第19話「操リノ駒」

 本当は勢いよく飛び込んで行きたかったけれど、その音に驚いた蓑島を下手に刺激してしまう可能性もあったため、ここからは周防さんの忠告通り慎重に、慎重に。

 写真館の扉をそっと押し開けると、錆ついた扉はギギッと不快な音を立てた。その音からしても、長い間使われていなかったことがうかがえる。


 室内には中には何もなく、息遣いすら反響しそうなほど静まり返っている。床には埃が積もっていて、ところどころ、円形の跡がうっすらと残っているのは、そこに家具や機材が置かれていたのがぼんやりと想像できた。

 点在するその跡を、真新しい足跡が上から踏み消しながら、奥にある扉に向かって真っ直ぐに続いている。よく見れば、その扉が微かに開いていた。


 来栖さんを先頭に、私達は奥の部屋へと踏み込んだ。

 8畳ほどの部屋にいたのは、蓑島とシオリさんの2人だけ。窓際に置かれた椅子にシオリさんが座り、その正面に蓑島がひざまづいている。こちらに気づくと、蓑島は驚いて立ち上がり、その拍子に、手にした何かがパラパラと足元に転がり落ちた。


「な、何だよ、あんた達っ!」

「そのまま動かない方がいいよ」


 来栖さんはコートの中に隠していた銃を抜き、蓑島に向けて構えた。突きつけられ、狙いを定めた銃口を目にして蓑島が怯んだ隙に、私とアオイさんがシオリさんの元へと駆け寄った。

 すぐさまそれに気づいた蓑島が立ちはだかろうとするも、来栖さんは天井に向けて一発。威嚇いかくの銃声に驚き、蓑島は勢いよくその場に座り込んだ。


「シオリさん、大丈夫ですか!?」


 肩を軽くゆすって声をかけるけれど、全く反応がない。ぼんやりと床の一点を見つめるだけで、瞬きすらしてはくれなかった。

 今、彼女は何を見ているのか、何を見せられ支配されているのか。それを確かめるため、私は手袋を外し、首に下がったペンダントに触れた。

 けれど、何も見えない。夢喰い人アルプトラウムの力を使う時の、あの眩暈にも似た感覚も、息が詰まりそうになる衝撃も一切襲ってこない。そしてあの、力が跳ね返される感覚だけが私へと戻ってきた。拒絶されるその感覚に、私は自らの手をじっと見つめた。


「ミズキちゃん、どうしたの?」

「おかしいんです。ペンダントから何も読み取れなくて……」

「どういうこと? これをつけると新堂スミレだと思い込むように、彼女の記憶が刻まれているんでしょう?」

「はい。でも、それが見えないんです」


 そう答えてから、ふと足元に散らばった結晶が目に留まった。

 今まで保護された女性達は、皆同じペンダントを身に着けていた。小瓶の中に結晶が納められた小さなペンダント――今、シオリさんが身につけているペンダトの小瓶には何も入っていない。

 彼女が座っている場所から数メートルほど離れたところに小さな机があり、そこには小瓶のペンダントが山のように積まれていた。もちろん、小瓶の中は空だ。


 再び、私の視線は足元に散らばった結晶へと落ちていく。

 この結晶に新堂スミレの記憶が刻まれていて、ここへ連れ来た後、空の瓶の中に結晶を納めて新堂スミレを作り上げていたのだとしたら……でも、どうしてそんな手間のかかることをしていたのだろう。あの橋の上で、結晶の入ったペンダントを着けてしまえば、それで済むはずなのに――。


「蓑島、他の女性達はどこだ?」


 周防さんの声が室内に響いた。

 怯えた様子で答えようともしないことに腹が立ったのか、周防さんは座り込んでいる蓑島の腕を掴み、少し強引に立ち上がらせた。驚いて腰でも抜けたらしく、蓑島はふらつきながら立ち上がった。


