【レンエン編】 「未来ノ予約」

 夜のとばりが遠くの空から迫り始めた、夕暮れ時。街に響き渡るかねの音で、ふと我に返って顔を上げた。

 格子窓の向こうに見えるだいだい紫紺しこんが混ざり合う空をぼんやりとながめ、疲労と安堵あんどを吐き出すように溜息をついた。


「お客さんも来ないみたいだし、今日は店じまいかしらね」


 作業台の上においた手提てさげ金庫のふたをしめ、り固まった肩を手でみほぐす。はぁ、ふぅ、と、力ない息を吐き出しながら、入り口脇に置いた「本日終了」の立て看板に手をかけた。それとほぼ同時に、店の戸がガラリと音をたてて開いた。


「ごめんなさいね。今日はもう――あら、あなた」


 少し身をかがめて店内へ入ってきたのは、帝国軍の軍人さん。眉からこめかみにかけて縦断する切り傷と、軍服に着物を上着代わりに羽織った出で立ちが印象的な……以前、あの可愛らしいお嬢ちゃんと一緒にここへ来た、古書館の夢喰い人アルプトラウム

 彼は私と目が合うと、柔らかく笑って会釈えしゃくをした。


「こんばんは。今日は店じまいですか?」

「えぇ。そろそろ閉めようかと思っていたんだけどね。また何かの調査かしら?」

「いえ。今日は客として来ました」


 彼は少し嬉しそうな笑みを口元に浮かべ、陳列棚ちんれつだなに並んだかんざしをちらりと見た。

 その表情を見て、ハッとした。以前ここへ来た時、私がかんざしすすめたら「贈りたいと思う相手ができたら必ず訪れる」――と、彼は言っていた。

 次に会うのはまだまだ先の話だと思っていたけれど、どうやらその時が早くもやってきたみたい。


「もしかして。あの約束、もう果たしに来たのかしら?」

「そのまさかです。今のうちに予約しておこうと思いましてね」


 その答えを聞いて、私は「そう」と、興味のないふりをして、素っ気なく返した。

 あまり詮索せんさくするのは好きではないし、野暮なことは聞かない主義だけれど。でも……何を考えているのか、心の内が読み取れないこの男が想いを寄せる相手とは、一体どんな女性なのかしら。


「どれがお望みかしら。簡素だけれど、この紅玉の玉簪たまかんざしなんていいと思うけど」

「それも素敵だと思いますが……新たに作っていただくことは可能ですか? 彼女に似合うものを、一から作ってほしいんです。既製品では意味がありませんから」


 照れる素振りもなく、彼はさらりと言ってのけた。それが妙にくすぐったくて、でもうらやましくもある。


「特注品ってわけね、いいわ。いつまでに必要?」

「未定ですので、制作はゆっくりでかまいません」

「あら、そうなの? 誕生日や記念日に贈るのだと思っていたんだけど。互いに想い合っている仲なのよね?」


 そう訊ねると、彼は困ったように笑って返した。


「まだ想いを伝えたばかりなので。そんな状態で贈り物をしたら、重荷と思われかねないですし。彼女がそばから離れていったら、俺も立ち直れそうにありませんから」

「意外と臆病おくびょうなのね。それじゃあ、相手の心が逃げないように、つなぎとめておく紋様でもほどこしておきましょうか?」


 本来、私の持つ闇人ナハトの力は“人の心をとらえてあやつる”もの。彼の願いを叶えることなんて、まばたきをするのと同じくらいに容易たやすい。

 私は軽い気持ちで口にしたのだけれど、彼は目を丸くして驚いていた。どうやら私の言葉は彼にとって予想外だったらしく、堪え切れなくなって吹き出した。


「俺は、そんなつもりはありませんよ。お気持ちだけ、いただいておきます」

「あら、いいの? 私のまじない、よく効くのよ?」

「きっとそうなのでしょうね。街の女性達が"願いが必ず成就する"と、この店の噂をしているのをよく耳にします。ただ――」


 彼はそこで言葉を区切り、私が手にしていた玉簪たまかんざしをそっとうばい取った。しばらく見つめていたかと思えば、どこか悪そうに、たくらむような不敵な笑顔を見せた。


「彼女の想いを簡単に手に入れてしまっては、つまらないですからね。苦労して、必死になって手に入れてこそ意味があるんです。自分の力だけでつなぎとめますよ」


 私の店を訪れる者はみな、闇人ナハトの力を求めてやってくる。

 想い人の心を簡単に手に入れたくて、思いのままにしたくて。

 欲しいものは、簡単に手に入れたいと欲が出てしまうものなのに、彼は違っていた。

 欲しいと願ったことは、他人の力ではなく自分の力で奪い取りに行く。私にとっては商売あがったりな考え方だけど、それでいい。人の想いは、自由にならないからこそ、面白いものだから。


「私、今日ほど女に生まれたかったと思ったことはないわ。一度でいいから、あなたの心をうばって、振り回してみたくなった」

「そ、そうですか?」

「まぁ、男にも女にもなれない今の私には、無理な話だけどね。特別なかんざし、用意させてもらうわ。その代わり、相手の女性をしっかり手に入れたら、私にも会わせなさいね」

「もちろん、そのつもりです」

 

 迷いなく答えた彼の笑顔は、射し込んだ夕陽に照らされて、やけに綺麗に見えた。

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