第15話 「幼キ髑髏」

 長閑で、陽射しが心地よい春の午後。

 空は雲一つない晴天。その高い空を、1匹のトビが優雅に飛んでいる。こんな日は、ゴロンと縁側に寝転んで日向ぼっこもいい。好きな人と一緒にお茶を楽しむのも悪くない。

 そんな素敵な一日が過ごせそうな午後なのに、私の心は土砂降りの雨。おまけに雷が鳴り響きそうだった。


「周防さん、本当に見るんですか……?」

「何を今さら。ここまで来たんだ。腹括れ」


 私はすぐさま手を合わせ、何度も何度も、すり合わせて拝んだ。

 ここは〈ナカベニ〉の郊外。シュオル山の中腹に作られた小さな霊園にある、加倉井ヨウの墓前に立っていた。もちろん、ここへ来た目的は彼の墓参りではない。〝加倉井ヨウに話を聞く〟ためだった。

 この世を去った人間に話を聞くことなど不可能。今ここで土から蘇り、髑髏ドクロの加倉井に語ってもらうと言うのか。そんな想像をしていたのは、当然ながら私だけ。


 周防さん曰く、物から記憶を読み取ることができるのなら、その骨にまで染み込んだ記憶を読み取ることは可能なのではないかと言いだした。要するに、加倉井ヨウの墓を掘り返して骨を取り出し、そこから生前の記憶を読み取ろうという、信じ難い提案をされた。

 自信満々に言いきっていたにもかかわらず、それは今までに一度も試したことがない方法らしい。仮説であって推測でしかない。見えるかもしれないし、見えないかもしれない。まさに賭けに出ようというわけだ。

 霊園を管理している和尚の龍瞬りゅうしゅんさん立会いのもと、今まさに、加倉井ヨウの墓を発いている真っ最中だった。


「和尚。こいつが逃げ出す前に、さっさと取り出してください」

「周防さん、そんなに急がなくても。私にも心の準備というものが――」

「周防殿、出ましたぞ」


 龍瞬りゅうしゅんさんが「どっこいしょ」と掛け声をかけて、掘り起こした穴から骨壺を引き上げた。心の準備が整わず、「今しばらく待ちを!」と必死に頼み込む私のことなど構うことなく、龍瞬さんは穏やかに手を合わせて蓋を開けてしまった。それと同時に、私は周防さんの腕にしがみついた。


「ぎゃああっ、出た! ノーマクサマンダ……」

「確かに出たな、骨が」

「周防さん、私、無理です!」

「無理もなにも、奥さんから許可はもらったんだ。今さら何もしないで帰れるか」


 邪魔だと言わんばかりに、周防さんは腕から私を引き離した。骨壺の前にしゃがみ、しっかりと手を合わせ、納められた骨を探して覗き込んだ。


「俺が先に見る。ミズキも、後でちゃんと見ろよ」

「うっ……はい」

「それじゃ、失礼します」


 壺の中から骨の欠片を摘まみ取った瞬間、キッと、眉間にシワが寄った。

 一体、何が見えたのだろう。忍び足でそっと周防さんの隣にしゃがみ、おそるおそる顔を覗き込んだ。すると、見計らったように、私の鼻先に骨の欠片を突きつけた。


「思った通りの記憶だった」

「やっぱり……あの子ですか?」

「自分で確かめるといい」


 急かすように手を突きつけられ、私は歯を食いしばって、そろりと握り締めた手をと開いた。

 欠片は周防さんの手から私の手へ落ちる。触れた直後に、記憶は手の平に溶け、染み込むように入ってくる。


 聞こえるのは、笑い声――

 礼拝堂でかくれんぼをしている子供達の姿が見える。はしゃいで、走り回って、楽しげな声が響いていた。

 走って逃げる子供達を追いかけている途中、壁に飾られていた絵画を落として傷つけてしまい、シスターにこっ酷く怒られてしまった。オルガンの陰でこっそり泣いているところへ、孤児院の子供達が「大丈夫だよ」と、慰めにやってくる。その言葉に、心の奥が暖かくなった。


 ――『今日は、お姉さんとお出かけしようね』


 礼拝堂で祈りを捧げているところへ、声をかけてきたのはエレナさんだった。わけもわからず、手を引かれ、蒸気馬車に乗って、どこかへ連れて行かれた。

 着いたのは、見知らぬ邸の一室。そこに1人の老人がいて、どこか苦しげに呼吸をしながら布団に横たわっていた。そこからプツリと意識が途切れ、やがてぼんやりと視界が晴れて、景色が浮かびあがった。

