第6話「スミレ」(2)

 窓の外から邸の門が見える。

 彼女はどこか落ち着かない様子で外を見ていた。しばらくすると、門の前に1台の蒸気馬車が停まり、1人の青年が降りてきた。癖っ毛なのか、クルクルと跳ねた可愛らしい黒髪で、瞳は淡い緑色をしている。異国の青年だった。


 彼女を見つけると、青年は嬉しそうに笑顔で手を振った。彼女はそれに応えるように深く頷くと、小走りで部屋から出て行く。慌てた使用人達が、走らないよう注意しながら後追っていった。

 そこで記憶が途切れ、私は静かに手を離した。小さく息を吐いて、うっすらと埃の付いた手の平を見下ろした。


「……ちゃんと、拾い集めてあげないと駄目だよね」 


 新堂スミレには大切な人がいたんだ。自らの病すら忘れて、笑顔になれる人が――その時、脳裏を過ったのは周防さんの姿だった。

 怖いだとか、夢喰い人アルプトラウムの力を使いたくないなんて、そんな我がままは言っていられない。蓑嶋リョウという男がどうして見知らぬ女性達に新堂スミレの記憶を植えつけ、本人だと思い込ませたのか。


 優先すべきことは、その理由を見つけ出すことなのかもしれない。けれど以上に、同じ女性として、彼女の記憶を集めてあげたいと思った。戸籍からも読み取れるように、おそらく彼女は大切な彼に添い遂げることなく亡くなった。その悔しさや寂しさを拾い集めてあげたかった。


「よし、気合入れて調べないとね」


 深く頷いて、次の部屋へと向かった。

 人が住まなくなって長く、家具はもちろん、この家の者達が身に着けていた装飾品などは一切残されていない。壁や床など限られた物しかないため、得られた記憶はこの邸内での日常生活が大半だった。

 使用人から料理を教わったり、雨の日に子猫を拾ってきて両親に叱られたり。どこにでもある日常があった。ただ、今回の事件に繋がるような記憶は見つからない。


 蓑嶋リョウがこの邸にきた痕跡も、なぜ彼女の記憶を植えつけたのかも、その関係性もわからないままだった。

 私は最初に調べた部屋に戻り、再びあの窓の前に立った。


「終わったのか?」


 声をかけられ、驚いて体がびくりと跳ねあがった。

 振り返ると、2階の調査を終えた周防さんが背後に立っていた。隣に並んだのを見計らって、私は黙って手を差し出した。意図をくみ取った周防さんは、そっと握り、私が集めた記憶を持っていく。


「……やはり、似たような記憶ばかりだな」

「2階の部屋から集めた記憶も、同じような感じですか?」


 周防さんが見た記憶を貰おうと手を伸ばすも、なぜかひょいっとかわされ、上着のポケットに突っ込んでしまった。首を傾げる私に、周防さんは困ったように笑った。


「2階にあった新堂スミレの寝室から集めた記憶は、俺でも見ているのが辛くなるくらいだったからな」

「でも、ちゃんと見ないと……」

「あいにく、ハンカチを忘れたんだ。今日は特別」


 いつもの流れなら「仕事だ」と言って、私のわがままを聞いてくれないと思っていたから意外な答えだった。

 彼女は心臓の病を抱えていた。1階の居間や客間は起きている時の姿が多く、1人になることが少ない光景ばかり。両親や使用人達に心配をかけないよう、気丈に振る舞っていたはず。けれど1人きりの寝室ともなれば、強い心も簡単に折れてしまう。


 おそらく、1人で苦しむ姿は私が想像している以上に辛いものだったのかもしれない。メソメソ泣かないよう、気遣ってくれたのだろう。その甘さを感じてホッとしながらも、少し切なくなった。

