第7話 「記憶ノ行方」

 軍本部から蒸気馬車で1時間。

 隣街〈ウスキヒ〉のカンナルサ教会へとやってきた。

 

 年季の入った古い木製の扉を押し開け、礼拝堂へと足を踏み入れた。

 ステンドグラスを通って色づいた暖かなが、静まり返った礼拝堂内に真っ直ぐに射し込んでいる。その美しさよりも驚かされたのは、天井にまで届きそうなほどの、巨大な機械仕掛けのパイプオルガン。


 夕暮れの時刻になると、教会にあるそのパイプオルガンが美しい曲を奏でるのだと、蒸気馬車の燃料補充で町工場に立ち寄った際、整備士のおじいさんが自慢げに話していたのを思い出した。


「軍の方、ですね?」


 そこへ声がひびいた。

 祭壇さいだんの前に立っていた1人のシスターが、こちらに深々とお辞儀をした。歳は50前後だろうか。小柄で、年齢を感じさせない愛らしい顔立ちをしている。翡翠ひすいを丸く切り取ったような碧眼へきがんがとても美しい人だった。


「先ほど連絡した、軍本部特務局の来栖です。こっちが古書館の周防と七瀬です」

「院長を務めております、ナタリアと申します。お待ちしておりました」


 そう言って、シスターは同行していたエレナさんを真っ直ぐに見つめる。

 その瞳はかすかにうるみ、寂しさと悲しみにあふれていた。


「本当に、エレナは何も憶えていないのですね」


 ぽつりと、シスターはかき消されそうな声で呟いた。

 育った孤児院へ帰ってきたというのに、「ただいま」と声をかけてもおかしくないこの状況で、エレナさんは目の前にいるシスターをぼんやりと見ているだけ。その目はどこかうつろで、不安の色さえうかがえる。

 見ていられなくなったのか、シスターはギュッと唇をんで視線を落とした。その時、ほんの一瞬だけ、エレナさんの表情が曇ったように見えた。


「誰がエレナにこんなひどいことを……」

「それを突き止めるためにも、少しでも多くエレナさんの記憶を集める必要があります。ご協力をお願いします」

「もちろんです。私にできることでしたら、お手伝いさせてください」

「ご協力、感謝します。俺は子供達が暮らしている母屋を調べる。ミズキはこの礼拝堂と、その周辺を……って、あぁ、そうか。ミズキには記憶復元の方法、教えてなかったな」

「それなら大丈夫です。記憶を書き起こす時と同じように、ここにある物に染み込んだ記憶を読み取って集めて、関係のある記憶だけをエレナさんに書き移せばいいんですよね?」


 たずねた私に、周防さんは驚きながらもいぶかしんでいるような、複雑な表情を向けた。

 何か間違ったことを言ったのだろうか。最初はそう思った。それは間違っていたのではなくて〝知っていた〟からだった。


「お前、なぜその方法――」

「な、何となく、そんな方法じゃないかなって思ったんですけど。当ってましたか?」


 それ以上何も聞かれないように、私はとっさに誤魔化ごまかした。急に明るく振舞ふるまったから、怪しまれたかもしれない。それでも、今はそうすることしかできなかった。


「周防さん、早く始めましょう。エレナさんの記憶、たくさん集めてあげなきゃ。礼拝堂とこの辺りは私に任せてください」

「……あぁ、頼むよ。シスター、母屋へ案内していただけますか?」

「わかりました。どうぞ、こちらです」


 シスターに連れられ、周防さんとエレナさんは行ってしまう。その際、周防さんは彼女を気遣って「大丈夫ですよ」「心配はいりません」と、優しく声をかけていた。困った表情を浮かべつつも、エレナさんは一生懸命に彼の話を聞いて、うなづき返している。


 何気ないやり取りを見て、ふと、何かが違うと思った。周防さんはいつものように笑っているけれど、やはり違う。私や来栖さんにでさえ見せないような、優しくて穏やかな表情だった。

 それはきっと、エレナさんの不安を和らげようとしてのこと。そうだとしても、表情が優し過ぎるような気がした。仕事として接しているようには思えないほど、その時の周防さんは優しかった。


