Light and Shadows
榛野(ハリノ)
Light and Shadows
「司教様だ!」
街の入口にそびえたつ鐘楼の音が響いたとたん、誰かが叫んだ。学校中が今目覚めたミツバチの巣のようにいろめきたった。みんなが自分の籠を手に、駆け出す。
ティリも籠を手にはとったが、どうしてもそうしなくてはいけない気持ちになって窓に駆け寄った。校舎の2階から、通りを見下ろす。
白い石造りの道に、真昼の太陽の日差しが照り返す。その道を、光の司教様の行列が滑るように進んでくる。
この世でただひとり、闇から人々を守ってくださる光の神の御使い。毎年春の盛りにどこかの町を訪れる。
そして、司教様はそこで従者を一人お召しになるのだ。
今年はこの町かもしれない、その可能性は高い、と誰もが毎年、祈るように春を待ち、籠に花を詰める。そうして司教様が来なければ、川に花を流すのだ。水面を花が流れていくのを見送りながら、召された従者の栄誉を寿ぎ、来年こそはと祈る一年が始まる。
そして、今年、光の司教様の行列は、とうとうこの町にやってきたのだ。
表の道に、学校中の子どもたちが籠を持って飛び出す。そして、司教様が歩かれる白い道――光の道に、色とりどりの花をまいている。ピンク、黄色、オレンジ。花の影が、司教様の歩かれる白い敷石を満たしていく。立ち上る花の香りは、行列の祷りの声を混ざり合って溶けていく。
光の司教様の従者に選ばれるのは、大陸の子どもみんなが願う最高の栄誉だ。
誰もが、自分が従者として召されるのを夢見ながら、通りの端にひざまずき、ひそやかに行列を見守るのだ。
(今年、この町から誰かが従者に選ばれるんだ)
ティリは改めて心のなかでつぶやきながら、行列がひた進んでくるのを待っていた。
従者となった子どもがそれからどうなったのか、誰もはっきりしたことは知らなかった。きっと司祭になるのだろう言われていた。司祭となって司教様に付き従う栄誉を授かるのだと。
ティリは一度だけ、先生に聞いたことがある。
(この世でただひとり、光の司教様だけが闇の声から人々を守ってくださるのなら、司教様のことは誰がお守りするの?)
光の神様だよ、と先生は教えてくれた。そのとき、ティリは思ったのだ。ただひとり、光の神様からお守りされるから、司教様は自分たちを守ってくださるのかもしれない、と。
鐘の音が響く中、光の一行は道を覆い尽くす花を踏みしだいて進む。遠くからでもよく見えた。目が覚めるような緋や翠の装束に身を包み、守護の剣と槍をかかげるあれが司祭たち。
そしてその先頭に立つ人こそ、光の司教様だ。
純白の衣に身を包み、手には金の錫杖、額には黄金の冠。そして、何にも増して輝かしいのは、太陽の光そのもののような美しい白金の髪。汚れのない至高の光。
あまりの神々しさに、思わずティリは息を飲んだ。
その時、光の司教様は足をとめた。絶対に聞こえないはずのティリの息を耳にしたみたいに。
そして、顔を上げて校舎を見上げ、2階の窓にいるティリにその白く美しい指を伸ばす。
思わずティリは、持っていた籠の花を窓から撒いた。
籠いっぱいにいれていた花はいくつも宙を舞い、ひらひらと落ちていく。
ティリの花は誰のものより赤い。どれも司教様の手には届かなかったけど、一輪の赤が近くに落ちた。拾われた赤い花は、司教様の手のひらのくぼみにぴったりの大きさだった。
「祝福がありますように」
いつの間にか行列の祷りの声は消えていた。静かな司祭様の声は、ティリの耳元でささやかれたようによく聞こえた。
その時ティリは気づいた。司教様の目が、ティリがまいた花のように深い深い赤だったことに。
こうして、ティリは今年の従者に選ばれた。
光の教会にも、たくさんの花がしきつめられていた。色とりどりの花の色が、香りが、むせるように立ち込めている。
ティリが最初に通された控えの間には、白と薄い黄色の花。次の間には桃色の黄緑色の花。その次の間には青紫と赤紫の花。
この奥が、深淵の祷りの間。光の司教様だけが入ることのできる神様の間なのだと聞いていた。
高い壁の上に小さくしつらえられた窓からの光に、とりどりの紫の花の隅で何かが光った。見に行ってみると、ティリの手にちょうどよい大きさの短剣が埋まっていた。三日月のように反ったその短剣を手に取ると、まるで自分の持ち物みたいにしっくり馴染む。
司教様が置き忘れたのだろう。
目を閉じると浮かぶ、自分に手をさしのべた人の姿――あの人は確かに、神の御使いだと感じた。光が満ち溢れていた。そんな人の従者となって、自分が何をすればいいのか。ティリは少し不安だった。
けれど、このひんやりと冷たい短剣が、ティリの心をゆっくりと落ちつかせる。冷静に、なすべきことをなさい。送り出してくれた先生はそう言っていた。これから一年、この世界が光に満たされるために。
