、皿のあるクッキーを全て口に詰め込むことで、苛立ちによる悪態を我慢したようだ。口から食べカスを零しながら、獣のように唸っている。


「そろそろ、時間だ。パック。来るんだ」


 いつもの口調に戻るシュウイチの声に、ジェニファーは弾かれた様に椅子から立ち上がると、小走りで後を付いていく。

その様子にシュウイチは、目を細めて満足げにニタリと笑う。


「さぁ、帰ろう。我が家へ」


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