第18話「突入」

 ハッと我に返って、私は声の方へ視線を向けた。少し距離を置き、まるで他人のように装って欄干に凭れているのは、他でもない来栖さんだった。

 こちらをちらりと横目で見ているその出で立ちは、ボーラーハットに黒いインバネス・コートを纏っている。隣には深紅のワンピース姿のアオイさんが、恋人のように寄り添っている。2人の姿を見て、私はここへ来た目的を思い出していた。


「すみません、ついうっかり……」

「俺は別に何もっ」

「いやだ。何よ、その羨ましい反応。大佐、私達も仲良くしましょ。恋人同士に見えないと怪しまれちゃうから」

「う、うん。あっ、ほら。シオリさんも到着したよ!」


 来栖さんに促され、私と周防さんはそっと振り返った。

 こちらとは反対側の欄干らんかんに、独りぽつんと、シオリさんが誰かと待ち合わせているかのように立っている。

 このモクランへ来たのは、欄干らんかんに刻まれた蓑島の痕跡を探しに来たわけではない。シオリさんをおとりに蓑島を誘き出し、捕えるためだった。


 来栖さんとアオイさんが隊服ではない格好をしているのも、軍人だと気づかれないための変装。民間人に紛れ、シオリさんの身に危険が及ばないよう見張るためだ。もちろん、私と周防さんもしっかり変装中。

 今日の周防さんは、黒いロングコートの下に淡い若草色の着物をまとっている。帯の代わりにはコルセット、足元は黒革のブーツという出で立ちだった。

 コートのポケットに手を突っ込んでいる居住いは、いつもの隊服に着物の上着を羽織る姿とは違うけれど、妙に様になっている。隊服も素敵だけれど、着物姿も予想以上に似合っているから、なかなか厄介だ。


「ミズキ」


 その姿に見惚れていると、不意に周防さんが私の名前を呼んだ。煙草に火を点けて銜えると、くの字に軽く曲げた腕を私の方へ寄せた。


「何ですか?」

「俺達は今、モクランを訪れた恋人同士の観光客だ。蓑島に気づかれないよう、それらしくしないとな」

「こ、恋人っ」

「観光客ではないが、恋人の部分なら来栖とアオイより自然にできるだろう?」


 周防さんは「仕事以外で一緒に来たかった」と言ってくれたけれど、今なら心底そう思う。仕事でなければ、この瞬間を存分に楽しむことができたはず。控えめに悔しさを抱きながら、差し出された腕に手をからめた。

 それに合わせ、周防さんが腕を自らに引き寄せる。自ずと私は引っ張られる形になって、その距離はぐっと縮まる。腕にかかる圧迫感と温かさに、不覚にも鼓動こどうが跳ねた。


「み、蓑島は……姿を見せるでしょうか?」

「どうだろうな。来栖、街の中は回ってきたんだよな?」


 正面を向いたまま、周防さんが来栖さんに訊ねた。横目でちらりと確認すると、来栖さんもアオイさんと語らうような姿勢を保ちながら、こちらを少しだけ見た。


「蓑島がどこかで見ているかもしれないからね。一応、シオリさんにはあちこち歩き回ってもらったよ」

「その間、誰かと接触は?」

「なかったよ。もしミズキちゃんが言うように、蓑島が新堂スミレに恋をしているのだとすれば、彼女を見て何も思わないはずはないんだけどね」

「つられてフラフラ~と、出てきてくれればいいのに。まぁ、そんな上手い話はないわよね、大佐」

「来た」

「えっ!?」


 来栖さんが正面を見つめたまま静止している。その視線の先を追うと、シオリさんに近づく1人の男の姿があった。いつの間に現れたのか、それは間違いなく蓑島リョウ本人だった。


「いやだ、本当に出て来ちゃった……」

「周防、ここからどう動くつもりなんだい?」


 声を潜める来栖さんに、周防さんは静かに煙草を吹かし、シオリさんと蓑島を眺めている。


「もう少し様子を見る」

「大丈夫なんですか? 今すぐに捕まえないと危険かもしれませんよっ」

「下手に騒いで、橋の上から飛び降りでもしたら最悪だ。シオリさんが巻き込まれる可能性もあるからな。それに、俺達が把握していないだけで、他に連れ去られた人がまだいるかもしれない」

「そっか……今、保護されている人達が全てとは限りませんよね」

「その人達が匿われている場所があるなら、そこを突きとめないと――あっ」


 話の途中、周防さんが驚いた様子で声を上げた。

 ほんの少し目を離した隙に、蓑島はシオリさんの首にあのペンダントをかけてしまっていた。その直後、シオリさんの顔から表情が消えた。完全に意思が支配され、操られてしまったのだろう。

 升川さんや欄干らんかんから読み取ったあの光景と全く同じことが、今まさに目の前で起こっていた。


「す、周防さん!」

「大丈夫だ。来栖、追うぞ」

「了解!」


 蓑島がシオリさんの手を引いて歩き出したのを確認し、私達は少し距離を置いてその後を追った。

 蓑島はやけに慣れた足取りで街の中を進んでいく。きっと人気のない場所へ向かうのだろうと思っていたのに、蓑島はどんどん人通りの多い場所へと進んでいった。


 やがて工房が建ち並ぶ一画へ向かったかと思えば、そこにある一軒の空き家にふらりと入ってしまった。

 おそらく、もともとは写真館か何かだったのだろう。工房が建ち並ぶ中、その一軒だけは異国の建築様式で、窓際には取り残された古い写真がいくつか飾られていた。


「足取りが掴めないから街を点々としているのだと思っていたが、モクランにいたんだな」

「でも、ここって空き家ですよね。どうしてこんなところに……?」


 互いに怪訝な顔をしながら、古びた写真館を食い入るように観察する。「うーん」とうなる私と首を傾げる周防さんの間に来栖さんが割って入り、そっと顔を近づけた。


「2人はここに居て。俺とアオイさんは裏を見てくるよ。アオイさん、行こうか」

「わかったわ」


 二人は仲良く腕を組み、民間人を装って通りを歩いて行った。

 アオイさんとの恋人役を心なしか嫌がっているように見えた来栖さんも、今となってはごく自然で、背後から見れば何の違和感もない。むしろ美男美女。これがスズネさんに見られなくてよかったと、ほんの少し安堵あんどしていた。

 写真館から少し離れた場所に停車している蒸気馬車の陰に隠れ、私と周防さんは様子を窺った。しばらく待ってみたものの、2人が中から出てくる気配はない。


 中心街ではないけれど、比較的通りには人の往来がある。空き家ではあっても、おそらく蓑島が日常的に自然と出入りしているからなのか、周囲の人々も行き交う人々も不信に思っている様子も見られなかった。

 そうは言っても、私が思っている以上に、他人の行動なんて案外気にしていないものなのかもしれない。誰が空き家に出入りしようと、先を急ぐ者にとって気に留めるようなことではないだけなのだろう。


「シオリさん、大丈夫でしょうか。あのペンダント、つけられてしまいましたし……」

「今まで連れ去られた女性達も、無傷で解放されているからな。危害を加えるつもりはないんだろうから、その点は大丈夫だろう」


 不安を残しつつ頷いてすぐ、写真館の裏を確認しに行っていた来栖さんとアオイさんが戻ってきた。周囲を確認しながら、さり気なさを装って私と周防さんのもとへ駆け寄った。


「どうだった?」

「裏口はなかったから、外には出ていないと思うよ」

「周防さん、行きましょっ。もう待てません!」

「ミズキ、慎重に――って、おいっ」


 強引に周防さんの手を引き、私は駆け出した。

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