第9話 「記憶ノ波」

 帝都から北へ、蒸気馬車を二時間ほど走らせた先にあるのは、職人の街〈ビャクグン〉。

 織物や染物、鋳物に刀鍛冶。様々な職人達の工房や店がのきを連ね、遠方からの旅行者や買いつけにやってきた商人達で賑わっている。

 街の中央を走る大通りから、一本、東へ入った路地裏。寂れた飲み屋が続くその通りに、黒い瓦屋根に赤い壁のかんざし屋〈焔堂ほむらどう〉があった。

 住所を書き写した小さな紙と、アーク灯の柱に刻まれた住所を交互に見ながら確認をした。


「東1条2番地、菖蒲通り1‐1。あのお店で間違いないみたいですね」

「まさか、かんざし屋の店主が彫師だったとはな」


 周防さんは店を上から下へと眺め、口に入れていた飴玉をガリッと奥歯で噛み砕いた。

 私と周防さんがここへ来たのは他でもない。エレナさんの刺青を彫った“レンエン”という彫師に会うためだった。


 今の今まで、特務局が彫師を特定できなかったのは、かんざし屋が本業で店を構えていたせいだった。彫師は副業で公にしていなかったのが原因だったのだと、古書館に保管されていた、あの刺青の資料からようやく突き止めることができた。

 特務局は〝彫師として生計を立てている者″を中心に調べていたこともあって、この店には辿りつかなかったらしい。


「正式に看板掲げているわけじゃないから、見つけられないはずだよな」

「おかげで、少し遠回りしてしまいましたね」

「その遅れを取り戻すためにも、さっさと取りかかるぞ」


互いに顔を見合わせ、小さく頷き合う。同時に振り返り、背後にいたエレナさんに視線を向けた。


「エレナさん。このお店のこと、何か思い出しませんか?」


 私の問いに、エレナさんはゆっくりと顔を上げた。目の前にあるかんざし屋を静かに、どこか寂しげな目で見据えて首を横に振った。


「私、ここに来たことがあるんですね……」

「肩の刺青を、ここで入れていたみたいです」

「まぁ、そう簡単に思い出せるわけないな。とにかく、入ってみよう」


 黒い格子の引き戸を開け、中へ足を踏み入れた。

 店内は淡い橙色の灯りが、うすぼんやりと広がっている。外は昼間だというのに、一歩踏み込んだその中だけ、夜のまま時間が止まってしまったような、妖しくも美しい独特の雰囲気が漂っていた。


「綺麗……」


 思わず口をついて出ていた。

 陳列棚には色鮮やかなガラス製の花瓶やグラスが並び、その一つ一つに、玉簪たまかんざし平打簪ひらうちかんざしが、花を生けるように並べられている。

 まだ開店時刻ではないのか、店内に人の気配はなく、客はおろか店主の姿すら見当たらなかった。


「お店、お休みなんでしょうか?」

「戸を開けっ放しで閉めてる店なんてあるか?」


 そう答えた矢先、奥から足音が聞こえてきた。店主らしき女性が摺足気味の小走りで店へと出てきた。

 えり元が大きく開いた、襦袢じゅばんのような赤い着物に身を包み、それを黒革のコルセットでめている。腰まである長い黒髪は、鮮やかなビラカンで一本に結われている。容姿は見惚みとれるほど美しくて、張りのある唇に乗せられた赤い紅がよく似合っていた。


「いらっしゃい。あら、珍しいお客さんね」


 店主は私を見るなり真っ直ぐに歩み寄って、包み込むみたいに、私の頬に両手で触れた。


「白くて、きめ細かな綺麗な肌ね。私好みの肌だわ。どんなかんざしが似合うかしら?」


 彼女は――いや〝彼〟は、うっとりと私を見つめた。

 容姿こそ見惚れるほどの美女ではあるが、もともとは男性だったらしい。その美しさに不釣り合いなほど、彼の声はなかなか低かった。

 容姿と相反する声に混乱してあたふたしていると、周防さんが彼の手を私から引き離した。


「レンエンさん、ですね?」

「えぇ、そうよ」

「軍本部古書館の周防と申します。刺青の件で、お聞きしたいことがありまして」

「あぁ、そっちのお客さんね」


 と、彼はうなじの後れ毛を撫でながら目を細めた。


「軍人さんなのに、入れちゃっていいわけ?」

「そっちの要件でもないので、ご心配なく。まずは、この資料の件なんですが」


 古書館から持参した、あの刺青の資料をレンエンさんに渡した。手にした彼は、パラパラと頁をめくり、気恥ずかしそうに写真を見ていた。


「あら、懐かしい。これ、私が10年くらい前に古書館に保存してもらったものね」

「レンエンさんのもので、間違いありませんね?」

「えぇ、間違いないわ。あの頃、こっちの仕事を父から引き継いで、独り立ちしたばかりでね。自分のやってきた仕事の記録みたいなものが欲しくて。それで古書館を利用させてもらったの」


