第4話「闇ナル戦力」(2)

 夕食を調達し、私達は一路、軍本部古書館へ――海老天と海苔の香りに食欲をそそられ、包みの上から匂いをぎつつ、古書館の階段を下りていると、来栖さんが「あっ!」と、突然声を上げた。


「そうだ! 伝えるのを忘れてたよ。周防、例の件。許可おりたよ」


 先頭を歩いていた来栖さんが、ちらりと一度だけ振り返って言った。


「おっ、もう許可出たのか!」

「例の件……?」


 私の知らないところで、2人が何やらやり取りをしていたのは言葉から窺えた。

 一体何の話なのかと、2人の顔を交互に見つめる。来栖さんは爽やかながらも企むような微笑みを浮かべ、周防さんは無邪気にニッと笑った。


「古書館の人員が増えるんだ」

「えっ! 新人さんが入るんですか?」


 2人は同時にうなづいた。

 万年人手不足の古書館に、早くも私以外の新たな戦力が増えることになるとは。これで夢喰い人アルプトラウムの力を使う頻度が減ると、喜んだのも束の間。すぐさま脳裏を過ったのは、その人物の性別がどちらなのかという問題だった。


 もし仮に、その新人さんがせ返るような色気をまとう美女だったとしたら――と、余計な妄想をしてしまい、瞬く間に不安が体の中を駆け巡った。我ながら馬鹿だとは思ったけれど、一度妄想してしまうと、泡のようにブクブクと音を立てて膨れ上がるばかりなのだ。


「つ、つかぬことをお聞きしますが……新しい方はどんな感じの方なんですか?」

「そうだねぇ。妖艶ようえんで、一度見たら忘れられない美女って感じだね」

「えっ!? それって女性……」


 来栖さんの言葉がより一層不安を煽った。

 妖艶ようえんな美女。私の単なる妄想が的中してしまったらしい。妄想はさらに進み、不安はどんどん膨れ上がる。これで周防さんに言い寄られでもしたら、色気のない私に勝ち目などあるものか。


「来栖、いつから古書館に来てもらえそうなんだ?」

「そう言うと思って、今、古書館で待たせてるよ」

「えっ!?」


 驚く私を余所に、周防さんと来栖さんは先に古書館へ入った。追いかけて飛び込んだ私は、すぐさま古書館内を見回した。

 同じ白い軍服に身を包んだ人物がソファに腰かけていた。その姿を目にした私は、不覚にも息を呑んでしまった。

 座っていてもわかるほどスラリと手足が長く、腰まである長い髪は後ろで一本に結っている。こちらに微笑みかけたその表情、居住いは瞬きをすることを忘れそうになるほど、独特の色気があった。けれど、美女というよりは美男のように見えるのだけど……。


「まさか、承諾してくれるとは思いませんでしたよ」


 周防さんが声をかけると、彼はスッと立ち上がって小さくお辞儀をした。

 顔を上げたその人の目が、不意に視線が私を捉えた。吸い寄せられそうな眼差しに戸惑っている隙に、彼はタタッと駆け寄って、私を力強くき抱いた。


「えっ!? えっ? あのっ」

「ミズキちゃん、これからよろしくね」


 耳元で聞こえたその声に、私はハッとした。

 その声には聞き覚えがあった。ただ、思い当たる人物と姿が異なっているせいか、どうにも確信が持てなかった。私が抱擁ほうようを解いて間近で顔を覗き込むと、彼は色っぽく笑って返した。


「もしかして、レンエンさん!?」

「やっと気づいたのね。もうっ、相変わらず可愛い顔と綺麗な肌ねぇ」


 まるで小さな子供でもあやすみたいに、両手で私の頬を包んだ。

 化粧をしていなかったせいで全く気づかなかったけれど、目の前にいる彼は間違いなく、エレナさんの事件で世話になった彫り師のレンエンさんだった。


「古書館に入る新人さんって、レンエンさんだったんですね」

「ここで働いてみないかって、周防さんに誘われてね。お給料もいいし、いい男もたくさんいるし。悪くない話だと思って引き受けたってわけ」


 ニコッと笑って視線を送ったのは、周防さんではなく来栖さん。艶っぽい眼差しを向けられ、どう返していいのかわからず、来栖さんは苦笑いで誤魔化ごまかしていた。


「周防さん、いつの間にそんな話を進めていたんですか?」

「事件の後、ミズキが寝込んでいただろう。あの時だったかな。前々から、夢喰い人アルプトラウムだけじゃなくて別の力を持つ魔女の末裔も、古書館には必要だとは思っていたんだ。今回の事件もあって、なおさら必要になったからな」

「それでレンエンさんに声をかけたんですね」

「あらためまして。レンエン……じゃなくて、これは彫り師としての名前なのよね。本名は都築アオイです。今日からはアオイの方で呼んで。これからよろしくね、ミズキちゃん」

「はい! よろしくお願いします」

「ふふふっ、仲良くしましょうね」


 と、アオイさんは再び私を抱き寄せた。

 内心、女性じゃなくてホッとした。ただ、アオイさんの場合、外見だけ見ると女性より遥かに色気があるから厄介だった。もちろん、一言でも喋ってしまえば男性だとわかるのだけど、それでも油断はできない――と、そこまで考えて自分が嫌になった。

