第3話 「運ノ尽キ」
恋をしたのが運の尽き。
周防レン――あの人は“悪い男”だったのかもしれない。
「七瀬ミズキさん……あぁ、あったわ。〈古書館〉は、左の廊下の突き当たりにある階段を下りた地下1階だから。行けばわかるわよ。はい、これが身分証ね」
総務局の受付のおばちゃんは、ぶっきらぼうな口調で説明しながら、帝国の紋章が刻まれた銅製のペンダントを差し出した。
「浮かない顔しているわね。まるでこの世の終わりみたいな顔じゃないか」
おばちゃんは私を見てそう言った。
鏡を見たわけではないから、今、私がどんな顔をしているのかはわからない。おばちゃんがそう言うのだから、きっととんでもない顔をしているに違いない。
「私、先月までカムイ図書館で司書をしていたんです。目録作成も修理製本も、参考調査業務も好きだったのに……」
誰かに聞いてもらわないとやっていられない。この際このおばちゃんでもいい。
ぽつり、ぽつり
「おや。それなのに、どうして辞めたんだい?」
「辞めざるを得なくなったんです……」
私は盛大な
ここは帝都にある〈ヒノモト帝国軍本部〉。屈強な軍人達が身を置く場所。
場違いとも思われるこの場所に、私がいるのは他でもない。周防レンという男に恋をしてしまったばかりに、隠していた
「古書館に行くの、そんなに嫌なのかい?」
「今すぐにでも、逃げ出したい気分です」
どこかに神様がいて、一生のお願いが使えるのなら惜しげもなく使いたい。
触れるだけで、相手が見られたくないと思っている記憶や想いが見えてしまう。そのせいで、小さい頃から嫌な思いもたくさんしてきた。語るも涙、聞くも涙。悪魔だ、化け物だと心無い言葉を浴びせられたこともある。
言葉が無くても伝わるから便利だと言われたこともあるけれど、正直、見て気分のいいものではない。
「なんだか、お腹が痛くなってきました……」
「認められるってことは、いいことだと思うわよ。他の人にはない力だし、必要とされているってことなんだから」
必要とされている内が華だと母にも言われたけれど、それが
ムスッとしている私を、おばちゃんは含み笑って見ていた。
「まぁ、精一杯頑張りなさい。もう学生じゃないんだし、嫌だなんて言える立場じゃないんだからね」
「……そう、なんですけどね」
「案外、あなたには悪くない場所かもしれないよ? あそこの責任者はいい男だからね」
その言葉には反応せざるを得なかった。
閉じそうなくらい目を細めて口を
「それって、周防さんのことですか?」
「なかなかの男前だと思わないかい? まぁ、何考えているのかわからないところもあるけれど、そういう謎めいたところがいいみたいでね」
やはり本質はそこにある。
人の過去や心は見えないのが当たり前。知りたいと思っても見えないからこそ、相手を知ろうと夢中になって追いかけて、何気ない会話の中から少しずつ引き出して、距離を
「総務局や財務局の女の子達の中には、狙っている子も多いみたいだよ。違う部署にいたって好きになるんだ。あんたは同じ場所で働くんだから、あっという間に好きになっちまうんじゃないのかい?」
「そ、そうかもしれませんね」
すでに心を奪われています――なんて口が裂けても言えなくて、笑って
きっと、私が周防さんを好きだということが知られたら、彼を密かに狙っている女達の
女の
「まぁ、とにかく頑張りなさい」
そう言って、おばちゃんは自分の仕事に戻った。淡々と、そして黙々と。自分の席に座って、机に積まれた郵便物や書類の選別に没頭している。私が総務局を出ていく時でさえ、こちらを見てはくれなかった。
足取りは重く、引きずるみたいにゆっくりと。私は教えられた通りに廊下を進んだ。
軍服に身を包んだ男達ばかりが行き交う軍本部内の廊下を、ひたすら進み、突き当たった先の階段を下りていくと、暗い一本道の廊下が伸びている。
そのさらに突き当りまで行くと、一際異彩を放っている扉が待ち構えていた。帝国の紋章にもなっている黒龍の石像が扉の脇に
「ここだよね……多分」
石像の黒龍が抱えている紅玉に〈古書館〉と白字で彫り込まれている。このまま引き返したい気持ちをグッと堪え、意を決して扉を叩いた。
少し待ってみたものの、中からの反応はなかった。不思議に思いながらも、再度叩こうと構えた直後、扉が勢いよく開いた。
「やっときたか。待ってたよ」
軽く
彼を正面から
「やっぱり、俺の申し出は断れなかっただろう?」
「私が断れないように外堀を埋めて、一気に攻め込んできたのは、どこのどなたでしたでしょうか……」
初めて言葉を交わした、あの日から1ヶ月――。
周防さんは毎日、図書館へやってきては「古書館に来い」と、私を説得しにかかった。
それでも断固として断り続けていたら、今度は田舎の両親に連絡をし、軍本部の古書館に転職が決まったと、嘘の報告をするという荒技を使ってきた。
これには両親も大喜び。電話口で嬉しそうな声を聞かされたら、嫌だとか、それは陰謀だと言えなくて。おまけに給料は今の倍は出すと言われたのが止め。私の心が大きく揺らいだのは事実だった。
「まさか、両親と弟をだしにするとは思いませんでした。おかげで頷かないわけにはいかなくなっちゃいましたし」
「周りが強引に動いた方が、腹も括り易かっただろう?」
確かに、一理あった。
私にはソウタという四つ下の弟がいる。2人で辺境の田舎町〈ノンノ〉から帝都へ出てきて、私はアカネと一緒に図書館に就職、ソウタは帝都の士官学校に入学した。
ヒノモト帝国〈帝都カムイ〉――別名〈蒸気機械の街〉と呼ばれるこの帝都には、故郷のノンノでは見られない様々な蒸気機械が溢れかえっている。馬車を引くのは馬ではなく、蒸気機械で
その一方で、古くから受け継がれる魔女達の力も色濃く残っている。職人達の工房が
魔の力と機械が共存する、どこか不可思議な雰囲気が漂うこの街に来た時は、私とソウタも心躍らせていたけれど、生活していくのは思っていたよりも大変だった。
自分の生活も含め、両親の代わりに弟の学費を納めていることもあって、今の給料ではなかなかな
「私を説得するには十分過ぎるくらいの理由ですからね。本当、お見事です」
「まぁ、そうムスッとするな。その隊服、よく似合ってるんだから、それでいいだろ?」
そう言って、周防さんは室内へ戻った。
なぜあの人は、絶妙な間で私をさり気なく褒めるのだろう。嫌だと総務局で散々
これはあの人の作戦だ。私を図書館から強引に引き抜いたあと、辞められないよう褒める作戦に違いない。そうに決まっている。
「
うっかりうかれそうになった気持ちを引き締め直して、私は周防さんの後を追った。
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