第10話「恋スル者ヨ」(2)
私が
ずっと怖がられ続けていた子供の頃とは違う。私の力でも役に立てることがある、そう思えたことをすっかり忘れていた。
何よりも、私は周防さんと同じ力を持ち、彼が立ち止まりそうになった時、傍にいて助けてあげることができる。そのことを見失いかけていた。
「スズネさん、ありがとう! 私、大切なことを忘れるところでした」
「あら、笑顔が戻ったわね。大丈夫! 周防さんが事件に関係する
「アオイさんっ」
「ん? スズネちゃん、どうかして――あら」
「あの記憶……また思い出しちゃいました」
せっかく立ち直りかけた心が、また沈んでいく。周防さんから読み取った事件の記憶は、私が思っていた以上に衝撃的だったらしい。全身の力が手や足先からスルスルと抜け落ちていくような気がして、力なく
「ちょっと、そんなあからさまに落ち込まないでっ。えっと、ほら! ミズキちゃんは、周防さんが眠っている時に記憶を見たんでしょう? それって記憶っていうより、周防さんがその時に見ていた夢だったってことはない?」
「夢……?」
おずおずと顔を上げると、目が合ったアオイさんは何度も頷いた。
「現実か夢かわからないほど鮮明で、目が覚めた後もしっかりと憶えているような、印象的な夢を見る時ってあるでしょ? ほとんどの夢は忘れてしまうけれど、そういう夢って憶えているから、記憶として残るんじゃない?」
「あぁ、そうですよね! 周防さんが悪い夢を見て、それをミズキさんが記憶として読み取ったかもしれませんよね」
「その可能性もあると思うんですけど……」
「まったく……彼のこととなると、急に自信をなくしちゃうのね。ミズキちゃんはどうしたいの?」
アオイさんが呆れ気味に訊ねた。
「私……?」
「私達がどうこう言っても、決めるのはミズキちゃん自身だもの。今、ミズキちゃんはどうしたい?」
アオイさんの言葉を、何度も心の中で呟いた。その度に浮かぶのは周防さんの姿だった。
気だるげに押収品の記録をつけたり、幸せそうな顔でお菓子を食べたり。寂しげな表情で煙草を吹かす横顔、子供みたいに無邪気に笑う表情が浮かんでは消えて行く。
私はどうしたいのか、どうすべきなのか。
私は自らに問い質した。心を占める辛さや後悔、迷いの全てを取り払って考えた時――私の中に残るのは、周防さんを信じて真実を見極めたいという願いだった。
何も難しいことではなかった。悩みそうになったら、まずは考える前に進まなければ。わからないことは自らの目で見て、この耳で聞いて確かめる他に方法はないのだから。
自分自身で道を絶っていたことに気づいたとたん、答えは意外にもすんなり見えてくるものらしい。重苦しかった心がスッと軽くなった気がして、私は湯呑に残っていたお茶を飲み干した。
「……話を聞いてくれて、ありがとうございました。やるべきこと、ちゃんと見つけました」
「あら、やっと復活かしら?」
「二人のおかげです。私が見た周防さんの記憶は断片的なものでした。本当のことを確かめもしないで、勝手に答えを決めてしまったんです。わからないものを悩んでいても答えは出ませんので……周防さんに直接聞こうと思います」
「そうね、それが一番の解決法かもしれないわね。よし! ミズキちゃん復活ってことで、仕切り直しね。せっかくだからお茶会にしましょうよ。買ってきた龍月堂の新作のお菓子、やっと開けられるわ」
「それじゃあ、新しいお茶も用意しますね」
スズネさんはお茶を淹れなおし、アオイさんは買ってきた菓子の封を開けた。手に入れたという龍月堂の新作は、
丸い瓶に詰められたそれらは、鮮やかで黄色と
「スズネさん、ありがとうございました」
唐突に言われたスズネさんは、小首を傾げてきょとんとした。
「人を助けることができるなんて、初めて言われたから嬉しかったです」
「私は本当のことを言っただけですよ。それに、羨ましいとも思ったんです」
湯呑にお茶を注ぎながら、スズネさんは小さく含み笑った。その横顔は照れているようにも、
「相手が自分のことをどう思っているのか、気持ちを聞くのが怖い時があるんです……気づかれないように知ることができれば、今の関係を壊すことなく、離れて行くことも前に進むこともできますから。だから、私にも夢喰い人の力があったらいいなって」
その時、スズネさんが誰を想って話しているのはわかっていた。
