第7話③:死の影
大きな仕事を終えた後は、気が緩むものだ。
クライアントのいなくなった室内で、ブリッツはソファーに身を預け、だらけていた。離れた所のバーカウンターではヴァルカンが酒を飲む。他にも控える部下たちもそれぞれにくつろいでいる。
部屋に設置される大量のモニターにはビル中の監視カメラの映像が映し出されており、サイバーアイによる複眼を持つプログラマーが3人で管理している。
アジトにしている建物は、幽玄区のゴーストビルの一つ。昔は多くの者が住んでいたマンションだったらしいが、企業による区画整理や老朽化などが原因で棄てられた場所だ。ブリッツが占拠してからは、ストリート育ちのはぐれモノが、居住スペースを求めて仲間に加わることも増え、組織の規模は順調に大きくなっている。
ビジネスも軌道に乗り始め、金回りも良くなった。そうなれば他の組織からのやっかみも出てくるが、潤沢な資金と得意の腕っぷしで黙らせてきた。
そして、今回のビジネスで、企業との太いパイプもできた。
雲行きが怪しくなったこともあったが、終わってしまえば関係ない。満足感と達成感にブリッツも大きな息を吐き出す。
『聞こえてるか? ブリッツ』
突然、ビル全体のスピーカーから声が聞こえてくる。このビル内で彼のことを呼び捨てにする者などいない。
「なんだ?」
いきなり名指しで呼ばれたことに驚き、跳ね起きる。他の者も、異様な事態に凍り付いていた。
「どっからの放送だ?」
ビルシステムを管理する3人のプログラマーに尋ねるが、彼らは眉を顰めて首を横に振る。
「分かりません。監視カメラや見回りをする者たちからは不審者らしき影はありませんでした」
「んなこと言っても、こうして館内放送をかけられてるってことは、声の主はこの中にいるんだろ! 探し出せ!」
ブリッツは声を荒げながらも必死で考える。
どうやって誰にも気付かれずに侵入したのか?
どこから放送しているのか?
何より、この声の主は誰だ?
『勝手に持ってかれたもんを、取り返しに来たぜ』
その言葉を聞いて、ジェニファーと一緒にいた冴えない男の顔がようやく思い浮かんだ。名前は確か、トウマ・カガリだ。
しかし、あれだけの攻撃を受けて生きていたとは思えない。ましてや動けるとは、もしかしたら何かしらのノックだったのか? いや、報告では彼はただのオーディー(無能力者)だったはずだ。
☆ ★ ☆
少し時間をさかのぼる。
ビルの見回りは新入りの仕事だ。
2人一組で動いており、定期的に現状報告を義務付けられている。
人気のない場所のため、仲間以外で人影を見ることはほぼない。そのため、見回りは形骸化しがちで、特に若い者たちの中には不真面目な者もいる。
「こちらは異常なし!」
ビルの日陰になる部分でサボる見張りの声だけはやる気に満ちている。
「こんなことやってられねぇよな」
「早く見張りを卒業したいぜ」
交代の時間を気にしながらタバコを吸う2人。先ほど変わったばかりなので、まだ時間はある。一応、持ち場は1度だけ確認しているので、今日のノルマは終了だ。と、勝手に決めている。
暇な仕事に不服を言い合う2人は、下品な冗談に笑っていると、何やら音が聞こえた。慌てて銃を構えて音の方へと向いたが、そこには誰もいない。
「何だっ……?」
視線を相方に戻しながら問いかけた言葉が止まる。
そこには相方の首に腕を絡めて捩じる影があった。
音も気配もなく、まるで本物の影のように現れたそれは、もう一人が何かを言うよりも早く、その口を塞いだ。
いくら真面目に見回りをしていたとしても、自然現象には勝てない。
「早く済ませろよ」
「分かってるよ!」
ビルの1階、共同スペースに設置されたトイレに入る。急いで小便器の前に立ち、用を済ませる。我慢していた分、放尿の解放感に思わずため息が漏れる。
「こりゃ、めっちゃ出るぞ!」
外で待つ相方に大声で言うと、「そんな報告はいらねぇよ!」との返答。確かにそうだ。と笑う男の背後に忍び寄る影。
後頭部と膝に固いものがぶつかった、と思った時には倒されて便器に頭を突っ込んでいた。流される水の音が、彼の倒れた音を掻き消したようだ。
影が起きたのか、水に濡れる顔を持ち上げようとする頭を、背後の影が踏み砕いた。
「おい。何か音しなかったか?」
トイレの外で待っていた相方が扉を開いて窺うと、そこにはまだ水の流れている小便器だけ。誰もいない。
「どうした?」
一歩踏み込んだ瞬間、開いた扉の陰にいた人物が音もなく現れたかと思うと、片方の手で口を塞ぎ、もう片方の拳が左胸を重く打つ。
タイヤでも殴ったような鈍い音とたてながら、カフィール手術によって埋め込まれた金属から電撃が走って男を貫いた。一瞬、痙攣するように体をビクつかせるが、力なく崩れ落ちる。
誰もこの出来事に気付かない。
着々と確実に淡々と襲われていく見張り達。
どんどん減っているのに気付かない。
彼らに忍び寄る死の影に。
見張りの休憩室として使われる中層階の1室。
6人が中で談笑している。
完全に油断している様子だが、無理もない。ここまで誰にも気付かれることなく来るのは不可能だから。ブリッツのいるマザールームと比べればみすぼらしいが、ここにも監視カメラの映像を確認するディスプレイは置かれており、階下や廊下の様子は見ることができる。
異常な事態などなかった。この時までは。
ブレーカーでも落ちたように部屋中の明かりが消える。
「何事だ?」
見張り達は飛び上がると暗い部屋を見渡し、携帯ライトで室内を照らす。
「ここだけか? それともビル全体か?」
「分からねぇよ!」
「念のためマザールームに報告しろ」
「おい、通信が切れてやがるぞ」
「廊下に出て確認しろよ!」
焦りと苛立ちに声も荒々しくなる。
1人が先陣をきって廊下へつながる扉を開いた。
廊下の明かりはついている。停電はこの部屋だけの様だ。明かりが見えるだけで、少しホッとする。
一方、入り口に立ち尽くす見張りは微動だにしない。
「どうした?」
そう問いかけるよりも早く、部屋に何かが投げこまれる。
それは強烈な光は放ち、見張り達の視界を奪った。
微かに見える中、入り口に立っている男の脇を影が縫うように入ってきた。手には明かりを不気味に反射する刃物が見える。
侵入者だ!
そう思って銃を撃とうとするが、影は体に纏わりつくように通り過ぎていった。
誰もが引き金を引くことはできない。糸が切れたように全員倒れた。
影はしばらく立ち尽くすと、入り口付近で倒れる1人を中へと引きずり込んで扉を閉める。そして、小型の端末を操作して部屋の照明を点灯させた。
明るくなった室内に、トウマは少し眩しそうに顔を顰める。周囲を見れば、見張り達の死体、そして一面が血の海だ。全員、あらゆる急所から血を流して絶命している。
トウマの手には、爪のように湾曲した刃に柄の先端にはリングのついたカランビットナイフがあった。血で汚れた刃をズボンの裾で拭きながらしまうと、テーブルに背負ったリュックを降ろす。ハンドガン、アサルトライフル、各種弾丸を並べてチェック。そして、それらを基の場所に仕舞いなおす。
トウマは自身の端末をビルに接続している端末につなげてから、部屋の受話器を手に取り、口を開いた。
「聞こえてるか? ブリッツ」
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