第9話「恋スル者ヨ」(1)

 誰にも邪魔されずに話ができる場所へ――焦りと困惑の中、最初に思い浮かんだのは〈火龍楼〉だった。 来栖さんの義理の妹〝スズネさん〟がいるあの場所以外に行く宛てもなく、私はアオイさんを連れ、すがる思いで店に駆けこんだ。


「すみませんっ、スズネさんは、いますか!」


 開店前とあって玄関先は薄暗く、夜のにぎわいもなくひっそりと静まり返っていた。

 しばらくして、ようやく奥から小姓が顔を出した。洗濯か皿洗いでもしていたのか、れた手を前掛けで拭きながら、こちらへ駆けてきた。


「申し訳ありません。姉様達はまだお休みの時間なので、夜になりましたら改めて――」

「それはわかってます。でも、お願いしたいことがあって!」

「いえ、でもっ。今は開店の時間ではありませんので……」

「ミズキちゃん、帰りましょう? 彼も困ってるし」

「もしかして、ミズキさん?」


 玄関先でのやりとりが聞こえたのか、そこへスズネさんがやってきた。彼女の姿を見るなり、小姓は深々とお辞儀をして廊下の端へ素早く退しりぞいた。


「こんな時間にどうかされたのですか?」

「急に来てしまって、ごめんなさいっ。でも、お願いが……その、話ができる部屋を貸してほしくて」

「姉様、まだ部屋へお通しできる時間では……」

「大丈夫、私の部屋に案内するから。ミズキさん、あがってください」


 切羽詰まった私の様子を見たスズネさんは、私とアオイさんを快く店の中へ招き入れてくれた。

 通されたのはスズネさんの部屋だった。この火龍楼を訪れる客人さえ入ることのできない場所だ。


 壁は深みのある深紅に染まり、黒い天井には鮮やかな金魚やこいが優雅に泳ぐ姿が描かれていた。6畳ほどの空間には、黒と赤、金を基調とした箪笥たんすや時計、機械仕掛けの職台などが並べられている。どこか妖しさとつやっぽさが漂うその空間に、私は圧倒されていた。


「少し狭いですが、どうぞ座ってください」


 部屋の隅に追いやっていた黒い漆塗うるしりの卓袱台ちゃぶだいを中心へと引っ張り出し、「どうぞ」と勧めてくれた。私とアオイさんは、卓袱台ちゃぶだいを挟んで向かいに座った。


「私の部屋はこの建物の最奥にありますし、隣は空き部屋ですので。話を聞かれることはありませんから、安心して下さい。それで、何があったのですか?」


 スズネさんはちらりとアオイさんを見た。視線に気づいたアオイさんは、目を少し見開いて、困ったように笑って首を傾げた。


「実は、私も知らないのよ。古書館に戻ったら、そのまま連れ出されちゃってね。ミズキちゃん、一体何があったの?」

「……私、どうしたらいいのか、わからなくなってしまって」


 何とか声を絞り出し、一つひとつ頭の中で整理しながら全てを話した。

 私自身がハンス・ペルシュメーア号事件の被害者であり、また周防さんも同じであること。そして、眠っている周防さんから、当時の事件の記憶を見てしまったこと――2人は口を挟むことなく、見守るように黙って話を聞いてくれた。


「なるほどね……それで、あんなに慌てて古書館を飛び出してきたってわけね」


 全て話し終えたのを見計らって、アオイさんが最初に口を開いた。

 その記憶を垣間見てしまった私自身が、どうすべきなのかわからずにいるのだから、当然、アオイさんがその答えを見つけられるはずもない。困り果てた様子で、眉間にシワを寄せた。