――どれくらい時間が経ったのだろう。本当はわずかな間だったのかもしれない。
深淵の祷りの間のドアが開き、司教様が現れた。おいで、というように手を広げられる。ティリは慎重に歩いていった。
通された円形の部屋は小さく、何もなかった。床に花はなく、入ってきたドアを閉じれば、香りもほとんど消えてしまった。
壁に窓はない。だが、天井が美しいステンドグラスで覆われていて、太陽の光がいろんな色になって降り注いでいた。とりどりのガラスで描かれているのは、太陽と、同じくらい大きな三日月。
「ここへ」
示されたのは、部屋の中心だった。司教様を差し置いて、自分がそこに立っていいのだろうか。そんな不安にかられたが、ティリは結局、言われたとおり、中心に立った。
自分より背の高い司祭様を見上げると、天から降り注ぐ光が色とりどりの花となって美しい白金の髪を輝かせている。その美しさに、ティリはうつむきそうになってしまう。
司教様はティリの顎にそっと指を添え、上を向かせる。
「昨日、道に出てはこなかったな」
不敬だっただろうか? とたんに不安になるティリに、司教様は微笑んだ。光が増すようで、ティリはわずかに目を細める。だがその光に温度はない。
「お前の真紅の花は美しい」
「司教様の瞳と同じ色です」
懸命にそう応えると、司教様はもう一度笑った。今度は少し皮肉げな――そして淋しげな様子で。
「花が温かく感じられたのは、お前の心か」
驚いたティリが目を見開と、司教様はわずかに首をかしげ、のぞきこんできた。
「お前の瞳は、夜の青かと思っていた。――黎明の紫だな」
「明け方に生まれたそうです」
「では次は、この濃い紫の花を探す巡礼となるかもしれない」
司教様の声は祷りに似ていた。静かに空気に染みていく。どこにも花はないのに、立ち込める花の香――きっと、司教様から香るのだ。美しい白金の髪、純白の衣に落ちるステンドグラスの光から……
「お前は選ばれた」
謝罪するように、祈るように、懇願するように、司教様の指がティリの額に祝福を与える。ますます香りが強くなり、くらくらして立っているのが難しくなってきた。ぐらりと揺れる体を、司教様は左手で抱き寄せ支えてくれる。そして、右手でそっと首筋に触れた。身をかがめ、ティリの首筋に顔を寄せて、そっとつぶやいた。
「だからお前も選ぶのだ。私の中で永遠に生きるか否か――」
不意に、短剣を握っていることを思い出した。鋭く光るそれは、まるで司教様のつぶやきと一緒に唇から現れた2本の牙のようだった。
かすかな、しかし鋭い痛みを首筋に覚えた瞬間、ティリは同じように、短剣を司教様の首に突き立てた。
ばらばらと、真紅の花が司教様の衣を覆っていく。
ティリがまいた花にうもれていくようだった。
司教様、と唇は動く。だが、声は出ない。
彼はそっとティリから身を離し、ゆるりと微笑んだ。動けないままでいると、おいで、と手が差し伸べられる。
その微笑みは温かかった。ティリが駆け寄ると、彼の体がぐらりと揺れる。今度はティリが支える番だった。もつれるように床に倒れ込む。
ずっと彼に寄り添っていた光が、いま、ゆっくりと失われていく。白い衣を彩っていた深紅の花が、見る間に黒く染まっていく。
もう一度、司教様、と呼ぼうとしたが、彼は真っ黒に染まった指を唇にあて、ゆっくりと首を振った。その様子に目の前が歪む。涙がとまらないまま、彼の体にしがみつく。
「暗闇が訪れるのを、待っていた――」
天井のステンドグラスから降り注ぐ光は、いまや彼ではなくティリに寄り添っていた。どうして、と問うまでもなかった。
いまや、ティリが「司教様」なのだった。
降り注ぐ光が、すべて教えてくれた。光の神に愛されるのはただひとりだけなのだと。神に愛されている限り、暗闇は訪れない。どんなに望んでも、絶えることのない光の中で歩き続けなければならない。
たったひとりで。
(お前の瞳は、夜の青かと思っていた)
そう言っていた赤い瞳は、もうほとんど光を失っている。それでも彼はその美しい指を伸ばした。
「黎明の紫……」
その静かな声が、最後の言葉だった。
その身の中に閉じ込めていた闇に、彼の光はすべて消えた。
不意に、もう一度思い出した。短剣を握っていることを。鋭く光るそれを握り直し、ティリは。
天井を覆う繊細なステンドグラスに、思い切り短剣を投げつけた。割れたガラスがきらきらと煌めきながら降り注いでいく。
光がみんな彼の上に落ちて、地に伏せた人の黒に染まり、色を失っていった。
Light and Shadows 榛野(ハリノ) @aharino00
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