 そう話すレンエンさんは饒舌じょうぜつで、うっとりとしている。

 資料から読み取った彼の記憶に、恍惚こうこつと興奮のような強い感情が刻まれていたのは、彫師としての仕事に対する想いの強さだったのかもしれない。


「あれから、もっとたくさんの人と仕事してきたから。また保存してほしいんだけど、いいかしら?」

「申請していただければ、いつでも対応しますよ」

「嬉しいわ。今度、時間ができたらお邪魔するわね」

「それからもう一つ。彼女がここで刺青を入れたかどうか、確認したかったんです」


 背後にいたエレナさんを彼の前に連れて行った。緊張気味に小さく会釈えしゃくするエレナさんを、彼はじっと見つめ、驚きと嬉しさの混じる明るい笑顔を浮かべた。


「あら、エレナちゃんじゃないの!」

「ご存じなんですか?」


 聞き返すと、彼は「もちろんよ」と、私の肩を叩いた。


「私、ここに来たお客さんの顔は忘れたことないわ。彼女は特に。だって、たつみサキョウさんのお嬢さんだもの」


 顔を上げ、私を見たエレナさんの表情は、今まで見せた中でもっとも自然で、安堵と希望を色濃く浮かべた笑顔だった。これで少し手がかりに近づいた、記憶が戻るかもしれない。眼差しに込められた淡い期待は、傍にいた私にも伝わっていた。


「巽サキョウ……エレナさんは、彼の娘なんですか?」

「そうよ。まぁ、娘といっても養女だって言ってたけどね」


 周防さんの問いに、レンエンさんは小首を傾げるように頷いた。

 巽サキョウ――この辺りでも名の知れた富豪の一人だ。金山や鉱山を所有し、採掘された金や宝石の原石を加工し、自らの経営する店以外にも、異国にまで輸出して巨万の富を得たとか。そんな彼を周囲の者達は〝宝石王〟なんて呼んでいるらしい。


「私が作っているかんざしの中には、紅玉こうぎょく翡翠ひすいなんかの宝石を使っているものが幾つかあってね。巽さんのところから原石を買わせてもらっているの」


 傍の棚からかんざしを数本取って、それを私の手に握らせた。

 丸型や涙型に加工された宝石を、平打簪ひらうちかんざしにあしらっていたり、ビラカンの一部に埋め込んでいたり。光の加減できらきらと輝く様は、ずっと眺めていても飽きないほど綺麗だった。

 それ以上に特徴的なのは、宝石の表面に施された紋様。棘のあるつるが渦巻き、重なり絡み合うような独特の紋様だった。これは確か――


「この紋様、〈闇人ナハト〉が使うまじないの紋様に良く似ていますね」

「あら、よくわかったわね」

「もしかして、レンエンさんは闇人ナハトなんですか?」

「まぁね。そんなに力は強くないけど、一応、魔女の末裔ってやつよ」


 レンエンさんはどこか照れくさそうに、口元に手を当ててフフッと含み笑った。

 闇人ナハトの力は、言葉と紋様に魔の力を宿すと聞く。口にした言葉は現実になり、人の心を惑わすことも、果ては命を奪うことも可能だと言われるほど、魔女の力の中で最も古く、もっとも厄介な力だとも言われていた。

 刻みつけた紋様は、破壊しない限り半永久的に効力を保ち続けるほど強力なもの。このかんざしに刻まれている紋様は、誰かを呪う類のものなのか……。


「それってつまり、このかんざしは、呪いの……?」

「いやだ、勘違いしないで。そんな物騒な紋様、彫るわけがないでしょ」


 馬鹿じゃないの、と笑い飛ばしながら、レンエンさんは私の肩を何度も叩いた。

 仕草は女性であっても、もともとは男性だけあって力は少々強め。一振りが案外強くて、叩かれる度に足を踏ん張った。


闇人ナハトが紋様を使って人を呪ったり、命を奪うことを生業としていたのは大昔のことよ。今はそんな力なんて必要とされないもの。まぁ、裏の世界では今でも需要があるみたいだけど……私がかんざしに彫っているのは、主に人の心を惹きつける紋様ね」

「惹きつける?」

「例えば、このかんざし。身につけるだけで、想い人の心を捕える〝くさりノ紋〟が彫ってあるの。要するに恋愛成就ね」


 と、レンエンさんは私の耳元でそっとささやいた。

 その言葉はなんて魅惑的で甘美な響きなのだろう。今、手にしているこのかんざしさえあれば、想い人は振り向いてくれる。あるいは手に入れることだって容易いかもしれない。

 これが胡散臭い露天商の売り物なら見向きもしないけれど、魔女の血を受け継ぐ闇人ナハトとなれば話は別。俄然がぜん、興味が湧いた。


「これ、結構売れるのよ。あなたも一本どう?」

「とても魅力的なんですけど……かんざしをつける機会がないというか。私、似合わないから買ったことがなくて」

「もうちょっと自信持ちなさいよ。私の見立てだと、なかなか似合う顔してるのよね」

「ほ、本当ですか?」


 レンエンさんは私の頭に何本かかんざしを当てて「これが似合うわ」と、一本の玉簪たまかんざしすすめてくれた。真鍮製しんちゅうせいで、飾りの玉に紅玉が使われている。このくらいなら無難に身につけられるかもしれない。