「気になる?」


 気配を消して横に立った来栖さんが唐突に訊ねてきた。その問いに一瞬戸惑ったけれど、気取られないよう平静を装った。


「気になるって、何がですか?」

「周防とエレナさんだよ」

「何か気になること、ありましたか?」


 返した答えに、来栖さんはフフッとおかしそうに吹き出した。明らかにからかわれているのがわかった。


「穴が開きそうなくらい2人を見つめていたのに、何もないっていうのかい? 好きなんだろ、周防のこと」


 その言葉に鼓動こどうね上がって、焦りが背中を駆け上がった。

 何事もなかったみたいに、「それが何か?」って、自信と余裕を見せつけられたらどんなによかっただろう。ただ、私はそこまで大人じゃない。隠していたはずの想いを見透かされただけで、言い返す言葉すら見つけられなくなっているのだから。


「……来栖さんって、本当は夢喰い人アルプトラウムなんじゃないですか?」

「うん、そうかもしれないね」


 本気なのか、冗談なのか。どちらとも取れない返事をされた。


「エレナさん、綺麗な人だからね」

「……そう、ですね」

「周防って、ああ見えて意外と一途いちずでね。好きになったら、どんどん夢中になっちゃうところがあるから」


 そこでわざとらしく言葉を区切り、ちらりと私を見た。目が合えば、意味深にニコッと微笑ほほえんでくる。


「私を不安にさせて、どうしようっていうんですか?」

「周防から手を引いてもらって、僕に乗り換えてもらう。なんて魂胆こんたんかもしれないね」


 それこそ本気なのか、冗談なのか。心が読み取れない言葉を残して、来栖さんは礼拝堂から出ていった。周防さん以上に、食えない人かもしれない。


「……さぁ、仕事しなきゃ。エレナさんの記憶、しっかり拾い集めないとね」


 気合いを入れ直して、私はつけていた手袋をそっと外した。

 礼拝堂に並ぶ椅子や柱、壁。そこにある物に触れていく。その度に、息をするのも辛いほどの、たくさんの記憶が体の中に流れ込んだ。


 ここは孤児院である前に、教会の礼拝堂。たくさんの人達が訪れ、祈りをささげる場所。

 子供達が無邪気むじゃきにかくれんぼをしている記憶もあれば、最愛の妻を亡くして悲しみに暮れ、祈りを捧げる老紳士の記憶もある。そういった〝人〟が生きた証が、ここにはたくさんあった。


「はぁ……子供達の記憶だけ見えるならいいけど、関係ない人達の記憶まで見えちゃうのが辛いのよね」


 私の力は少しばかり未熟らしく、そこに刻まれた記憶は全て見えてしまう。選び取ることができないせいか、人の感情が体に蓄積して、ひどく疲れてしまうことが難点だった。

 泣きごとを言いたい気持ちをグッとこらえながら、さらなる記憶を求めて、祭壇脇にあるオルガンに触れた。


 暖かな陽が射し込む礼拝堂で、シスターがオルガンを弾いている光景が見えた。

 おそらく若い頃のシスター・ナタリア。その隣で弾き方を教わっている子がいる。赤毛で、碧眼の女の子。幼い頃のエレナさんに間違いない。

 その姿を頼りに、私は記憶を集めていった。

 花壇からは、同じ孤児院の子供と宝物を埋めた記憶。教会のそばに植えられた木からは、野良犬に追いかけられて木に登り、降りられなくなって神父様に助けられた記憶。

 たくさんの記憶に触れ、全力疾走したような疲労感に襲われて、一通り作業が終わった頃には、礼拝堂の椅子でぐったり座り込んでしまった。

 立つことさえ億劫になって、椅子の背に凭れ、半ば放心状態で天井を見上げていると――


ひどい顔してるな。疲れたのか?」


 周防さんが顔を覗き込んで、お決まりの棒つきあめを突きつけてきた。

 こんなにも近くで顔を見られるとは思っていなかった。飛び上がるほど嬉しくて、びっくりしたけれど、起き上がる力すら残っていなかった。だからせめて目だけを見開いて、精一杯の反応だけはしておいた。