「あまり詳しいことは知らないのだけど、あの事件を起こした夢喰い人アルプトラウムはまだ捕まっていないのよね?」

「乗客全ての記憶が消されてしまいましたから。犯人の夢喰い人アルプトラウムの姿を見たという記憶も、思い出した人が未だにいませんので……」

「とりあえず、少し休みましょう。温かいものを飲めば、気持ちも落ち着きますよ」


 どんよりと沈みかけた空気を感じたのか、スズネさんがお茶を淹れてくれた。少しでも気分が変わればという、彼女の優しさが純粋に嬉しかった。

 白い湯呑に注がれたお茶は、透き通った綺麗な琥珀色こはくいろをしていた。立ち昇る湯気は、見ているだけでも心を落ち着かせてくれる。


「ありがとうございます……んっ。美味しい」

「よかった。それ、トウモロコシのヒゲ茶なんですよ」

「ひげ?」


 隣に座っていたアオイさんが首を傾げる。スズネさんはニコッとして頷いた。


「トウモロコシの上の方に、淡い黄緑色の糸のようなものがいっぱいありますよね? あれを炒って乾燥させたものなんですよ」


 スズネさんは身振り手振りで教えてくれた。その仕草の一つひとつが可愛らしくて、気がつくとその姿を目で追い、じっと眺めてしまった。

 来栖さんはスズネさんを前にして、どんな想いを抱いているのだろう。同性である私でさえ可愛らしいと思ったのだから、毎日のようにここへ足を運び、共に時間を過ごしている来栖さんが、そう思わないはずはない。


「それにしても。ミズキちゃん、気になる記憶を見ちゃったわね」 


 アオイさんは「うーん」と唸りながら、手にした湯呑の中を覗いた。

 脳裏には、夢喰い人アルプトラウムが振り返るあの記憶が何度も浮かんでいた。それを思い出す度、心に霧がかかったようにモヤモヤして、私はそれを押し流すように茶をすすって、ごくりと飲み下した。


「周防さんが私と同じ、ハンス・ペルシュメーア号事件の被害者だってことは、来栖さんから聞いてはいたんです。でも、あの記憶は……」

「振り返ったその姿が周防さんだっていうのは、なかなか衝撃的ですね……何かの間違いではないのですか?」

「そう思いたいんですけど……周防さんから読み取った記憶だから」


 あの記憶は紛れもなく、周防さんが体験した過去の出来事。偽りなどあるはずがない。

 ハンス・ペルシュメーア号事件を起こした夢喰い人アルプトラウムが周防さんかもしれない。そう思うと、心臓がキリキリと痛んで軋むような錯覚に陥る。


「でもおかしいんですよ、あの記憶……本来なら、その夢喰い人が周防さんのはずがないんです」


 当然のことながら本人から読み取った記憶は、物などに刻まれた記憶と違い、記憶の持ち主の視点で見聞きした物事が蓄積していく。

 あの記憶は周防さんの視点で自らが体験した記憶だから、事件の首謀者である夢喰い人アルプトラウムが周防さんの姿をしているのは、状況からしてもおかしい。鏡に映らない限り、周防さん自身が映り込むことはあり得ないからだ。あの記憶は一体どういうことなのだろう。


「周防さんは、何かを隠しているんでしょうか……」

「その可能性もあるでしょうけどね。まぁ、私の知る限りでは、あの男は誰かを傷つけるような嘘はつけないと思うわよ? それは、ミズキちゃんの方がよくわかっているんじゃない?」

「そう、ですよね……」


 私は自分の手をじっと見つめた。

 意思に反して夢喰い人アルプトラウムの力を使った後、そこにあるのはいつも後悔だけだった。よかったと思えたことは一度もない。

 どうしてあの時、私は周防さんの記憶なんて見てしまったのだろう。触れたいと思わなければ、こんな想いをすることもなかったはずなのに――


「私は、この力が嫌いです」

「私も小さい頃は嫌いだったわね。まぁ、魔女の末裔なら誰だって一度は思うわ」

「アオイさんも、ミズキさんと同じ夢喰い人なのですか?」


 スズネさんがそう訊ねと、アオイさんは含み笑いながら首を横に振った。


「私は闇人ナハト。刻む紋様に呪いの力を宿すことができるってやつ。この力のせいで、子供のころは呪われる~とか、よく言われたわ」

「そうなんですね……でも、私は素敵な力だと思いますよ。夢喰い人アルプトラウム闇人ナハトも」

 その言葉に、私とアオイさんは驚いた。

 忌み嫌われ避けられることはあっても、素敵だなんて言われたことは一度もなかった。初めてだったせいか、どう応えていいのか、どんな顔をすればいいのかもわからなかった。


「素敵……ですか?」

夢喰い人アルプトラウムは記憶を読むことができるのでしょう? 誰にも伝えることができなかった、目に見えない誰かの想いを拾い集めて、伝えることができる。闇人ナハトはまじないを用いることで、不安を抱く人の心の支えになることができる。これがあれば大丈夫、上手くいくって。お二人の力は、誰かを助けることができるんですから」

「そう……そんなふうに考えたことがなかったから。そうよ、ミズキちゃん。私達の力は、悪いことばかりじゃないのよ」


 その時、脳裏を過ったのは、記憶の入れ替え事件の被害者エレナさんの笑顔だった。

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