 私はこんなにも嫌な女だったんだろうか。普段はこんなことを考えないのだけれど、周防さんのこととなると、今は焦ってしまうのかもしれない。

 情けなくて、〝ごめんなさい〟と心の中で謝りながら、アオイさんの腕の中で溜息をついた。


「あら、ごめんなさい。苦しかった?」


 溜息をついたのが聞こえていたらしく、アオイさんは慌てて抱擁ほうようを解いた。


「い、いえ。大丈夫です! それより、アオイさんが来てくれてよかった。 これで新堂スミレの件、解決できそうですね」

「あら。もう仕事の話?」

「そうだね。夜も更ける前に、さっさと済ませちゃおうか」


 さっそく新堂スミレの事件について、現在わかっているところまで説明した。

 自らを〝新堂スミレ〟だと思い込んでいる女性が保護され、彼女達は揃いのペンダントを身につけており、それが闇人ナハトのかけた呪いであること。それを外すことができないまま、今に至ると話した。


「引き千切ろうとしても、全く歯が立たなくて……」

「なるほどねぇ」

「同じ闇人ナハトのアオイさんなら、外す方法を――」

「残念だけど、無理ね」


 買ってきた海老天むすを食べながら、アオイさんは即答した。しかも、私が言い終わる前に、遮るようにきっぱりと言い切った。あまりにもあっさり断言するものだから、一瞬、言葉を返すことを忘れた。


「実際に見たわけじゃないのにわかるのか?」

「わかるわよ。闇人ナハトのことだから尚更ね」


 アオイさんは茶をズズッとひと啜りして、ごくんと呑み下し、ホッと溜息をつく。ソファの背にもたれていた姿勢を正し、長い脚をしなやかに組んだ。


闇人ナハトの力が、魔女の力の中で最も強大で厄介だと言われている由縁はね、かけた呪いは、力を使った闇人ナハト本人にしか解くことができないからなのよ」

「それって……アオイさんじゃ、外せないってことですか?」

「そういうこと。かけた闇人ナハト本人が解くか、あるいはその闇人が命を落とさない限り、ペンダントにかけた呪いの効力は消えないわ」


 何の迷いもなく、アオイさんは言い切った。

 せっかく見えた一筋の光が、目の前で消えた気がした。周防さんと来栖さんは顔を見合わせ、深めの息を同時に吐いた。


「都築さん――」


 周防さんがその名を呼ぶと、アオイさんは苦笑いをした。


「やだ、その呼び方。アオイでいいわ。堅苦しいの、嫌いだから――あぁ、ごめんなさいね。話の途中で遮っちゃったわね。何かしら?」

「闇人の力のことはわかった。ただ、何もしないで諦めるのは嫌いでね」


 その強気な言葉でアオイさんは覚ったらしい。ニヤリと不敵に笑う周防さんに、一度目を丸くして、それから呆れ混じりの笑みをこぼした。


「……わかったわよ。解けるかどうか、やれるところまでやってみるわ」

「そう言ってもらえると助かるよ」

「とりあえず、ペンダントの方はアオイさんに任せて。僕達は今できることから始めよう」


 来栖さんは〝捜索願〟〝古い邸の写真〟〝男の写真〟の3点を机の上に並べた。

 最初に目に留まったのは〝男の写真〟だった。その男は紛れもなく、彼女達の記憶にあった〝ミナ君〟だった。


「こいつ、身元がわかったのか」


 周防さんは真っ先にその写真を手に取った。


「今朝、どこかで見た気がするって言っただろう? 升川さんと柴村さんの捜索願を見つけた時に、この男の写真を目にしていたからだって思い出したんだよ」

「名前は……蓑嶋みのしまリョウ?」


 私は捜索願に記された名前を指先でそっとなぞった。

 歳は25歳。帝都から北にある街〈モクラン〉で染物職人の見習いとして修業をしているとあった。

 記録によれば、彼は半年ほど前に行方不明になり、升川さんや柴村さん同様に家族が捜索願を提出していた。

 この男が2人を連れ去り、新堂スミレだと思い込ませる呪いをかけた闇人なのか。問いかけるように、私は写真をじっと見つめた。


「みのしま……短くしたとしても、ミナ君って名前にはなりませんよね」

「それも意味があるのかもしれないが、手元にある情報が少ない分、繋がりが見えないのは仕方ないな。来栖、こいつが住んでいた部屋にある物や、身に着けていた物。押収できるものは全て集めてくれ」

「了解。明日にでも、ご両親の許可をとっておくよ。その際、アオイさんには僕の同行をお願いします。蓑嶋の家から闇人ナハト関連の物証が見つかった時に、その場で調べてほしいので」

「わかったわ」

「周防とミズキちゃんは、こっちの調査を頼むよ」


 と、もう一枚の写真を指先でトントンと叩いた。


「新堂スミレが住んでいた邸だよ」

「よく残っていたな」

「新堂家の当主が亡くなった後、フシカネの地主が買い取ったらしいんだけど、その人は子供がいなかったらしくてね。権利を保有したまま亡くなって、誰も手がつけられずに放置されていたんだ。おかげで、新堂スミレの記憶も採取することができそうだよ」

「邸の雰囲気からすると、新たな別の事件が起こりそうですよね。もしかしたら、闇に葬られた殺人事件が新たに見つかったりして……?」


 不安げに口にした私を見て何を思ったのか、周防さんがにやりとした。


「ミズキ、逃げ出すなよ」

「わ、わかってますよ」


 半世紀という時間の中、新堂スミレの記憶はこの邸の中にひっそりと眠っている。

 どんな女性だったのか。

 この邸でどんな生涯を終えたのか。

 新堂スミレという謎に包まれた彼女の記憶は、私に何を語ってくれるのか。にぎり締めた写真を覗きこみ、ごくりと息を呑んだ。

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