第2話「本当はちゃんとしたいけど、ちゃんと出来ない人の話」(後編)

 勿論、それは難しい。一昔前なら、作家の支援どころか、映画一本作れるくらいのお金があったんだけど、コロナのお陰でほとんど全部なくなった。でも、「もしここから何とか出来たら、すげえ痛快だろうな」って、僕の中の【不幸を楽しむ才能】が叫んでる。


 だから今、僕はカクヨムで闇人妻を書いてる。ここ数年、ずっと僕の傍で支えてくれた相方DJ君はもういないけど、僕の中の不幸を楽しむ才能だけはまだ生きてる。ダメで元々なんだから、やらなきゃ損だ。

 

「やべえ、もう無理! 絶対詰んだ!」ってとこまで追い込まれて初めて、奇跡的なアイデアが降りて来たり、異常な行動力が生まれて来たりすることが、モノを創る人間にはよくある。今の僕はそういう状態だ。最近はファンボックスの支援者も頭打ちで、いくら書いても全然お金が集まらない状態だけど、そういう状況も、それはそれで楽しんでる。


 僕はドMだから、相場でいくら大損しようとめげない。むしろ喜ぶ。相場稼いで喜んでる奴なんか、相場の事を何もわかっちゃいない素人だ。相場の本当の醍醐味は、自身の全力を尽くして相場を作り、無慈悲に全財産持ってかれることにある。


 僕は何度もそれを味わってなお、相場作りを諦めようと思った事はない。無事に作家になれるか、もしなれなかったとしても、自分の全力を尽くして闇人妻の最終回を書き終えたら、また相場の世界に復帰しようと思ってる。だらだらやるつもりはない。ここ半年か、長くても一年間の勝負だ。

 

 無謀な目標に挑むことそのものが、生きる喜びなんじゃないかと、物心ついてからの僕はずっと思っていた。そしてそれは、僕が「ちゃんと出来ないのに、本当はちゃんとしたい」人間だから出来るんだと思ってる。ちゃんとした人間は、勝つ勝負しかしない。怠惰な人間は、そもそも挑まない。【ちゃんと出来ないのに、ちゃんとしたい人間】だけに、挑む権利はあるのだ。

 

「ちゃんと生きて、ちゃんとした人間と結婚して、ちゃんとした人間を育てて、それの何が楽しいの?」


 と、本気で思う。まあ僕はちゃんとしてないから、そういう生き方にも喜びはあるのかもしれないけど、ちゃんとしたもの同士が結婚しても、子どもがまともに育ってない例を、僕は沢山知っている。

 

 それは、親がどんなに優秀な人であろうと、「ちゃんとしたくても、ちゃんと出来ない人間」が一定数生まれてくるからだ。ちゃんと出来る人間は、そういう人間の気持ちが分からない。そういう人間が存在することを、想像することすら出来ない。ただ、怠惰だったり、能力が劣ってると見なして叱るだけだ。それで子供がまともに育つ訳がない。


 僕はずっと、そういう状況を納得いかないと思って生きてきた。


 もし僕が、そういう鬱屈とした気持ちを表現できない人間だったら、地獄だったと思う。そして、そういう生き地獄を現在進行形で送ってる人間が、今も沢山いるだろう。まともにも、馬鹿にもなれない、「ちゃんとしたくても、ちゃんと出来ない」人間が、この世で一番割を食ってると、僕は思う。

 

 怠惰は恥ずべきだけど、出来ないことを恥じるな。出来ないにもかかわらず、それでもなお、ちゃんとした人間でありたいと願うことは、貴方がまだ真っ当な人間である証拠だ。出来ることを探せばいい。どんな人間にでも、一つや二つは出来ることがある。逆に言うと、普通はそれくらいしか出来ることはない。


 一つか二つしか出来ることはないのに、それ以外の事をやろうしてるんだから、失敗するのは当たり前だ。貴方の目から、【出来る】ように見える人は、出来ることしかやってないか、本当は出来ないことを出来るふりして、こっちをバカにしてるだけだ。騙されちゃいけない。


 まずは一つ出来ることを見つけて、自信を回復して、それから出来ないことに挑もう。そしたら、少なくとも自分自身は幸せになれる。挑んでもおそらく失敗するだろうが、その失敗はもう貴方を不幸にはしない。出来る人が出来ない、『失敗を覚悟で挑む』という崇高な行為を、既に貴方は成し遂げているからだ。


 そしていつか成功した時、つまり、無謀な目標に挑みそれを成し遂げた時、「僕もこの辺に金脈があると思ってたんだけどね」と言わんばかりに【出来る】人間が、わんさと押し掛ける。貴方を「怠惰だ」と、「能無し」だとバカにしてきた連中が、貴方の真似をし始める。その時こそ、復讐のチャンスだ。


 にっこり笑って、握手でもしながら言ってやれ。


「貴方のおかげで、ここまで来れました」と。


 皮肉が通じる奴も、通じない奴もいるが、この瞬間は最高に気持ちいい。このセリフに文句を言える奴はいないから、安心して使うといい。人間的にも、実績的にも、貴方が【出来る奴】の上に立った瞬間だ。


 正直ここまで来たら、今まで自分の事を馬鹿にしてきた連中のことなど、歯牙にもかけていないだろう。僕は人間が出来てないから、思いっきり皮肉を込めてやり返すけど、もしかしたら、本心からそう言える人だっているかもしれない。


 もし、僕のこのエッセイを読んで、そういう人が出て来てくれたら滅茶苦茶嬉しく思う。僕は幸せそうな奴らを見ると、「ふざけんな、死ねよ」って平気で口に出す奴だけど、自分と同じような人間、つまり、「ちゃんとしたいと思ってるけど、ちゃんと出来なかった」人間の成功ならば、心の底から祝福できるからだ。

 

 今までずっと口に出来なかった気持ちを、言葉にしてくれたと思った人間が多分いるはずだ。そう信じてずっと書いてきた。そういう人間に勇気を与え、一歩足を踏み出させるのが、おそらくは僕の役割なんだろう。僕が作家になるっていうのは、今を下を向いて生きてる人たちに、希望を持ってもらうための「過程」に過ぎない。


 僕は自分の言葉が真実であることを証明するためなら、これから先の人生でいくらだって失敗し、ケラケラ笑って生きるつもりだ。いつの日か、「あの時の、伊集院さんのセリフが使えました!」っていう連絡が来る、その日までね。


「本当はちゃんとしたいけど、ちゃんと出来ない人の話」(おしまい)

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