 映るのは天井ばかりだった。体が痛い、苦しい。発せられない声が心の中で何度も響いていた。何かを掴みたくて伸ばした手は、今にも折れそうなほど細くてしわだらけだった。

 視線の先にある姿見に映っていたのは、さっきまで見下ろしていたはずの、布団に横たわっていた見知らぬ老人――それ以上見ていられなくて、私は急いで骨を骨壺に戻した。


「あれは……美影ユウトですよね」

「おそらくな」


 加倉井は5年前、90歳でこの世を去った。その歳月を生きたとは思えないほど、刻まれていた記憶はあまりにも少ない。明らかに別人の記憶としか思えなかった。


「どう? 順調に進んでる?」


 2人の間に流れた重苦しい沈黙を払い除けるように声が割って入った。

 私と周防さんとは別行動で、加倉井ヨウの邸に行っていた来栖さんが合流した。ここへ来たということは、どうやら話が済んだのだろう。


「奥さんから聞けたか?」

「一応ね」


 来栖さんは加倉井の墓前で手を合わせ、手にしていた一輪の矢車草を供えた。

 ここへ来る前、霊園の入り口付近に矢車草が群生していたのを目にしていた。きっと、そこから摘んできたのだろう。そういう気遣いをさり気なくやってのけるのは、来栖さんらしい。


「亡くなる少し前から、加倉井の様子がおかしかったらしいよ。子供みたいに泣きじゃくったり、帰りたいって駄々をこねたり。手がつけられなかったって言ってた」

「中身が別人なら、その理由も納得できるさ」

「別人?」


 周防さんは来栖さんの手を取り、読み取った記憶を見せた。

 最初こそ平然としていた来栖さんも、記憶を受け取ってからは瞬きもせず、目を見開いたまま、私と周防さんと交互に目を合わせた。


「これ、加倉井の記憶? まるで子供じゃないか」

「子供だったんだよ。〈命の記録〉は、記憶の入れ換えを行った組み合わせだろう」


 信じられない――その言葉は口にしなかったけれど、来栖さんが額に手を当てて何度も首を横に振る姿を見ていると、頭の中で繰り返し呟くその声が聞こえてくるようだった。


「そんなことして、何の意味があるって言うんだ?」

「死への恐怖……でしょうか」


 私は苦々しく骨壺を見下ろした。

 調べた結果、〈命の記録〉に名前があがっている者達は病死している。仮に彼らが死を恐れていたとしたら。そういう人間が考えることは一つしかない――〝まだ生きていたい〟


「つまり、記憶を入れ換えることで、生きようとしたってこと?」

「もっといえば、体の入れ換えですね。多分、巽サキョウはそれを商売にしていて、エレナさんも関っていたのかもしれません」


 話を聞き終え、来栖さんは深く息を吐きながら、力なくしゃがみ込んだ。


「なんだか、眩暈めまいがしてきたよ。その話、本当なんだよね?」

「今のところはな。確信を得るには、親玉に聞くのが一番だ」


 そう言って、周防さんは口の端で煙草を銜え、マッチで火を点けた。ほくそ笑むその横顔を見て、嫌な予感しかしなかった。


「周防さん、何をするつもりなんですか?」

「巽の邸に行く。本人から直接聞き出してやるさ」

「でも、使用人の話だと、昏睡状態で意識が無いから、会わせることができないって」


 人さし指を突きつけられ、そこで言葉を遮られた。


「それが嘘かもしれないだろ? 実際、そうなった姿を俺達は見てないんだからな」

「もし事実だったとしても、それはそれで好都合かもしれないね。逃げられる心配はないし。思う存分、記憶を見せてもらえるから」


 顔を見合わせ、何かを企むような2人の表情は、今までにないくらい悪そうだった。明らかに、この状況を楽しんでいるのは間違いない。


「もう、勝手にして下さい……」


 どう足掻いても、私に拒否権はない。思い立ったが吉日。目的も定まったところで、早々に霊園から引きあげた。

 私達はナカベニから帝都へ、とんぼ返り。一路、巽の邸へと向かった。

 帝都の北に広がる竹林――その鬱蒼と生い茂る林の奥に、ぽつんと、人目を避けるように巽の邸が建っている。その地の守り神のように、大きな2本の枝垂れ桜が玄関先にどっしりと根を張っていた。


「ごめんください」


 戸を数回叩いて呼びかけてみたものの、しばらく待っても返事がなかった。

 再び叩いて耳を澄ませ、中の様子を窺った。もう一度叩こうとしたところで、遠くの方から「はーい」と、若い女性の声がした。足音が近づいて、曇り戸の向こうに人影が映る。戸が開いた瞬間、私はもちろん、周防さんと来栖さんは驚いて言葉を失った。


「エレナさん!?」


 出てきたのは紛れもなくエレナさんだった。

 特務局の人達が、必死になって行方を捜しているこの時。こんなところに、こんな形で見つかるとは思っていなかった。さすがに、周防さんも来栖さんも動揺を隠しきれなかった。