 新堂スミレは、私のように想い人がいたのに、こうして隣に立って未来を夢見ていたはずなのに――


「結局、わかったのは新堂スミレの日常と生い立ちだけだったか」

「蓑嶋リョウがここへ来た様子もなかったし……新堂スミレとは、どういう繋がりなんでしょうね」


 そう言った直後、ギシッと大きくきしむ音が廊下で響いた。私と周防さんは同時に振り返り、居間から見える玄関ホールに視線をやった。


「周防さん、何の音でしょう……私達以外に、誰もいないはずなんですけど」

「大きな鼠か。あるいは、この邸をねぐらにする白骨の亡霊が目を覚ましたか」

「冗談やめてくださいよっ」


 そんな会話をしている間にも音はだんだんと大きくなり、こちらに迫ってくる。

 ギシッ、ギシッ、ギシッ! ――とっさに周防さんにしがみついてしまった。


「す、周防さんっ」

「っ!」


 音が最大になった瞬間、ゴクリと息を呑んで身構えた。

 緊張で体が強張こわばる中、入り口から2つの影がヒョイッと顔を覗かせた。それは別行動を取っていた来栖さんとアオイさんだった。

 その姿に、私と周防さんの緊張は一気にゆるんだ。安堵あんどの溜息をつく私の隣で、周防さんも同じような溜息をついていたのが意外だった。案外、怖がりなのかもしれない。


「2人とも、作業は終わったかい?」

「来栖さん、驚かさないでくださいよっ……心臓に悪いです」

「そっちの調査が終わったら、本部に戻るって言ってただろう」

「そのつもりだったんだけど、合流して情報共有した方がいいと思って来ちゃったの」


 アオイさんは小走りで駆け寄り、私の頬をふわふわと撫でた。「良い子にしてた?」なんて言われたものだから、飼い主の帰りを家で待つ猫か犬にでもなった気分だった。


「それにしても不気味ね。こんな何もない場所に、お目当ての記憶はあったの?」


 私の顔を撫でながら、アオイさんはぐるりと室内を見渡した。ほこりが漂っているのが嫌だったのか、その綺麗な顔をしかめて苦々しい表情を浮かべた。


「新堂スミレがどんな人だったのかはわかったんですけど……蓑嶋リョウに関しては何も」

「どうやら、こっちと同じみたいだね」


 私の話を聞き、来栖さんとアオイさんは顔を見合わせた。

 私と周防さんがこの邸で記憶の収集をしていた間、来栖さんとアオイさんは〈モクラン〉にある蓑嶋リョウの家に向かっていた。


 蓑嶋リョウの部屋にある衣服を始め、小さい物は万年筆やハンカチに至るまで、持ち出せる物は全て運び出したそうだ。夢喰い人アルプトラウムではない2人には、それらに刻まれた記憶を読み取ることはできないため、全てとは言えないけれど、そこで予想していなかったことが判明したらしい。


「蓑嶋のご両親共に、闇人ナハトではなかったんだ」

「魔女の末裔ではなかったのか?」


 周防さんの問いに、来栖さんはゆっくりと頷いた。

 私や周防さん、アオイさんのように、魔女の力は先祖代々、魔女から魔女へと受け継がれていく。遥か昔は魔女の力を持たない両親から生まれることもあったらしいけど、魔女の血が薄れた今の時代では、血を受け継ぐ末裔以外の者から生まれることはほぼ無いに等しい。


「でも、まれに生まれることもありますよね? ご両親なら傍で見ているわけですし、闇人の力に気づいていたんじゃないですか?」

「押収した物にその記憶が刻まれているかもしれないけど、僕とアオイさんがご両親から聞いた限りでは、闇人としての力を使っているのは見たことがないって言ってたよ」

「私も呪いの紋様がないか調べてみたけど、それらしき物は一切なかったわ」


 一体どうなっているんだろう。2人の女性を新堂スミレだと思い込ませるには、紋様に力を宿して操る闇人ナハトとしての力が必要不可欠。

 彼女達の記憶には、その証拠となる小瓶のペンダントもあった。闇人ナハトではないのならば、あのペンダントはどうやって作りだしたのか。どうやって彼女達を操ったというのだろうか。


 得た情報を繋ぎ合わせて考えていた矢先、急に外が騒がしくなった。

 玄関が勢いよく開いたと同時に、バタバタと走る足音が近づいてくる。部屋にかけ込んできたのは、来栖さんの部下の金森ハルト。息を切らし、酷く慌てた様子だった。


「大佐、すぐに本部へお戻りくださいっ」

「何かあったのかい?」

「今、本部から通信が入って。詳しいことはわからないのですが……新堂スミレが増殖したとのことです」


 なんとも奇妙なことを告げた彼を、私達は黙って見つめていた。

 止まりかけた時間は唐突に、何の前触れもなく、こちらの予想を越えて慌ただしく動き出すものらしい。

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