第3話「僕が今、作家を目指してる意味の話」(前編)

「ファンボックスは、【クリエイターが自分の好きな創作活動を続けられるようにする】ためのサービスです」


「支援者がまだ集まっていない初期の段階から、ファンボックス限定のコンテンツづくりに時間を費やしたり、 過剰に特典を盛り込んだプランをつくってしまうと、 ファンボックスを続けることが困難になるだけでなく、本来やりたい創作に打ち込む時間すら奪ってしまう可能性があります」



 他社のサービスで申し訳ないけれども、これはPIXIV FANBOXの支援プラン作成の所にある注意書きだ。「本当にそうだよなあ……」って、いつも思う。僕は物書きとしては素人だけど、相場師としての固定ファンがいたからチャレンジ出来た。でも、本当にイチから始める人じゃ、ファンボックスは機能しない。かといって特典なしじゃ、きっとVALUバリューみたいになるだろう。


 だから、本当に才能のある若い奴に創作に打ち込ませて、殆ど見返りのない時代を、【投資】として待てる仕組みが必要だと僕は思う。最初の一、二年を黙って食わせる代わりに、目利きが当たってその人が作家になったら、ちゃんと投資を回収できる仕組み。僕が本当にやりたいのはそういう事だ。


 だから今、僕は作家を目指してる。「投資がこれだけ増えて返ってきましたよ」っていう【実績】と、その一、二年を支える【支援者】を作るために。僕のその気持ちが分かってるさとい人間が、四月から僕をファンボックスで支援してる。五月から入れた人たちも、少しずつ分かって来てるだろう。最近はカクヨムも始めたし、ランキングにもしょっちゅう入ってるから、四月とは雰囲気が違う。



 僕が思うに、本当の芸術家っていうのは、「創作さえ出来れば、それだけでいい」っていう途方もない善人か、「良い作品を生み出すためなら、他人の迷惑など知った事か」っていう狂人のどちらかだ。前者のタイプが筆を折る事を阻止し、後者のタイプにちゃんと責任を取らせるためにも、僕らみたいな人間が必要だと思ってる。


 僕らみたいな人間とは、「芸術に対する審美眼を持ち、数字かねを増やすことは好きだけど、それが決して一番には来ない人間」の事だ。


 ボランティアじゃ先がない。かといって、前者はともかく後者のタイプは、いくら尽くしたって決して恩に報いようとはしない。人間的にはクズだけど、良いものは作る。そういう作家は本当に沢山いる。


 僕には作品の目利きは出来るけど、人間の目利きが出来なかった。だから、出資した作品はちゃんと当たってるのに、会社は上手くいかなかった。そこで考えたのが、誤魔化しが効かないように、【仕組み】で縛ること。出資者の匿名性は維持しつつも、集まった金額やその使途はすべて可視化する。そうすれば、可視化された金の流れ自体がイベントになる。


 誤魔化すことに意味がない。あるいは、誤魔化した方が損をする。そういう【仕組み】を最初から作っておけば、出資者は目利きに、作家は創作だけに集中できる。僕が間接的に出資してるAvacusも、ファンボックスも匿名性は担保されてるけれど、「誰が、どのタイミングで、どれだけ支援したか?」は、ちゃんと記録に残ってる。それがとても素晴らしい。


 だから、これはそのまま使えばいい。「今これだけ集まってる」という話題そのものが、支援者に安心感を与え、新たな人寄せになるからだ。問題は、そのための準備と、それから先の事である。


 まずは僕たちが駆け出しの作家を支援する。そして、作品が軌道に乗りだしたら、過去の支援実績を元に、【実際にマネタイズする時の、出資権利の配分】を決める。そういう仕組みを自前で作ろうと僕は考えてる。


 額も勿論大事だけど、いつ支援したかが、この【仕組み】の重要なポイントだ。駆け出しの頃の百万と、商業化目前の頃の一千万じゃ、圧倒的に最初の百万の方が重い。最初の百万がなければ、そもそも作家が暮らしていけないからだ。


 昔はその役割を、心ある編集者とか、専属契約制度が担ってたのだろう。だけど今は、その余裕が出版社の方にもない。音楽業界も、似たようなものだ。ネットは沢山の人間を幸せにしたけど、一獲千金の夢も潰した。ほとんど同じものが、無料で落ちてるからだ。


 ほとんど同じものが無料で消費できるのに、敢えて本物に金を払う善人はほとんどいない。だからもう、発表から時間のたった作品は広告と割り切って無償で提供し、新作にお金を払ってくれる人を、自前で抱え込むしかない。ファンボックスっていうのは、多分そういう仕組みなんだと思う。


 ネットがない世界にはもう戻れないから、作家が消費者と直接向き合って、薄く広くお金を貰う世界になっちゃうのは、仕方のないことだ。勿論、それは悪い事じゃない。「妥協のない創作さえ出来れば、お金なんかどうでもいい」というタイプの作家に、筆を折らせないで済む。二万冊を売ることは出来なくても、二百人を本気で感動させられる作家なら、世の中には沢山いるはずだ。


 本気の感動に年一万なら、全然高くない。むしろ、格安とさえ言えるだろう。二百人でも実家なら暮らせるし、これが、五百人、千人となっていけば十分に裕福な暮らしが出来る。というか、千人に年一万円を出させる力のある作家なら、絶対に出版社が放っておかないはずだ。

 

 この最初の二百人を用意し、更に増やしていく手伝いを僕はしたい。そして、金の匂いを嗅ぎつけてきた連中に作家が食い物にされないために、代わりに交渉する。それは多分、「良いこと」のはずだ。作家に筆を折らせずに済むし、増やしていく過程で僕らは十分に回収できるだろう。

 

 彼らを育て、既存の商業化ルートに乗せることが出来れば、最初の出資は何十倍にもなって返ってくるだろう。というか、【本気で二百人を感動させられる作家(≒年間、一万円を出させられる作家)】なら、それを商品にするのは全然難しくないと僕は思う。目利きする人間がいないか、売り方が間違ってるか、あるいはその両方だ。

 

 僕は相場の世界では、騙しあいを楽しんできた人間だけど、クリエーターに対しては、ずっと誠実に接してきた。だから、金を持ち逃げされたり、作品が完成しなかったことが何度もあって、そっちの世界じゃ大損だ。


 ゲームやアニメにはもう触らないし、ボランティアもやらない。共同作業は、誰か一人の手が止まると全員の作業が停滞するし、ボランティアは結局、「結果が出なくて当たり前」、「作品の価値はゼロ」だと、自ら言ってるのと同じだからだ。


 僕の師匠である菅野さん(『EVE burst error』や『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』を作った人だ)は、「自分を褒める奴は、すべて敵と思え」って真顔で言うような人格破綻者だったけど、「結果が全て」という価値観を僕に叩き込んでくれた事には、本当に感謝してる。


 僕は誰かに褒められたい訳じゃないし、売れっ子の作家になりたい訳でもない。他人のやらないことをやって、ちゃんと「結果を残す」ために頑張ってる。


 僕は今、伊集院アケミとして創作活動をしてるけど、相場師として復帰したのはもう四年半も前の話だ。その時は相方と共に、『DJ全力』という名を名乗っていた。そして、これから作家を目指すにあたって、相方と共に歩んだDJ全力としての活動を総括をする作品を書きあげることが、絶対に必要だと思った。


 じゃなきゃ僕は、相方だったDJ君への贖罪の気持ちに、ずっと苛まれることになる。二年前、僕は自分の我を通し、彼の気持ちを思いやらなかったために、彼に筆を折らせてしまった。

 

(続く)

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