第7話「真実ハドコニ」(1)

「戻りました……」


 盛大な溜息と共に、疲れきって掠れた声を何とか絞り出した。

 古書館の扉を押し開けて中に入ると、先に戻っていた周防さんがソファにもたれ、ぐったりと天井を見上げていた。徹夜明けだろうと、とんぼ返りの出張だろうと、そんな疲れた姿を見せたことがない。おそらく、今日の作業がよほど疲れたのだと思う。


 私に気づくと、周防さんは顔だけこちらへ向けて「おかえり」と声をかけてくれる。ただ、私同様にその声は疲れ切っていた。


「いつになく疲れた顔してるな」

「周防さんも同じような顔してますよ」


 すとんと、落ちるように周防さんの隣に座った。スプリングがギシッときしんで、跳ねた勢いで少しだけ周防さんの方へ寄った。


「その様子だと聞くまでもなさそうだが。どうだった?」

「全員、まったく同じ記憶でした……周防さんの方はどうでしたか?」

「俺も同じだ。一体どうなってるんだろうな」


 私と周防さんの溜息が見事に重なった。

 新堂スミレが増殖した――その奇妙な知らせを受け、本部へ戻った私達を待っていたのは、その言葉通りの事態だった。


 自らを新堂スミレだと思い込まされた最初の被害者2人と、同じ内容の訴えで助けを求めてきた女性が、帝都を中心にあちこちの街で保護された。その数、なんと20名。おまけに、彼女達は数週間から数ヶ月前に行方不明者として捜索願が出されている者ばかりだった。


 私と周防さんで手分けをして、保護された女性達の記憶を全て確認した。まさかとは思ったのだけれど、見事に彼女達は新堂スミレの記憶を持っていた。もちろん、あの小瓶のペンダントも身に着けていた。まさに新堂スミレが増殖したのだった。


「蓑島リョウに関する新たな記憶は、一切みつかりませんでしたね」

「増えたのは人数だけで、手がかりはナシ。おまけに、あれも不発に終わったからな」


 と、私達の視線が向かったのは、給湯室脇の一画に積み上げられた押収品。

 衣類から愛用の文房具、靴やハンカチ、果ては箸や茶碗に至るまで。蓑島リョウが使っていたものを、彼の実家から持ち出したものだった。


 保護された女性達の記憶を確認しつつ、休憩時間を使ってそれら押収品の記憶も読み取ったけれど、残念ながら成果は全くナシ。新堂スミレの記憶収集と同様、押収品が家の中に置かれている物が大半だったため、刻まれた記憶は当然のことながら、家庭内という限られた空間で起こったことのみ。事件に関係のありそうな記憶は一切見つからなかった。


「蓑島リョウは、今どこにいるんでしょうね……」

「そういえば。最初に保護された2人の記憶を読んだ時、蓑島リョウが海の見える邸にいる姿が見えただろう? あの場所はまだ見つかってないのか?」

「私も気になって、さっき来栖さんに聞いたんですけど……〝ヒノモト国内の海沿いの街〟くらいの情報しかありませんからね。保護された女性達に居場所を訊ねても、なぜか憶えていませんでしたし」

「自分の居場所を特定されないよう、呪いをかけていたんだろうな。あぁ……完全に行き詰ったな」

「そうですね……」


 私が再び溜息をつくと、見兼ねた周防さんがいつものように菓子をくれた。

 今日は琥珀糖こはくとう。正方形のガラス瓶に、いびつながらも断面が美しい原石の欠片のような砂糖菓子が詰められている。ランプの淡い光でも、淡い青や緑の色がキラキラと輝いている。


「そう溜息ばかりつくな。幸せが逃げる」

「わかってますけど、溜息もつきたくなります……」

「行き詰ってはいるが、今回起きた増殖のおかげで見えてきたこともある」


 そう言って席を離れ、周防さんは自分の作業机の前に立った。散乱した菓子の山を押し退け、そこに最初の被害者2人と増えた20名の被害者、そして蓑島リョウの写真を並べていく。私も隣に立って、それを覗き込んだ。


