第9話「恋スル者ヨ」(1)
誰にも邪魔されずに話ができる場所へ――焦りと困惑の中、最初に思い浮かんだのは〈火龍楼〉だった。 来栖さんの義理の妹〝スズネさん〟がいるあの場所以外に行く宛てもなく、私はアオイさんを連れ、すがる思いで店に駆けこんだ。
「すみませんっ、スズネさんは、いますか!」
開店前とあって玄関先は薄暗く、夜の
しばらくして、ようやく奥から小姓が顔を出した。洗濯か皿洗いでもしていたのか、
「申し訳ありません。姉様達はまだお休みの時間なので、夜になりましたら改めて――」
「それはわかってます。でも、お願いしたいことがあって!」
「いえ、でもっ。今は開店の時間ではありませんので……」
「ミズキちゃん、帰りましょう? 彼も困ってるし」
「もしかして、ミズキさん?」
玄関先でのやりとりが聞こえたのか、そこへスズネさんがやってきた。彼女の姿を見るなり、小姓は深々とお辞儀をして廊下の端へ素早く
「こんな時間にどうかされたのですか?」
「急に来てしまって、ごめんなさいっ。でも、お願いが……その、話ができる部屋を貸してほしくて」
「姉様、まだ部屋へお通しできる時間では……」
「大丈夫、私の部屋に案内するから。ミズキさん、あがってください」
切羽詰まった私の様子を見たスズネさんは、私とアオイさんを快く店の中へ招き入れてくれた。
通されたのはスズネさんの部屋だった。この火龍楼を訪れる客人さえ入ることのできない場所だ。
壁は深みのある深紅に染まり、黒い天井には鮮やかな金魚や
「少し狭いですが、どうぞ座ってください」
部屋の隅に追いやっていた黒い
「私の部屋はこの建物の最奥にありますし、隣は空き部屋ですので。話を聞かれることはありませんから、安心して下さい。それで、何があったのですか?」
スズネさんはちらりとアオイさんを見た。視線に気づいたアオイさんは、目を少し見開いて、困ったように笑って首を傾げた。
「実は、私も知らないのよ。古書館に戻ったら、そのまま連れ出されちゃってね。ミズキちゃん、一体何があったの?」
「……私、どうしたらいいのか、わからなくなってしまって」
何とか声を絞り出し、一つひとつ頭の中で整理しながら全てを話した。
私自身がハンス・ペルシュメーア号事件の被害者であり、また周防さんも同じであること。そして、眠っている周防さんから、当時の事件の記憶を見てしまったこと――2人は口を挟むことなく、見守るように黙って話を聞いてくれた。
「なるほどね……それで、あんなに慌てて古書館を飛び出してきたってわけね」
全て話し終えたのを見計らって、アオイさんが最初に口を開いた。
その記憶を垣間見てしまった私自身が、どうすべきなのかわからずにいるのだから、当然、アオイさんがその答えを見つけられるはずもない。困り果てた様子で、眉間にシワを寄せた。
「あまり詳しいことは知らないのだけど、あの事件を起こした
「乗客全ての記憶が消されてしまいましたから。犯人の
「とりあえず、少し休みましょう。温かいものを飲めば、気持ちも落ち着きますよ」
どんよりと沈みかけた空気を感じたのか、スズネさんがお茶を淹れてくれた。少しでも気分が変わればという、彼女の優しさが純粋に嬉しかった。
白い湯呑に注がれたお茶は、透き通った綺麗な
「ありがとうございます……んっ。美味しい」
「よかった。それ、トウモロコシのヒゲ茶なんですよ」
「ひげ?」
隣に座っていたアオイさんが首を傾げる。スズネさんはニコッとして頷いた。
「トウモロコシの上の方に、淡い黄緑色の糸のようなものがいっぱいありますよね? あれを炒って乾燥させたものなんですよ」
スズネさんは身振り手振りで教えてくれた。その仕草の一つひとつが可愛らしくて、気がつくとその姿を目で追い、じっと眺めてしまった。
来栖さんはスズネさんを前にして、どんな想いを抱いているのだろう。同性である私でさえ可愛らしいと思ったのだから、毎日のようにここへ足を運び、共に時間を過ごしている来栖さんが、そう思わないはずはない。
「それにしても。ミズキちゃん、気になる記憶を見ちゃったわね」
アオイさんは「うーん」と唸りながら、手にした湯呑の中を覗いた。
脳裏には、
「周防さんが私と同じ、ハンス・ペルシュメーア号事件の被害者だってことは、来栖さんから聞いてはいたんです。でも、あの記憶は……」
「振り返ったその姿が周防さんだっていうのは、なかなか衝撃的ですね……何かの間違いではないのですか?」
「そう思いたいんですけど……周防さんから読み取った記憶だから」
あの記憶は紛れもなく、周防さんが体験した過去の出来事。偽りなどあるはずがない。
ハンス・ペルシュメーア号事件を起こした
「でもおかしいんですよ、あの記憶……本来なら、その夢喰い人が周防さんのはずがないんです」
当然のことながら本人から読み取った記憶は、物などに刻まれた記憶と違い、記憶の持ち主の視点で見聞きした物事が蓄積していく。
あの記憶は周防さんの視点で自らが体験した記憶だから、事件の首謀者である
「周防さんは、何かを隠しているんでしょうか……」
「その可能性もあるでしょうけどね。まぁ、私の知る限りでは、あの男は誰かを傷つけるような嘘はつけないと思うわよ? それは、ミズキちゃんの方がよくわかっているんじゃない?」
「そう、ですよね……」
私は自分の手をじっと見つめた。
意思に反して
どうしてあの時、私は周防さんの記憶なんて見てしまったのだろう。触れたいと思わなければ、こんな想いをすることもなかったはずなのに――
「私は、この力が嫌いです」
「私も小さい頃は嫌いだったわね。まぁ、魔女の末裔なら誰だって一度は思うわ」
「アオイさんも、ミズキさんと同じ夢喰い人なのですか?」
スズネさんがそう訊ねと、アオイさんは含み笑いながら首を横に振った。
「私は
「そうなんですね……でも、私は素敵な力だと思いますよ。
その言葉に、私とアオイさんは驚いた。
忌み嫌われ避けられることはあっても、素敵だなんて言われたことは一度もなかった。初めてだったせいか、どう応えていいのか、どんな顔をすればいいのかもわからなかった。
「素敵……ですか?」
「
「そう……そんなふうに考えたことがなかったから。そうよ、ミズキちゃん。私達の力は、悪いことばかりじゃないのよ」
その時、脳裏を過ったのは、記憶の入れ替え事件の被害者エレナさんの笑顔だった。
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