第10話 「命ノ記録」

―― エレナ、お揃いだな


 その時、声が聞こえた。

 何もない座敷の間に、一組の布団が敷かれた部屋が見える。

 20歳になったばかりのエレナさんと、傍らにはレンエンさんがいた。それから、白髪交じりのオールバックに、紺色の着流しを着た恰幅かっぷくのいい年配の男がいる。

 

 古書館で見たレンエンさんの資料にも、同じ男性の記憶があった。おそらく、それがエレナさんを養女に迎えた宝石王〈巽サキョウ〉だろう。

 その背中を埋め尽くすように、鮮やかで大きな青薔薇が咲いていた。それと同じ刺青がエレナさんの肩にもあって、彼女はその存在を確かめるように指先でなぞっていた。


「ミズキ、大丈夫か?」


 耳に届いたその声で、私は我に返った。

 軽い眩暈めまいに襲われ、手を離すと同時に大きく息を吸い込み、跳ね上がった鼓動こどうしずめる。呼吸が整ったのを見計らって、顔を覗き込んでいる周防さんを見上げた。


「見えたか?」

「は、はい。エレナさんと巽サキョウらしき男性が、同じ刺青を入れている記憶。確かに、ありましたね」


 体に溜まった倦怠感けんたいかんを吐き出すように、深く溜息をついた。

 労いのつもりなのか、周防さんは私の肩を軽く叩いた。言葉はなかったけれど、よく頑張ったなと言われた気がして、少し気が楽になった。


「もういいのかしら? 私ができること、まだある?」

「いえ、これだけわかれば十分です。お手数をおかけしました」

「そう思うなら、一本くらい買って行きなさいよ」


 こんな時でもレンエンさんは職人であって商売人。

 あれはどうだ、これはどうだと、かんざしを手に取ってすすめる。周防さんも少しくらい興味を示した〝ふり〟でもすればいいものを、笑顔で全て突き返していた。


「それを贈りたいと思う女性に巡り会えたら、必ずここに来ますよ」


 周防さんはさらりとあしらった。

 この台詞を言われてしまっては、レンエンさんも強引に商売には持ち込めない。フフッと含み笑って、手にしたかんざしで周防さんの胸のあたりをトンと軽く突いた。


「あら、素敵なこと言うじゃない」

「色々経験してきましたからね」

「そういうの、嫌いじゃないわ。約束したからね。ちゃんと来なさいよ」

「交わした約束は必ず守る主義ですので。では、またいつか」


 深々とお辞儀をし、エレナさんを連れて店を出ようとした時だった。

 脱いだ上着を羽織ろうとしていたエレナさんは、何か気になるのか、しきりに首元を触っていた。


「エレナさん、どうかしました?」

「いえ。首の辺りに、何かが触っているような感じがして、気になってしまって」

「私、見てみますね」


 背後へ回り込み、気になっているという箇所のえりに触れた。

 ちょうど項のあたり、首の真後ろになるだろうか。上着の襟の中に、何かが入っている。丸みがあって、固い何かが入っている。よく見ると、縫い合わせている襟の一部の糸が解けていた。職人さんが仕立てた割には雑で、少し不自然だった。


「ミズキ、どうした?」

えりの中に、何か入っているみたいなんです」


 解けた箇所まで、その塊を指で押し出していく。すると、中から半分に割れたガラス玉が出てきた。青く澄んだガラスに、銀色の細かな斑点はんてんが散りばめられている。まるで切り取られた星空のようだった。


「これ、一体――」


 そこまで言いかけた、次の瞬間。凄まじい速さで、指先から体の中へ記憶が流れ込んだ。

 壊れた映写機で再生された映画のような、断片的で、荒い記憶。押しつぶされそうな罪悪感が、体を貫いていった。


『エレナ、誕生日おめでとう』


 リボンのかかった箱を渡す男が見える。

 開いて、中に入っていた玉簪たまかんざしを手に、女の子ははしゃいでいる。かんざしの先に光るガラス玉は、エレナさんの上着のえりに隠されていた、あのガラス玉と同じだ。


 頭に当てて『お父さん、似合う?』と訊ねるその子に、彼は微笑みかけ、頭を撫でる。

そして、記憶は切り変わった。

 暖かな陽射しが射し込む部屋の中。窓際の机の上に歩み寄り、一番上の引き出しの隠し底に手を伸ばす。そこに収められた懐中時計の蓋を開くと、中に時計はなく、代わりに一枚の紙が入っている。

 

 開いたそこには〈名前→名前〉の組み合わせがずらりと書かれた、奇妙な一覧だった。

 それを見つめているのは、おそらくエレナさんだろう。締めつけられるような痛みと、悲しみが流れ込んでくる。

 そして再び、記憶は飛んでいく。


 霧が立ち込める、日の出前の埠頭。かたわらには一人の少年がいる。黒髪に碧眼の異国の子。10歳を過ぎたばかりだろうか。少年はエレナさんを不安気に見上げている。

 そこへ一機の飛行船が近づいてくる。エレナさんはそれを仰ぎ見て、男の子の肩を力強く抱き寄せた。


『エレナさん……僕、一人で行くなんて嫌だよ』

『大丈夫。あなただけは、絶対に逃がしてみせる。心配しないで、タクト』


 記憶はそこで途切れた――


「ミズキ!」


 記憶に触れ、強烈な感情にあてられた私は、立つ力さえ奪われていた。

 気づけば、周防さんの腕の中。間一髪、倒れそうになった私を、周防さんが抱き留めてくれていた。


「ミズキ、何を見た?」

「断片的な、記憶……多分、エレナさんの」


 握り締めていたガラス玉を、震える手で渡した。

 受け取った周防さんは、ガラス玉に閉じ込められた記憶を目の当たりにしたはずだ。脳裏を駆け巡るその記憶を垣間見て、表情は瞬く間に鋭くなった。


「何が、見えたんですか?」


 張り詰めるような緊張感が漂う中、エレナさんはおずおずと訊ねた。その問いに答えることなく、周防さんは黙って手を差し出した。


「見てみますか?」


 それが自らに関係のある記憶だったのだと、理解するのにそう時間はかからなかったはず。エレナさんは周防さんの意図に気づくと、唇を噛みしめながら深く頷いた。

 手を取った瞬間に、記憶は周防さんからエレナさんへと流れ込む。びくりと肩を跳ね上げ、大きな瞳がより一層大きく見開かれる。そして、スッと大粒の涙が頬を伝って流れた。


「――〈命の記録〉」


 記憶を受け取ったエレナさんが、ぽつりと、声を絞り出すように言った。

 まるで拒絶するように握っていた手を振り解き、エレナさんは明らかに困惑した様子で、レンエンさんにしがみついた。その姿は、恐怖に怯える小さな子供のようだった。


「エレナちゃん、しっかりして!」

「お、思い出したくない! 私、思い出したくないっ。絶対に……」

「エ、エレナちゃん!」


 その記憶は、エレナさんにとってどんな意味を持つ記憶だったのか。

 思い出したくない――そう叫んで、エレナさんは気を失ってしまった。

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