「彼女達が保護されるまでの一連の行動を見て、気になることがあってな」

「新堂スミレの記憶と行動以外に、彼女達の共通点なんてありました?」

「気になるのは彼女達じゃなく、蓑島リョウの方だ」


 周防さんは目の前にずらりと並ぶ写真を見下ろし、その中心に置かれた蓑島リョウの写真にトンッと指先で触れた。


「ミズキ、彼女達に共通している一連の行動はわかるな?」

「彼女達は皆、行方不明で捜索願が出されている人ばかりでした。何らかの理由で蓑島リョウが連れ去り、新堂スミレだと思い込むよう呪いをかける。その後、解放された彼女達はフシカネの新堂家の邸に戻って、軍に助けを求めて保護される……で、間違いありませんよね?」

「今、話していて気づかなかったか? どうして蓑島リョウは、彼女達を解放したんだ?」

「……あっ。そう言われてみれば、確かに!」


 私は蓑島リョウの写真を手に取った。

 この一件は、新堂スミレだと思い込まされた22名の彼女達に焦点が当たっているため、そちらに意識が集中しているけれど、ふと一歩離れたところから見ると、蓑島リョウの行動に違和感があることに気づかされた。


「蓑島リョウが、彼女達を新堂スミレだと思いませたいってことは、そこになんらかの目的があるはずだ」

「わざわざ連れ去ったんだから、解放してしまったら意味がありませんよね。もしかして、解放することに意味があるとか?」


 他にも共通点がないか、見落としている点はないか。

 私と周防さんは写真を年齢別に並べ替えたり、来栖さんからあずかった22名分の戸籍と見比べたりと、様々な可能性を考えた。けれど、いくら考えようとも、蓑島リョウと彼女達の接点はもちろん、なぜ解放したのかという理由なんて尚更見つかるわけがない。

 さすがの周防さんもお手上げ状態。大きめの溜息をついて、ソファにごろんと横になってしまった。


「目的が分かったところで、居場所がわかるわけじゃないんだよな」

「手詰まり状態ですね……」


 ちらりと、横目で蓑島リョウの写真を再び見下ろした。

 一体、あなたは何がしたいの? 何をしようとしているの? 

 何度も心の中で問いかけたけれど、その答えが返ってくることはない。目の前に答えがありそうなのに、ぼんやりと形だけが見えるだけで掴めない。霧の中を彷徨さまよっているような、もどかしい気持ちになった。


「周防さん、少し休憩しませんか?」


 手がかりがない今、憶測だけでは前に進むことすらできない。今日の調査で夢喰い人アルプトラウムの力をいつも以上に使ったせいか、周防さんもだいぶ疲れている様子だった。気持ちを切りかえるためにも、休息は必要だ。


「根詰めてもいい結果には繋がりませんし。私、お茶淹れますから」

「んー、そうだな。頼めるか?」

「はい。美味しいの、れますね」


 私は小走りで給湯室へ行き、水を満たした鉄瓶てつびんをコンロにかけた。

 お茶請ちゃうけの菓子は、周防さんからもらった琥珀糖にしよう。あとはそれに合うお茶を何にするか。

 煎茶や番茶など、置いてある茶筒ちゃづつを手に取りながら、あれこれ考える。ふと、何かに呼ばれたように感じて、給湯室脇の机に積み上げられた押収品の方へ目をやった。

 コンロのガスが吹き上がる音と、微かに湯が沸き始める音を気にかけながらも、私は徐に茶筒を置いてそこへ歩み寄った。


「手詰まり、か……」


 本当にそうなのだろうか、見落としがあるのではないか。私はすがるような思いで、乱雑に畳まれた着流しの着物に触れた。

 息が詰まるような感覚が体の中を駆け抜けた後、軽い眩暈めいまいに襲われ目を閉じる。記憶が一気に流れ込んできた。


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