 淡い期待を抱き、かんざしを受け取って驚いた。つけられた値札には、2ヶ月分のお給料があっという間に飛んでいく額が書かれている。到底、私には手の出せる代物ではなくて、慌てて突き返した。


「こ、今回はちょっと、遠慮します……」

「あら、残念。今度来る時は好きな人と一緒に来て、買ってもらうといいわ。その時までに、あなたに似合うかんざし、用意しておくから」


 私の視線は、躊躇ためらいながらも周防さんへ吸い寄せられていた。

 すでに好きな人と来ているけれど、恋人同士というわけでもない。次に来られるかどうかも、買ってくれる仲になっているかどうかも謎のまま。果てしなく、限りなく可能性は低かった。


「巽さんとはお仕事でも交流があるようですが、刺青の方も?」

「もちろん。巽さんの背中とエレナちゃんの肩にある“青薔薇の刺青”は、私が入れたものよ」

「青薔薇?」

「周防さん、写真見せて下さいっ」


 取り出した写真を、私と周防さんは覗き込んだ。

 火傷の下から微かに見えていたあの青い模様は、薔薇の花弁の一部だった。刺青の全貌を知らない状態では〝青い何か〟にしか見えなかったが、花弁だと言われれば確かにそう見えてくる。

 私と周防さんが真剣な顔で写真を睨みつけているのが気になったのか、何気なくレンエンさんも覗き込んだ。とたんに表情が険しくなり、写真を奪われた。


「ちょっと! これってまさか、エレナちゃんの?」

「は、はい。エレナさんは今、記憶を失っていて。軍本部に来た時には、すでにこんな状態で」

「そんな……エレナちゃん、ちょっとごめんね!」


 謝ったかと思えば、レンエンさんはエレナさんの上着を強引にぎ取り、ワンピースの襟元のボタンを外しにかかった。エレナさんは突然のことにあたふたし、私はおどおど。周防さんはさり気なく視線を明後日の方角へ向けた。

 服を肩の辺りまで下げると、隠れていた傷跡があらわになった。透き通るような肌に刻まれたそれを目の当たりにし、レンエンさんは怒り心頭だった。


「なんて酷い事を。あんなに綺麗な青薔薇が! ちょっと、誰がこんなことしたのよ」

「そ、それは、まだわかっていなくて――」

「レンエンさん」


 詰め寄るレンエンさんと私の間に、周防さんが割り込んだ。


「差支えなければ、記憶を見せていただきたいのですが、よろしいですか?」

「えぇ。見られてまずいようなことはないから、かまわないわよ」

「では、手をこちらに」


 差し出された手に、周防さんが手を伸ばす。けれど触れる直前で手を止め、ジッと、何か言いたそうな眼差をこちらに向けた。周防さんが何を言おうとしているのか、嫌でも伝わった。


「私も見ろということですよね?」

「察しがいいな」

「目がそう言っていたじゃないですか」

「俺が読み取って、俺からミズキが読み取る流れでも構わないが、いいのか? 手当たり次第に読み取ってしまうミズキの力だと、俺の記憶まで見ることになるぞ?」


 その言葉に、ごくりと息を呑んだ。

 周防さんが私をどう思っているのか、どさくさに紛れて知ることのできる絶好の機会。それは魅力でもあり、また恐怖でもある。

 知りたい、知りたくない。この2つの感情の間で行ったり来たり。誘惑に負けそうになりながらも、やはり臆病な私は保身を選んだ。


「レンエンさんだけで十分です」

「俺もそうしてくれると助かるよ。見られたらまずい、あんなこととか、こんなこととか。色々あるからな」


 と、意味深なことを言ってニヤリとした。あんなこととか、こんなこととは何だろう。

 考えてみれば、周防さんは私の過去の一部を勝手に見ている。仕返しに見てやりたいところだけど、そんな勇気は少しもない。せめてもの仕返しとして、周防さんの机からお菓子を1つ貰ってしまおうと、密かに誓った。


「それでは、失礼します」


 私と周防さんは同時に、レンエンさんの手に触れた。

 きっと、周防さんは巽サキョウとエレナさんの記憶だけを見ている。でも、私は違う。レンエンさんが関ってきた、たくさんのお客さんや親しい人達の姿が、体の中に一気に流れ込んでいた。

 もちろん、どうして女性に憧れ、その身を変えたのか。この地に流れ着いて、店を構えたその経緯も全て見えていた。

 記憶の激流に飲まれるように、或いは溺れるように。私はレンエンさんの記憶を泳いでいく。

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