【番外編】※本編読了後にお読みください。
【周防編】 「遠慮ハシナイ」
窓の外に咲き乱れる樹齢200年の老桜を横目に、手にした図書の項を
「返却図書の配架、行ってくるね」
静かな図書館に彼女の声が広がった。俺の視線は自然と、その声の方へ向いていた。
十数冊の図書を重たそうに抱えながら、
「……俺は何をやってるんだろうな」
周囲に聞こえないよう、ぼそりと呟いた。無意識に浮かんだ表情は、お世辞にも
このヒノモト一の蔵書量を誇るカムイ図書館に通い詰めて早2ヶ月。仕事の合間にここへ来るのは、これといって本が読みたいわけでも、調べものをしているわけでもない。
読む気もない図書を適当に持ってきては、あたかも読んでいるふりをしているだけで、その実、黙って座ってその空間に居座っているだけだ。理由はもちろん、名前すら知らない“彼女”に会いたいがためだ。
声をかければ済む話なんだが……いい歳した男が、何を恐れているんだろうな。我ながら情けない……。
俺はこんなにも度胸がなかったのかと思うと、頭が痛くなる。
何度目かの溜息に重なって、ふと気配を感じて顔を上げると、返却図書を抱えた彼女がすぐ目の前までやってきていた。
今だ。今なら挨拶くらいできるはずだ。
意を決した瞬間、突然目があって驚いたのか、彼女はどこか申し訳なさそうに視線を外し、足早にその場から離れて行ってしまった。
またしても声をかけ損ねた俺は、額を押さえて項垂れた。ぐっと唇を
「根性無しめ……」
初めて彼女と会ったのは、今から半年前。
職人街で昼飯を済ませて本部に戻る途中、懐に入れていた懐中時計を気づかぬうちに落としていたらしい。それを拾い、追いかけて届けてくれたのが彼女だった。
一目見て惹かれてしまったあの感覚は、今でも鮮明に思い出せる。
可愛さと
その1ヶ月後、偶然図書館に入っていく姿を見かけ、カムイ図書館に勤務する司書だというところまではわかった。だが、司書と来館者という関係性が変わるわけでもなく、声をかけられずに今に至る。しばらくは現状維持が続くだろうな。
「……そろそろ戻るか」
今日も声をかける勇気も機会も逃したのだから、また出直すとしよう。
図書を戻し、午後に入っている参考調査業務の準備について考えながら、棚と棚の間を進んでいくと――彼女が爪先立ちで背伸びをし、一番上の棚に図書を戻ろうと必死になっているのを見つけた。
どう頑張っても、背丈が足りないから届くわけがないのだが、それでも彼女は
「あと、少し!」
「あそこでいいのか?」
見るに見かね、背後から図書を奪い取った。
その時、手袋をつけ忘れていることに気づいた。ここへ来る前、手袋のベルトが千切れて上手くつけられなくなり、仕方なく外したことを思い出した。だが、既に遅かった。
彼女の手に触れてしまったその瞬間――手袋に移った彼女の断片的な記憶が脳裏に流れ込んだ。
『ミズキは化け物だ!近づいたら全部、記憶を吸い取られるぞ!』
『お姉ちゃん……僕のこと、わからないの?』
声と共に、景色が、そして記憶が駆け抜ける。
両手を見つめる視界がぼやけ、自分の力に戸惑う彼女の姿。
豪華客船で大勢の乗客が戸惑い叫ぶ中に、自分が何者なのか分からずに立ちつくす彼女。
そして――カムイ図書館の閲覧席の、老桜が見えるあの席で、本を読む“俺”の姿が見える。
「ありがとうございます、助かり――」
俺を見上げた彼女は驚いて言葉を詰まらせていたが、それは俺に対しての嫌悪からくる反応ではなく、どこか照れくささの混じる驚きだった。だが、その反応以上に、内心驚いていたのは俺の方だろう。
自ずと、視線は彼女の右手を捉えていた。
春にも関わらず、その小さな手は厚手の革手袋に隠されている。しかも片方だけ。『化け物!』と
それにしても、不覚だった。
俺の力はほぼ制御できるはずだ。素手で触れたとしても、見たいものを見て、見たくないものを見ないよう、その選択ができるはずなのに……俺は無意識のうちに彼女の記憶を読み取ってしまったらしい。どうやら、頭で考える以上に、俺の力は素直だったらしい。彼女のことをもっと知りたいと、力の方が欲したのだ。
(名前は、七瀬ミズキ……まさか、俺と同じハンス・ペルシュメーア号事件の被害者だったとはな。いや、それよりも、彼女は俺のことを……)
その先にある想いを想像して、顔が緩みそうになった。
そんな情けない顔を見せるわけにいかず、グッと奥歯を
「そっちの本は?」
「えっ? あっ、こっちは大丈夫です! 配架場所が違う棚なので」
「そう。ところで、それ」
俺は彼女の手を指差した。
あえて聞く必要もなかったのだが、同じ魔女の末裔であり夢喰い人であることを、記憶ではなく彼女の言葉で聞いてみたいという衝動にかられた。
「この季節に革手袋なんて、珍しいな」
「あぁ、これですか。えっと……私、冷え性なんです。それに、図書館の仕事をしていると、手も荒れちゃうことが多くて。それで、これを」
「なるほど。変なこと聞いて悪かったな。それじゃ、仕事頑張って」
「は、はい!」
子供の頃の記憶が影響しているのだろう。彼女は夢喰い人であることを知られたくないらしい。
俺も君と同じ
名前を知って、言葉を交わした。今はそれで十分だろう。
何事もなかったようにその場を離れ、図書館を出た。このまま本部へ戻ろうとした矢先、脳裏を過った彼女の記憶が、俺の足を止めた。
「あの記憶が、彼女の想いなら……」
最後に見えたあの光景――彼女の記憶の中には、確かに“俺”の姿が何度も何度も映っていた。
もし自惚れてもいいのなら、この想いに勝機はあるということ。もう、足踏みをする必要などどこにもない。
「少し遠回りし過ぎたな。俺らしくもない」
欲しいものを欲しいと願って何が悪いのか。
もう遠慮はしない。そう密かに誓って、俺は図書館へ引き返した。
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