第16話 「内ナル魂」

「ミズキ、全部読み取ったか?」

「はい、一応……」


 私と周防さんは疲れの混じる視線を交わらせた。

 その日、古書館には3人の小さな客人が来ていた。客と言っても、歓迎された者達ではない。いわば、罪人。

 参考調査業務で使っている机を挟んで、男の子2人と女の子が1人、向いに並んで座っている。その中には、あの美影ユウトもいた。

 彼らをここへ呼んだのは、本来あるべき自分の体を捨てて、記憶を孤児院の子供達に移し換えていた事実を記録に残すためだった。

 〈命の記録〉は体の入れ換えが行われた証拠。巽がそれを商売としていたことも、そのやり取りも全て、彼らの記憶にしっかりと残っていた。


「こちらでの作業は終わったので、今度は特務局で話して下さい。その口で、自ら」


 書き起こしたばかりの資料を、付き添いで来ていた特務局のハルト君に渡した。彼らを席から立たせ、連れて行こうとすると――


「私達は、どうなってしまうんだ?」


 美影ユウト……いや、加倉井がそう訊ねた。その声は微かに震えていた。

 彼が向けた、すがるような眼差しを周防さんが見ることはなかった。すぐに背を向け、煙草に火を点け、いつものように吹かしていた。


「もともと、それはあなたの体ではない。記憶を消して、本来の持ち主に返す。もちろん、あなた方の記憶が帰る場所はありませんので、覚悟してください」


 冷たく突き放す言葉に、加倉井は項垂れた。

 ほんの一瞬だけ同情してしまいそうになる。でも、それは彼らの姿が、あどけない少年少女だからに過ぎない。

 彼らは体の持ち主を追い出して、乗っ取った者達。同情の余地などない、自分にそう言い聞かせた。これ以上、心が揺るがないよう、私は彼らから目を逸らした。

 子供達を連れ、ハルト君が古書館を出て行くのを、足音と気配で感じ取っていた。

 パタンッと扉が静かに閉まり、張り詰めていた緊張感がゆるんで、ゆったりと椅子の背にもたれた。


「ミズキ、これからしばらくは忙しくなるぞ。〈命の記録〉に上がった子供達の記憶、片っぱしから集めないといけないからな」

「ももしかして、またお墓を掘るんですか?」

「そうしないと、あのじじい共の代わりに死んでいった子供達の記憶、取り出せないだろ」


 今回ばかりは嫌だとは言っていられない。気合を入れるために、周防さんから分けてもらった金平糖をガリガリと頬張ほおばった。


「それにしても、驚かされることばかりだよ。余命わずかと宣告されたところに、巽がそれを聞きつけて裏の商売を持ちかけていたなんてね。記憶を移し換える子供達は、孤児院から調達していたんだからね」

「それも、エレナさんが育った孤児院からだなんて……」

「前に記憶の回収に行った時、子供を連れ出すエレナさんの記憶なんてなかったよね?」

「それは、エレナさんが記憶を消していたそうです」


 エレナさんについて書き起こした資料を来栖さんに渡した。

 ここから連れ去られ、巽の体に記憶を移されたタクトに邸で再会したことで、エレナさんはほんの少しだけ以前の記憶を取り戻していた。それは夢喰い人アルプトラウムとして巽の商売に協力していたこと――

 記憶の入れ換えの依頼が入ると、カンナルサ教会に足を運んでは、子供達を映画や図書館へ連れて行くと口実を作って外へ連れ出していた。

 依頼人の記憶を子供達の体に入れ換えた後は、教会に来ていたことや子供達に接触したことをシスターの記憶から消し、何事もなかったように孤児院に帰していたと、エレナさんは話していた。ただ、彼女が話すような記憶は1つも残っていなかった。