初めてここへ来た時、偶然彼女の記憶を見てしまったから、その相手が来栖さんであることも知っている。
今、彼女が何を考え、何を想っているのか。
「スズネさん、好きな人がいるんですね」
「えっ! あっ、その、そういうわけじゃ」
私は気づいていなかったふりをして訊ねた。
スズネさんは思っていた以上に慌て、辺りをきょろきょろと見回す。その間に、耳は真っ赤に染まっていった。その反応を見るや、アオイさんがすかさず喰いつく。不敵に笑って、照れているスズネさんの頭を撫でた。
「私、そういう顔って大好きよ。男も女も、恋をしている時の表情は魅力的だわ。それで? 相手は誰なの?」
「えっ、いや、それはっ」
「アオイさん! そこは聞いちゃ駄目ですよっ」
戸惑いながらも、幸せと寂しさが入り混じる表情を見て、一瞬、脳裏に蓑島リョウの顔が浮かんだ。
今、何かが掴めそうな気がした。蓑島とスズネさんの笑顔が交互に浮かんでは消え、そしてゆっくりと重なっていく。その瞬間ハッとして、私はアオイさんの腕を掴んでいた。突然そんなことをされたものだから、アオイさんは驚いて目を丸くした。
「ど、どうしたの、急に!」
「アオイさん、蓑島リョウの目的がわかった気がするんです!」
「蓑島って、今回の事件の
「確証はないんですけど、蓑島リョウは新堂スミレに恋をしていたんじゃないでしょうか」
「恋……? それはあり得ないわよ」
私はいたって真面目に考えたつもりなのだけれど、何がおかしいのか、アオイさんはケラケラと笑い飛ばして私の肩を叩いた。
「ミズキちゃん、それは無理があるわよ。だって、蓑島は今の時代に生まれていて、新堂スミレは50年も前に亡くなった過去の人物よ?」
「それはそうなんですけど……でも、被害者の女性達の記憶にあった蓑島の姿や表情は思い返すと、そうとしか思えなくて」
今を生きる蓑島が過去の女性に恋をするなんて。あり得ないことは、私も十分わかっている。ただ、周防さんの記憶の断片を見て、答えを決めつけてしまった自分の行動で思い知らされた。あり得ないと決めつけた瞬間から、本質を見過ごしてしまうのかもしれないのだ、と――。
「被害者の女性達は、蓑島リョウを恋人のような目線で見ていました。その部分が記憶にあるということは、蓑島は自分のことを恋人だと思わせたかったんじゃないでしょうか」
「来栖さんの調査記録を読ませてもらったけど、確か、新堂スミレには恋人らしき相手がいたのよね? 新堂家の邸で、その記憶が見つかったって書いてあったけど?」
「おそらく、その部分の記憶を利用したんだと思います。彼女を手に入れることは叶わないから、せめて彼女の記憶を宿した複製を作るために、彼女達を連れ去ったような気がするんです」
「んー……ありそうな気もするんだけど。やっぱり無理があるんじゃない? 仮にそうだとして、せっかく手に入れた女性をどうして手離すの? その点が妙なのよね」
「そ、それは確かに……」
やはり、この答えも違うのだろうか。けれど、蓑島が彼女達を見つめる目――あれは紛れもなく愛しい人を見つめる目だった。
蓑島の目的がわかれば、その行動範囲や癖、現状で把握している以外の情報が新たに見つかったり、繋がりが見つかるのではないかと思ったのだけれど、やはりそう上手くはいかないらしい。
溜息をついて肩を落とした矢先、何を思ったのかアオイさんが急に立ち上がった。
「ミズキちゃん、古書館に帰るわよ!」
「えっ!? 急にどうしたんですかっ」
「ミズキちゃんが妙なこと言うから、何だか気になってきちゃったのよ。ここで話し合っていても埒が明かないから、この件は私達よりも経験豊富な周防さんと来栖さんにも聞いてもらいましょう。それから、周防さんの記憶の件もね」
「そ、そうですね……わかりました!」
私は意を決するように小さく頷き、淹れてくれたお茶を一気に飲み干す。その湯呑をスズネさんに手渡し、しっかりと頭を下げた。
「急に押し掛けちゃって、ごめんなさい。本当に助かりました! スズネさんのおかげで、前に進めそうです」
「いいえ、お気になさらないで。いつでも遊びに来てくださいね」
「スズネちゃん、またね。ミズキちゃん、行くわよ!」
「は、はいっ」
強引にアオイさんを連れてきた私が、帰りは強引に手を引かれて火龍楼を後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます