第5話:帝王の憂鬱

第5話①:日常

 周囲にあるのは暗闇だけ。

 何も見えず、何も聞こえない。

 広大な暗黒をただ漂う。

 時間も、次元も、存在も否定されたような世界。苦痛も、怒りも、恐怖もなく、身を委ねる。永遠とも思える時をさまよっていると、次第に体が浮かび上がる感覚。

 それはどんどん加速していき、気が付けば一変して光に包まれていた……。



 ゲイリーは緩やかに目覚めた。

 いつもと変わらない事務所の天井をしばらく見つめてから、ゆっくりと体を起こす。

 ベッド代わりに使っている彼専用のソファーから降り、事務所内を見渡す。

 違和感。

 いつもならうるさい声が聞こえるが、今日はやけに静かだ。

 その答えはテーブルの置手紙に書いてある。


『トウマとジェニファー、お出かけ中』


 脇に置いてある紙袋に入っているパンを手に取り齧りながら、メモを眺める。そう言えば、一緒に出掛けると聞いていた気もするが、あまり覚えてない。仕事が何もないので、今日は休日、ということは覚えている。

 メモを握りつぶして捨てると、テーブルをタップする。

 様々な情報のホログラムが浮かび上がり、その一つを選択してスライドするとそのニュースが壁のディスプレイに移動して映し出された。

 整った顔のキャスターが非の打ちどころのない声、言葉でニュースを読み上げている。

ゲイリーは感情の籠らない目でその様子を見ながら、黙々とパンを齧り、紙袋と一緒に置かれていたタンブラーを手に取る。中身はトウマの淹れたコーヒーで、蓋を開けると湯気と共に苦みを有した芳醇な香りが鼻孔をくすぐった。

 持ち物も食事も服装も、特段の執着のないトウマだが、唯一、コーヒーだけは貴重で高価な豆を買ってくる。ゲイリーも彼の淹れるコーヒーは好きだ。外で飲む紛い品は、粉っぽく、泥でも飲んでいるような感覚に陥るので店ごと潰してやりたくなる。

 パンを食べ終えたゲイリーはタンブラーに残っているコーヒーを啜りながら、片手を挙げて軽く指を動かす。すると、クローゼットの扉がいきなり開き、中から意志を持ったように衣服が彼に向かって飛んできた。

 その服はテーマが統一されていないような違和感だらけの組み合わせだった。黒革の派手めな場所もあれば、落ち着いた色のクラシカルな部分もある。まるで違う趣味の人間が、お互いに主張し合って一着に落とし込んだような。

 ゲイリーは思わず、ため息が漏れる。


 まったくもって、ダサい。


 このチグハグな服装を着続けてどれくらいになるか、派手な服は『自分』の趣味ではない。それなのに、どうしても取り入れようとしてしまう。

 それは自分の体の『弟』の部分がそうさせているのだろう。


 彼は、いつだって派手な服が好きだった。

 

 顔以外は、まるで正反対な兄弟。それがフォノラズ兄弟だった。

 服装も小物もクラシカルな物を好むゲイリーに対し、何でも他人よりも目立つ派手な物を好んだ弟・ロドリー。

 彼の肉体を取り込んだことで、その性格も少しゲイリーの中に残っているようだ。服装だけではない、激情にかられて喧嘩っ早い所も時々顔を覗かせてくる。


 それは些細なさざ波の様な衝動。抑え込もうと思えば抑え込める。


 ただ、そうはしなかった。今となっては唯一、弟を感じられる所だからだ。自分の隣で怒り、苛立ち、暴れていた彼を、いつも愛おしく思っていた。

 ゲイリーは無意識に、継ぎ接ぎの自分の体を触れていた。何の感情も表に出さないまま、体の傷痕をなぞる。

 ディスプレイでは、興味のそそられないニュースをキャスターが完璧な笑みを浮かべながら読んでいる。いい加減に厭きてきた。

 ゲイリーが念じると、ディスプレイはブラックアウトする。

 まったくもって、便利な能力だ。

 そして、この特殊な力があったからこそ、最下層で生まれてもフォノラズ兄弟はのし上がることができた。子供の頃は兄弟以外に何もなかった。治安という概念すら存在しないような、そんな場所では子供が生きていくだけでも奇跡。虐げられるしかない環境で、2人は逸脱していた。彼らのノックは、他を圧倒するほど強力だった。

 負けを知らぬ兄弟は、いつしか『帝王ゲイリー、暴君ロドリーのフォノラズ兄弟』として有名になった。

 昔、ある者がゲイリーの能力をこう比喩した『他を超越する唯一』『唯一無双』(オールオーバー・ザ・ワン)と。

 

 だが、彼らは敗北を喫した。今ではこの様である。


 ゲイリーはタンブラーの残りを飲み干すと、まだ浮き続ける服に着替えて、身だしなみをチェックする。襟の乱れを整え、靴のくすみもハンカチで拭う。最後に指を鳴らすと、軽く寝ぐせのついていた綺麗で長い髪がヘアアイロンでもかけたように整い、服のシワも消えていく。

 最後に鏡を確認し、全身のチェックを終えると、彼も部屋を出て行った。

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