第5話「スミレ」(1)

 帝都から蒸気馬車で1時間――北の大草原に広がるシューマ湖の湖面に、人工の巨大浮島〈フシカネ〉が広がっている。別名〈からくりの街〉とも呼ばれ、雨季の湖面上昇に合わせて街の形状が変化する蒸気機械の塊のような街だ。


 湖岸と街を繋ぐ橋を渡り、街の中心を走る大通りを北へ真っ直ぐ抜けると、機械であふれた景色から一変。鬱蒼うっそうと木々の生い茂る一帯へと入った。そこにひっそりと隠されるようにたたずむのが、新堂家の邸だった。


「周防さん。やっぱり帰りたいです……」

「入る前から弱音吐くなよ。まぁ、気持ちはわかるけどな」


 私と周防さんは互いに顔を見合わせ、力なくヘラヘラと笑った。

 私達を出迎えた新堂家の邸は、半世紀という年月を経てもその豪華さは全く損なわれていない。ただ、主を失った邸というのは、なんとも独特な怪しさと仄暗ほのぐらさを宿している。


 白かったはずの壁は黒ずみ、それを蔓草つるくさが飲み込むようにおおっている。一見すると緑の塊でしかない。所々その隙間から窓が覗いているけれど、その奥は深い闇色に染まり、中の様子が全く分からなかった。じっと目をらすと、その闇の中からぎらりと光る眼が覗いているような気がする。


 荒れた敷地内には、びて半分朽ち果てた馬型の機械人形が、蒸気馬車に繋がれたまま項垂うなだれている。半世紀前から時を止めたその空間は、門の前に立つ私と周防さんとは異なる時間の中に存在しているかのような、そんな錯覚におちいった。


「本当に、別の事件を発見してしまいそうな雰囲気ですね」

「寝室から白骨化した遺体発見とか?」

「可能性は十分に大だと思いませんか?」

「そうなった時は、俺達が記憶を読み取って供養してやろうな」

「もう骨はこりごりです……」


 肩を落とす私を連れ、周防さんは壊れた門の間をすり抜けて敷地内へと入った。

 ひざ丈まで伸びた雑草をきわけ、足首に絡まる蔓や根を引き千切りながら、ようやくやしきの玄関先に辿り着いた。


「お邪魔します……」


 今にも崩れそうな玄関扉を押し開け、私は中をそろりと覗き込んだ。

 最初に出迎えたのは広い玄関ホール。正面には2階へと続く階段があり、左右に伸びる廊下の先には、いくつもの客間や部屋があった。


 当然のことながら、邸内には何一つ残されてはいない。家具も絨毯じゅうたんもなく、胸が締め付けられるような静けさだけが詰まっている。

 床には雪のようにほこりが分厚く積り、至るところに蜘蛛くもの巣が暖簾のれんのようにさがっている。それらが主を失った年月を物語っていた。


「さて、始めるか」


 周防さんの声が反響し、その後にぞっとするような静けさが返ってくる。それが妙に恐怖心をあおり、思わず周防さんの上着を掴んで居た。


「す、周防さん。もちろん、2人で記憶の収集をするんですよね?」

「もちろん、別行動で作業だよ」


 満面の笑みを返すものだから、私もついつられてにっこりと笑ってしまった。それで一瞬騙されそうになり、慌てて首を横に振った。


「いいんですかっ。寝室で白骨遺体とこんにちはってなっても、平気なんですか!?」

「大丈夫、それは静かに眠っているだけだからな。2人で手繋いで仲良く作業したいのはやまやまだが、それだと仕事に集中できなくなるから遠慮しておくよ」


 ヒラヒラと手を振り、周防さんは足早に2階へ行ってしまった。私は半分にやけながらも唇を噛みしめるという、なんとも複雑な表情でその後ろ姿を見送った。

 仕事に集中できなくなるだなんて――周防さんがそんなふうに思うことがあるのかと恥ずかしくなる半面、独り取り残された恐怖心がじわりと背筋ににじんだ。


 今にも背後から肩をトントンと叩かれるのではないかと、辺りをきょろきょろと見回す。その度に、腐りかけた床板がギシギシときしんだ。


「ぶ、不気味だと思うから駄目なんだよね……よしっ、仕事、仕事! さっさと終わらせちゃえばいいのよ、うん!」


 半ば強引に自らに言い聞かせ、手始めに玄関脇の居間らしき部屋へと入った。

 広さは20畳ほどだろうか。 比較的日当りもよく、窓から射し込んだ光が眩しいほどに室内に広がっている。床には埃が積もっているが、家具や絨毯じゅうたんが敷いてあった後がうっすらと残っていた。

 私はその場にしゃがみ、その痕跡をなぞるように指先でそっと触れた。その直後、ドクンと鼓動が跳ねあがり、指先から流れ込んだ記憶が体の中を駆け巡る。


 楽しげな笑い声が聞こえた。

 そっと目を閉じれば、かつてここに存在した家族の日常がまぶたの裏に広がっていく。半世紀の間、眠りについていた記憶が私に語りかけてくる。

 この部屋にはソファがあって、その正面には暖炉だんろがある。その傍では柱時計が時を刻み、窓際に置かれたオルガンには、いくつもの楽譜がたてかけられている。


 暖かな光があふれ、窓から吹き込んできた風が真っ白なカーテンを揺らしている。そこに、1人の女性がたたずんでいた。

 肩にかかるくらいの栗色の髪は猫っ毛なのか、柔らかそうに風になびいている。

 目鼻立ちははっきり整って、肌は光を反射するような白。華奢きゃしゃな体にスラリと長い手足。まるで精巧に作られた人形のような、はかなさと幼さが絶妙に混ざり合った美しい人だった。きっと、この女性が〝新堂スミレ〟なのだろう。


 彼女の周りには笑顔があふれていた。両親、使用人達、彼女を訪ねてくる友人達。ただ、彼女は1人になった時、その笑顔は消え、常に苦しげに曇っていた。

 この部屋の窓から外を眺める瞳はいつも潤んでいた。胸元で握り締められた手の中では、首に下げていた小瓶のペンダントが光っている。そこに納められた錠剤を取り出し、震えた手で口に押し込んだ。


『もう少し……お願いだから、もう少し頑張って動いて』


 おそらく、彼女は心臓が弱かったのかもしれない。

 何度も祈りながら胸を摩っている。お願い、もう少しだけ――そう力なく呟き、そのまましゃがみ込んだところで、その場に残されていた記憶は途切れた。


「そっか……彼女が25歳で亡くなったのは、心臓が弱かったせいなのね……」


 来栖さんから預かった新堂スミレの戸籍謄本こせきとうほんを開いた。

 新堂スミレは20代半ばにしてこの世を去っている。故人である記録は残っていても、この紙切れ1枚にその理由は記されていない。

 文字という簡単なものではなく、まるで本人の体を通して垣間見ているように、追体験できる夢喰い人アルプトラウムの力があるからこそ、わかることもあるのだと改めて実感した。


「今日の記憶は、いつも以上に強く感じる……それだけ想いが強いのかもしれない」


 夢喰い人アルプトラウムの力に慣れているはずなのに、いつになく心臓が痛むような気がして、何度も胸元を押さえた。きっと彼女も、こうして焦る思いを落ち着かせていたに違いない。

 私は彼女が立っていた窓の前に立ち、窓硝子がらすに映り込んだ自分に手を伸ばすように硝子に触れた。再び、そこに刻まれた記憶が飛び込んでくる。


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