11 兄は天国に居るんだと、俺はずっと思っている。

「じゃあ、俺はこの本を向こうに持ってくよ」

「そんなのでいいの?」

「あぁ。俺にアイツが残してくれた、唯一の印だからな」

「分かった」


 俺はポケットからスマホ抜いて机の上に乗せ、代わりに美緒の本をねじ込んだ。


「向こうは寒いのか?」

「今は寒期じゃないからそうでもないけど。夜は少し冷えるかな」


 そう言うクラウのシャツは長袖。マーテルさんのハイレグを考えれば、夏の学生服で事足りそうだが、念のためにクローゼットからクリーニングの袋が付いたままのジャケットを取り出して半袖の上から羽織った。

 張り切ってネクタイもしてみるが、エアコンがオフの締め切った部屋ではサウナ状態だ。


 それでも異世界に行くなら制服で行きたいという俺のラノベ的なこだわりが、きっと女子の『我慢こそお洒落』論に通ずるのだろう。大体、美緒だってこんな本読んでるくらいだから、制服で行ってるはずだ。

 ウチの学校がブレザーだということを残念がっている顔が浮かんでくる。


 それから俺はリビングに下りて、仏壇に線香を灯した。

 しばらくは帰ってこれないだろうから、俺と美緒の無事を祈ってご先祖様に手を合わせる。


「これは何?」


 黒塗りの仏壇ぶつだんを、クラウは不思議そうに覗き込む。


「これは仏壇。宗教によっても色々だけど、この国の人の大多数はさ、死ぬと『仏様』っていうのになるんだ、って言っても、俺も詳しくないからうまく説明できないけど。まぁ、死んだら燃やして、墓に埋めるんだ。それで、この仏壇に位牌いはいを置いて毎日手を合わせるのさ」


 全く説明になっていない気もするが、三つの位牌を「これな」と教えると、クラウは「へぇ」と頷き、俺に習って両手を合わせた。


「遺体を燃やすなんて、すごいことするんだね」

「昔はそのまま埋めてたっても聞くけど、この国は狭いから、そうしないと場所がないんじゃないかな」


 単なる俺の憶測だが、クラウは納得した様子で仏壇に並ぶ写真を眺め、一番右にある小さな男の子に目を留めた。


「俺のじいちゃんと、ばあちゃんと、兄貴らしい」

「お兄さんが居たの? 随分幼い写真だね」

「俺が三歳の時に、交通事故で死んだんだってさ」

「ユースケにあんまり似てないね」

「5歳の写真と比べられてもな。けど、首筋に大きなホクロがあったらしくて、それが俺と同じだって言われてるぜ?」


 俺は後ろ髪をかき上げて、生え際にあるというホクロを見せた。実際、自分の首筋なんてちゃんと見たことないけれど、指に触れる膨らみがそうなんだと納得していた。


 大体、当時5歳だったという兄貴の記憶なんて、3歳だった俺は覚えていない。ずっと天国に居るのだと教えられてきたから、きっとそうなんだといまだに思っている。

 けど、あの当時毎日母親が泣いていたことは何となく頭の隅にこびりついていて、悲しくなった気持ちは忘れられない。

 だから、俺の保管者は家族以外であって欲しいと思う。


「なぁクラウ、もう一つこっちの世界から持ち出したいものがあるんだけど、いいか?」

「何?」

 

 確か買い置きがあった筈だとカウンターの奥の冷蔵庫を開ける。


「あったあった。お前、これ持って行けよ」


 500mlの、ペットボトル入りのコーラだ。


「中身はさっき飲んだのと一緒だから。美味いと思ったんだろ?」

「ありがとう」


 少し驚いた表情を緩ませて、クラウは礼を言う。本当に魔王かと何度も疑いたくなるくらいに闇が見えない。


 しかしクラウは「じゃあ特別に」と、突然空の右手で俺の頭を押さえつけたのだ。


「なんだ? オイ、やめ……」


 俺は抵抗しようとしたはずだった。力のこもる指を拒絶して逃れようとするが、思ったように体を動かすことが出来ない。


「動かないで。動こうとすると割れるよ?」

「割れるって何だよ!」


 悲鳴を上げる事さえできなかった。クラウの言葉に全身がすくんで、ぼんやりとコイツを見上げていることしかできない。

 表情一つ変えない穏やかな顔が「もういいよ」と手を放す。


 あっという間だったが、俺は殺されるかと思った。

 俺がその場にへたり込むと、


「驚かせてごめんね。けど、これで僕の力を少しだけユースケも使えるようになったから。ミオのこともあるし、メルの所で何かあった時に役立つと思うよ」


「何? 魔王の力? 俺が魔王の力を?」


 恐怖も一瞬で吹っ飛んでしまった。

 異世界行きと魔王の力――コーラ2本でそんな効果があるだなんて、運も少しは俺に味方してくれているのかもしれない。


「そういう事。少しだけね。この力は、僕の汗と血と涙の結晶だから、心して使ってね」

「お、おぅ」

「僕は生まれながらの魔王じゃないんだ。ただ、昔タブーを犯してしまって、それが逆に先代に気に入られて、今の地位を与えられた。死ぬ思いで得た力だからね……って、変な話しちゃってごめんね」


 急にしんみりしてしまったクラウに、


「大変だったんだな。けど、悪用はしないって約束するから!」


 俺はとにかく明るく振舞って見せる。


「でも、凄ぇんだな。今、ちょっと使ってみてもいいか?」

「今は使えないよ。これはいざって時に発動する力だからね」

「いざ、って時が来るのか……?」

「もしもの話だよ。その時は、この力がユースケを守ってくれる」


 「ね」とクラウは目を細めた。

 ちょっと怪しさを感じるが、これは信じるしかないだろう。


「わかった。じゃあ、俺は準備万端だ。よろしく頼みます」


 親に手紙でも残そうかと思ったが、やめることにした。どうせ美緒のように消えてしまうのだから。

 

「とりあえず、門まで行くからね」


 庭に移動し、クラウは俺の前に立った。高く掲げた掌から生まれた白い光は、マーテルが出した光と似ていた。


 次第に強くなる光に視界が霞んでいく中、クラウの首筋に黒い染みが浮かび上がる。

 けれど俺は異世界に行くことに必死で、それに気付くことはできなかった。


 俺が異世界へ行くという事――それが硬い呪縛を解くことになるなど、クラウにさえ知る由のない事だった。

 

 光の眩しさに三度目の瞬きをした瞬間、俺んちの庭だった筈の風景が白いモヤに包まれたのだ。




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