「離してくれっ。俺はミノシマって名前じゃない、何なんだよっ」

「おい、この状況でよくそんなこと言えるな。どうして彼女を連れ去った? なぜ新堂スミレの記憶を――」

「だから、俺はミノシマじゃない! 俺はスミレを捜していたんだっ」

「捜してた……?」

「ねぇ、周防さん。とりあえずシオリさんにつけられたペンダント、その男にはずさせてくれないかしら? このままだと見ていられないから。話はそれからゆっくりしてもらいましょうよ」


 そのやり取りに埒が明かなくなったのか、アオイさんが苛立いらだち混じりに言った。それにつられるように、周防さんも大きな溜息をついた。


「……そうだな。おい、シオリさんにつけたペンダント、はずしてもらおうか」

「嫌だ! 彼女はシオリなんて名前じゃない。スミレだよっ」

「なのなぁ……」

「俺はスミレを見つけなきゃいけないんだ!」


 周防さんに掴まれた腕を振り解こうとするその仕草や態度は、まるで駄々だだをこねる子供のようだった。

 言っていることに繋がりもなく、その意図すらわからない。銃を向けて威嚇いかくしていた来栖さんも、これには呆れて溜息。危険性がないと判断したのか、ホルスターに銃を納めてしまった。


「周防、彼の記憶を読んだ方が早いんじゃないかい?」

「そうだな。蓑島、少し大人しくしてろよ」

「さっきから何なんだっ。俺はミノシマじゃない、ミナトだ!」

「ミナト?」


 手袋を外そうとした周防さんはハッとして、私の方へ振り返った。


「ミズキ、この名前……」

「もしかして〝ミナ君〟?」


 最初に保護された升川さんと柴村さんは、恋人だという人物の名前を〝ミナ君〟と呼んでいた。蓑島との繋がりも見えずにいたあの名前が、ここにきて再び現れた。

 ただ、目の前にいるのは紛れもなく蓑島リョウ。なぜ自分のことをミナトだと言うのか。ふと、蓑島の胸元できらりと何かが光った。僅かに開いたえりの隙間から見えたのは、見覚えのある銀色の鎖と、そこに繋がるコルクのふただった。


「周防さん、そのペンダント!」

「ペンダント?」

「彼が身につけている、それ!」


 私が指差したことで気づいた周防さんは、蓑島の襟に手を伸ばした。

 開いた服のその先にあったのは、シオリさんや今まで保護された女性達が身に着けていたものと同じ、あの小瓶のペンダントだった。


「どうして、こいつまで?」

「スミレを、早くスミレを捜さないと駄目なんだ……」


 まるでうわ言のように、蓑島はそう繰り返した。

 ひょっとしたら――おそらく私が感じたように、周防さんも何かを予感したのだろう。周防さんは蓑島のペンダントを強く握り締めた。けれど、それもほんの一瞬。鋭いとげに触れたように驚いて、すぐに手を離した。


「同じだ」

「周防さん、何が同じなんですか?」

「保護された女性達の記憶を読んだ時と同じで、読み取れないまま力が跳ね返された」


 それを聞いたアオイさんは、すぐさま蓑島のペンダントを調べ始めた。思っていた通り、小瓶の底には闇人が刻んだと思われる紋様があった。


「アオイ、どうだ?」

「他の女性達のものと一緒ね。この小瓶に刻まれている紋様は、服従を意味するものよ。呪いをかけた闇人の指示に忠実に従うものなの」

「それってつまり……彼は操られているってことなのかい?」


 来栖さんの問いに、アオイさんはゆっくりと頷いた。周防さんは怪訝けげんな表情で蓑島を見据え、掴んでいたえりを静かに離した。

 その隙をついて蓑島はシオリさんに駆け寄った。私はとっさに止めようとしたけれど、シオリさんの前にひざまづき、「ごめんね、スミレ」と呼びかけながら、不安げに見つめる姿を見て止めることができなかった。

 そう、彼は今、純粋にシオリさんを新堂スミレだと思い込み、心の底から彼女を想っているのだから――。

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