「ミズキが担当した加倉井の記憶に、エレナさんが入れ換えを手伝っていた記憶、あったか?」


 問われた私は、首を横に振った。


「いえ、どこにも」

「やっぱりそうか」

「周防さんの方も?」

「見当たらなかった。その部分だけ、すっぽり抜け落ちている状態だ。おそらく、その記憶も消していたんだろう」 


 周防さんは煙草を灰皿に置き、火龍楼から取り寄せた桜味の落雁らくがんを口に運んだ。カリッと、口の中で噛み砕く音が、会話の間を埋めるように広がった。


「自分に協力してくれる夢喰い人アルプトラウム。エレナさんの存在は貴重だが、状況によっては厄介でもあるし、必要不可欠でもある」

「存在を隠しておくに越したことはない……といったところでしょうか?」


 何かのきっかけで、裏稼業が明るみに出たとしても、都合の悪い記憶をエレナさんに消してもらって、何事もなかったように装うことができる。

 巽サキョウはどこまでも欲が深くて、自分のことしか考えていない身勝手な男なのだろうか。考えれば考えるほど、苛立ちがじわりと体の奥に広がっていく。


「何だか、妙な気分だね」


 ソファに座っていた来栖さんは、腕を組んで小さく唸った。


「周防もミズキちゃんも、記憶の入れ換えをして体を乗り換えるなんてこと、本当にできると思う?」


 私と周防さんは、どちらからともなく目を合わせた。肯定できるものもなければ、断言できる根拠もなくて、一瞬、言葉に困ってしまった。


「多分……不可能だと、私は思いたいです」

「だよね。だって、記憶を書き換えただけだからね。現にエレナさんは、記憶を消しても少しずつ思い出してきているわけだから」

「少なくとも、さっきの3人も巽もそうは思っていない。本気で、体を乗り換えられたと信じている」


 だからこそ多額の金を払ってでも、その方法に食いついた。全ては生きるために。体を乗り換えてまで生きようとした、人間の執念のようなものを見せられた気がした。


「タクトの体に乗り換えたと信じて逃げた巽は、どこにいるんでしょうね」

「さぁな」


 溜息混じりにそう答えて、周防さんは資料に添付されていた巽の写真を手に取った。苦々しく見つめた後、少し投げやりに机の上に放り投げた。

 もう1つ、エレナさんは重要な記憶を思い出していた。それは、余命わずかと宣告された巽が死を恐れ、自らも体の入れ換えを実行しようとしていたことだった。

 彼が第2の人生を歩むために選んだのが、巽が自ら別の孤児院から連れてきた〈東雲タクト〉だったそうだ。


 裏稼業の手伝いをしていくうちに、エレナさんは次第に巽を許せなくなっていった。せめて彼だけでも助け、巽の思惑を阻止してやろうと密かに逃がし、その行方を巽に探られないよう、自ら記憶を消したそうだ。ただ、それも無駄だった。

 おそらく、エレナさんが罪の意識から巽を裏切ろうとしていたことを、巽本人も気づいていたのだと思う。そこで先手を打たれた。

 他の夢喰い人アルプトラウムを仲間に引き入れて協力させ、一足先に記憶を入れ換えた。エレナさんはそれを知らずに、タクトだと疑いもせずに逃がした。結果的に巽を逃がしてしまうことになった。


「〈カラスバ〉っていう、最北端にある港町に逃がしたって、エレナさんが言っていたけれど。実際、そこにタクトって少年はいなかったし、姿を見た者もいなかったよ」

「最初からそこに逃げるつもりはなかったんですね。エレナさんが用意した逃げ場ですし、何かのきっかけで知られる可能性もありますから」

「用意周到というか。ある意味、感心するよ」


 周防さんは天井を仰ぎ見ながら苦笑いを浮かべた。

 埠頭ふとうでエレナさんと別れた後の、巽の足取りは掴めていない。人が触れ、傍に置いていた〝物〟には、その人の記憶が僅かにでも残る。それを調べれば、巽が何を考え、何を話していたのか。手がかりが見つけられると思っていた。それが甘かった。


 巽はやしきにある、ありとあらゆる物から記憶を消し去っていた。使用人達の記憶はもちろん、布団やふすま、庭先の薔薇に至るまで。彼が触れたであろう物からは、何一つ、記憶を集めることができなかった。