「皆さん……」

「エレナさん、無事だったんですね! 怪我していません? 酷いことされていませんか?」


 無事でいてくれたことにホッとした。とにかく怪我がないか、服の上から腕や肩に触れて確かめた。その行動にエレナさんは戸惑いながらも、照れくさそうに頷いた。


「私なら大丈夫です。それより、ご心配をおかけして申し訳ありませんでした」

「心配どころの話ではありませんよ。突然乗り込んで来た男に、連れ去られたんですよ?」


 見つかったことに安堵しながらも、来栖さんは責めるような口調で言った。それはエレナさんも自覚しているらしく、申し訳なさそうに視線を落とした。


「本当にごめんなさい。すぐに連絡をすべきだったのですが……」

「その辺りの事情も含めて、色々聞かせてもらいます。来栖、行くぞ」


 二人は顔を見交わし、頷き合って邸に乗り込んでいった。

 ただならぬ雰囲気を感じたのか、エレナさんは私に駆け寄って、不安げに2人の背中を目で追った。


「ミズキさん、お二人は一体何を?」

「孤児院の子供達と記憶の入れ換えをしていたことについて、巽サキョウさんにお話を聞きに来たんです」


 エレナさんは驚きもしなかった。まるで全てを知っていたかのように落ち着き払っている。けれど、ふと何かに気づいて表情が一変した。


「待って下さい! 彼は今とても弱っていて、話せる状態ではないんです。無理に起こしたら、それこそどうなるか!」

「エ、エレナさん!」


 酷く慌てて、エレナさんは踵を返して邸へと戻った。その反応がやけに気になって、私もすぐにその後を追った。

 玄関から左手の廊下を進み、突き当たった最奥の部屋に駆け込んだ。射し込んだ陽射しが温かくて、畳の香りに混じって、ほんのりと日向の匂いがする。そこからは、中庭に咲いた薔薇バラの花がよく見える。

 部屋の中央に一組の布団が敷かれ、巽サキョウらしき男が静かに眠っていた。ガラス玉に残っていた記憶の中の彼は、そこにはいなかった。黒々としていた髪は白く染まり、恰幅かっぷくのよかった体はやせ細って、あの若々しく威圧的な雰囲気はどこにもなかった。


「お願いしますっ。彼は違うんです!」


 エレナさんは彼に近づけさせまいと、先に乗り込んでいた周防さんと来栖さんの前に立ちはだかっていた。


「エレナさん、なぜあの男を庇うのですか?」

「今、彼を死なせるわけにはいかないんです! どうしても……彼の体力が戻るまで、もう少し待って下さいっ」


 何かが違った。エレナさんはこんなにも感情を露わにする人だっただろうか。もしかしたら、記憶を失う前はそうだったのかもれない。そうだとしても、何か違う。

 軍本部に来た時、エレナさんはすでに記憶を失っていた。そのせいで常に怯えたような目をしていて、壊れそうなほど不安定だった。でも、今は何かを取り戻したように、眼差しに凛とした力が戻っている。

 それを確かめる術はただ一つ。私はエレナさんの手を掴んだ。


 水が染み込むように、指先から、手の平から、記憶が流れてくる。それは私の知らない、新しい記憶だった。

 古書館から連れ去られた後、エレナさんはこの邸へ運ばれた。腕を引かれ「ここで待っていろ」と、薄暗い部屋に閉じ込められた。

 隣の座敷から、苦しそうな咳が聞こえる。その声を聞く度、心がざわざわと騒ぐのを感じて、エレナさんはそっと襖を開けた。そこには穏やかに眠る巽サキョウの姿があった。

 ふすまを開けたことで、その気配に気づいたのだろう。巽はゆっくりと目を明け、こちらへ顔を向けて――


 ―― 『お姉ちゃん』


 そう呼んだ声が、エレナさんの記憶の一部を呼び起こした。

 まさか。まさか、そんな。どうして――

 頭の中で何度もその言葉を繰り返し、恐る恐る巽に歩み寄っていく。恐れと焦り、苛立ちのようなものを抱きながら、エレナさんは細いその手に触れた。

 エレナさんを通して、巽の記憶が流れ込んでくる。

 ぼんやりとした視界に映るのは、何もない、木目の天井。

 ここはどこ、どうして僕は寝ているの?

 自分にただしながら、答えを求めて視線を彷徨さまよわせる。ふと人の気配を感じて、誘われるように目をやった。傍には、こちらを見下ろしている男の子がいた。紛れもなく、それは〝僕〟。


『どうして、僕がいるの?』


 その問いに、彼がニッと不気味なくらい口角を上げて笑った瞬間、私はエレナさんの手を振り解いていた。


「巽サキョウは……ここにはいないんですね」 

「……遅かったんです。助け出せたと、阻止することができたと思っていたのに……もう遅かったんです」


 エレナさんは崩れるように、その場に座り込んだ。私は傍に寄り添って、彼女の肩に触れることしかできなかった。


「周防さん。おそらく、巽に話を聞いても無駄だと思います。彼は〝あの中〟にはいないので」


 告げた一言に、周防さんが言葉を詰まらせたのがわかった。

 それでも、自分の力で確かめたかったのだろう。部屋に入り、眠っている巽の腕をそっと掴んだ。それからすぐに、ドカッと胡坐をかいて座り、大きな溜息をついた。


「ミズキちゃん、どういうこと?」

「ここにいるのは〝タクト〟君です」


 静寂の中に、ぴりりと張りつめた緊張が走った。四つの視線が、静かに眠る巽へ向けられた。

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