「食うか?」

「いえ、大丈夫です。ところで、エレナさんは?」

「今、来栖が相手をしてる」


 周防さんが見ている視線の先を追うと、祭壇前で来栖さんとエレナさんが話をしているのが見えた。


「ちゃんと集められたか?」

「私が拾える範囲内ですが、何とか。質は保障できませんけど」

「それで十分、問題ないさ」


 周防さんは隣に座り、手袋を外した左手を差し出した。

 私の手なんて簡単に包み込んでしまうくらい大きいのに、なぜか指はすらりと長くて綺麗だった。触れてみたいと思う一方で、じわりと、嫌な予感が背中ににじみ出た。


「俺の手に触れるだけでいい。ミズキが読み取った記憶を、俺が回収する」


 手をにぎろうとして、すぐに手を引っ込めた。私が見た記憶を渡すということは、どうあっても触れなければならない。

 周防さんは首傾げるけれど、すぐに、私が躊躇ためらっていることに気づいたようだった。


「もしかして、エレナさんの記憶以外に、自分の記憶も読まれるんじゃないかって思ってる?」

「それは、もちろん。この間は手袋だけでしたけど、今回は直接なので。色々とお見苦しい点を見られてしまう可能性が……」


 私の過去なんて大して興味はないだろうし、見られても問題はないのだけれど、周防さんに対する想いまで知られてしまうのは厄介だった。

 図書館でいつも見ていたことも、必死になって声をかけようとしていたことも。あの日々の全てが見られ、知られてしまう。

 距離すら縮まっていない状況で想いを知られて、「お前に興味はない」なんて言われてしまったら、それこそこの先、一緒に仕事をしていくのが辛くなる。これだけは何としてでも避けなければならない。


「そう警戒けいかいしなくていい」


 心配する私を余所よそに、周防さんは早くにぎれと言わんばかりに、さらに手を近づけてきた。


「俺は見たいと思うものを見て、見たくないと思うものを見ないように力を制御できる。ミズキに触れても、エレナさんの記憶だけ読み取ることができるから、安心していい」

「本当ですか?」

「信じられないか?」

「正直、信じられません。でも、渋っていたら仕事になりませんから」


 半ば自棄やけになって、私はその手を握った。

 ゾクリと、悪寒のようなものが背筋を駆け上がる感覚と、体の力が手の平に吸い寄せられ、抜けていく奇妙な感覚を覚えた。脱力感に襲われ、耐え切れなくなって、ひざに手をついていた。

 時間にして、ほんの数秒。それなのに、ずっと長い間つないでいたような気がする。ようやく手が離れ、体を駆け巡る感覚から解放される。自然と溜息がれていた。


「なかなか集めたな。あぁ、確かに余計な記憶も多い」

「周防さんと違って、力が不安定ですので。お役に立てたか、心配ですけど」

「これだけあれば十分だ。あとは、この記憶をエレナさんに渡すだけだな」


 立ち上がり、祭壇前にいる来栖さんを呼んで手招きをする。「今行くよ」と返事をして、エレナさんを連れ、私と周防さんのもとへ戻ってきた。


「もう準備できたのかい?」

「一応な。エレナさん、俺の手をにぎってもらえますか?」


 差し出された手に、エレナさんは戸惑いながら周防さんを見上げる。大丈夫だと頷くのを見て、恐る恐るその手を取った。

 その表情は一瞬にして変わった。

 不安で満たされ、怯えていた表情が解けるように和らいでいく。目が覚めたかのように、虚ろだった瞳はしっかりと強さを宿す。光が戻った瞬間を見たような気がした。


「取りあえず、ここでかき集めた記憶です。エレナさん、どうですか?」


 訊ねられ、エレナさんは驚いたような表情で私達を見た。頷くことも、その問いに答えることもなく、くるりときびすを返して歩き出す。

 

 向かったのは祭壇脇のオルガンだった。ふたをあけ、ストンッと、落ちるように椅子に座った。しばらく眺めていたけれど、おもむろ鍵盤けんばんを指先で弾いた。礼拝堂内に反響する見えない音を追いかけるみたいに、天井やステンドクラスを見上げ、ふと噛みしめるように微笑んだ。

 軍本部に保護されてから初めて、エレナさんが笑った。記憶は、一人の人間を作り上げるのに必要不可欠なもの。そう感じさせた瞬間だった。


「なんだか、いい雰囲気ですね」

「うん、嬉しそうだね」

「笑ってくれて、本当によかった」


 周防さんは、自らのことのように喜んでいた。

 古書館での飄々ひょうひょうとした印象しかなかったせいか、新鮮な半面、少しだけ複雑だった。そんな笑顔が、私に向けられないのが少しだけ寂しくもある。

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