 エレナさんいわく、触れた物は必ず記憶を消すように指示をされていたと、ぼんやりではあるけれど記憶に残っているそうだ。


「古書館からエレナさんを連れ去った男の人。あの人も、見つかっていませんよね」

「どう考えても、あの男は巽から指示を受けて連れ去っているはずなんだ。見つかれば話は早いんだが……」

「そっちの男も探している最中だから、もう少し待っていて。その間は普段通り」


 と、来栖さんは脇に置いている箱を撫でて立ち上がった。中に入っているのはもちろん、日々、特務局からおりてくる押収品だった。


「やること増えて大変だろうけど、こっちの業務も忘れずによろしくね」

「〈龍月堂〉の数量限定〈桜餡さくらあんどら焼き〉」


 周防さんがぽつりと呟いた。互いに視線を合わせ、しばらくの沈黙が続く。どちらが最初に口を開くか。そんな根競べでもしているように見えた。

 結局、それに根負けしたのは来栖さんの方。フッと吹き出し、仕方なさそうに何度も頷いた。


「わかったよ。明日までに手に入れておく」

「よしっ。約束したからな」

「その代り、しっかり頼むよ」


 念を押して、来栖さんは古書館を出て行った。

 周防さんは桜餡どら焼きが手に入るとあって俄然やる気になったらしく、押収品の入った箱を自分の机の上にどんっと置いた。いつになくやる気が漲っているらしく、鼻歌まじりに箱を覗き込んでいた。


「ミズキ、さっさと始めるぞ」

「周防さん、どら焼き一つで動いちゃうんですね。甘党にも程がありますよ」

「お前、知らないな? 〈龍月堂〉の限定どら焼きの美味さを。塩漬けの桜を練り込んだ桃色のあんが綺麗で、味も香りも抜群にいい。生地には酒粕さけかすが使われていてだな――」


 お菓子の話になると、やけに饒舌になる。あれもいい、これもいい、と力説する姿はもちろん、話を聞いるだけで、それが美味しいのだということは十分に伝わった。


「美味しそうですね。私も食べたことがないので楽しみです」

「誰が食わせると言った?」

「えっ!? 独り占めする気ですか?」

「食べたかったら、さっさと終わらせような」

「うっ、はい」


 そろりと箱に手を入れ、最初に指先に当たった押収品を取った。握ってしまったのは血のついたナイフだった。

 実は少し前から私と周防さんの間で、押収品の書き起こし作業をする際の小さな決まりを作っていた。それは〝箱の中身を見ずに押収品を手に取ること。取った押収品は途中で投げ出さずに最後まで書き起こす〟というものだった。

 仕事に張り合いと緊張感を持って臨むためでもある。どちらか一方が負担の大きな作業をしないためだとか、私の訓練を兼ねてだとか、理由は様々。

 嫌だと泣いても、一生のお願いだと頼み込んでも無駄。とにかく、一度手にした押収品はどんなことがあっても、最後まで担当して書き起こす決まりを作ってしまった。もう後戻りはできない。


「ミズキ、よくナイフに当るな。好かれてるんじゃないか?」

「こんなものに好かれても嬉しくないです……」


 できることなら、あなたに好かれたいわ――なんて、言えたらどんなに素敵で面白いだろう。ただ、そんな言葉は口が裂けても言えない。だから心の中で密かに、呪文のように唱えていた。


「また血がついて……これもまた、相手側の感情とか記憶も見えちゃいますよね」

「ミズキ、頑張れ」

「も、もちろんです!」


 意気込んで手袋を外し、作業に取り掛かろうとした時。何の前触れもなく、脳裏にレンエンさんの顔が浮かんだ。

 血がついた刃物は、それを持っていた者だけでなく、血の持ち主である相手側の記憶も見えることがある。ひょっとしたら――


「周防さん。刺青って、針のついた棒みたいな、道具を使いますよね?」

「ん? んー、そうだな」


 周防さんは抑揚のない空返事をして、黙々と書き起こし作業を進めている。私はその横顔と、エレナさんの資料を交互に眺めた。


「それがどうかしたのか?」

「レンエンさんが使っているその道具とか、読み取っていなかったこと思い出したんです」

「……あっ!」


 ようやく、そこで周防さんは手を止めた。「しまった」と額に手を当てて、そのままガシガシと前髪をいた。


「忘れてた……資料作成するのに必要だし、また行かないと駄目だな」

「それもそうなんですけど。巽の刺青って、レンエンさんが入れたんですよね?」

「あぁ、そうだな」

「針で刺して色を入れていくわけですから、多少なりと血もついたりしますよね? もしかしたら、巽の記憶がちょっとでも染み込んでいたりとか……」


 ゆっくりと顔を上げ、幽霊でも確認するみたいに、恐る恐る私に目を向けた。周防さんは椅子の背にかけていた着物を羽織り、私は手袋をつけながら席を立った。


「ミズキ、行くぞ!」

「は、はいっ!」


 勢い余って机にぶつかり、置いてあった万年筆や紙をき散らしながら、慌ただしく、私と周防さんは古書館を飛び出した。

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