第2話 「古書館ノ夢喰イ人」

「どうしよう。今日、眠れないかもしれない」


 困惑の言葉とは逆に、眠れなくなってもいい、なんて思えてしまう矛盾を口にしながら受付へと戻った。

 配架を終えて先に戻っていたアカネは、植物辞典を胸元で抱えたまま、ぼんやりと作業机の椅子に座り込んだ私を見て目を丸くした。


「ミズキ!? 何、そのゆるんだ顔」

「……話かけられちゃった」

「誰に?」

「あの、着物の軍人さん」

「えっ!」


 “図書館ではお静かに”――そう書かれた貼り紙など完全に無視をして、アカネは声を裏返して驚いた。

 小走りに駆け寄ったかと思えば、私の前にしゃがみ込む。下から見上げながら、ギュッと手をにぎった。


「それで、それで? どうしてそういうことになったの?」

「書架が高くて、図書を戻すのに手間取てまどっていたら、手伝ってくれたの」

「あら、案外いい人?」

「素敵だったなぁ。さり気なく、自然にサッとね。声も程よく低くて、落ち着いた感じで。それからね、甘い香りがかすかにしたの」


 思い出しただけでも鼓動こどうが早くなる。余韻よいんひたってヘラヘラしている私とは裏腹に、アカネの表情は苦々しく、どこかあきれているようにも見えた。


「……ミズキ、知ってる? 男が香りをつけるのは、女がいる証拠しょうこらしいわよ」

「ねぇ。どうしてアカネは、気持ちが落ち込むようなこと言うかな……」

「ミズキが男で失敗しないように、忠告してるんじゃないの」


 不敵ふてきに笑う様子を見ても、心の底から心配しているようには思えない。昔から、野次馬根性やじうまこんじょうだけは旺盛おうせいな子だったから、今回もこのたぐいに違いない。


「アカネの場合、私が一喜一憂しているの、楽しんでいるだけでしょ?」

「まぁ、半々ってところね。ちなみに香りの話は曾婆ひいばあちゃんの受け売りだけどね」


 根拠はないけれど説得力があるような気がした。

 身にまとった香りは、傍に居れば相手に移すもの。また、相手から移されるもの。あの人の香りが自分でまとったものなのか、それとも恋人から移された移り香なのか。それを考えると、弾んでいた気持ちがみるみるしぼんでいく。話したくらいで浮かれていたのが馬鹿みたいだった。


「私、頭冷やしてくる。この図書、配架してこなきゃ」


 大きな溜息ためいきをつきながら立ち上がって、顔を上げた時だ。


「すみません。教えて欲しい事があるんだけど」


 耳に届いた声に、息が止まった。

 うわさをすれば影。いつの間にやってきたのか、あの着物の軍人さんが受付の前に立っていた。

 図書を手にしたまま直立不動になっている私に気づいて、アカネは背中をドンッと押した。振り返れば「今話さなくてどうする! 行きなさい!」と、身振り手振り。私は小刻みに何度か頷き、彼の元へ向かった。


「は、はい。あの、何か、ご用でしょうか……?」

「知人に料理関係の本を借りてきてほしいと頼まれたんだが、どこにあるのかわからなくてね」

「料理本は家政学の書架ですので、書庫3階にあります。場所は、わかりますか?」


 その問いに、彼は気恥ずかしそうに頭をかいた。


「いや、そっち方面の本は読まないからな」

「わかりました。ご案内しますね」


 アカネは「頑張って」と、さらに身振り手振りで伝える。何を頑張ればいいというのか。戻ってきたら、きっと質問攻めにいそうな気がするから、覚悟しておかなければ。

 彼を連れ、受付の正面に設けられた休憩室脇の階段から書庫三階へ向かった。植物学、動物学、医学の書架を通り過ぎて、ようやく工学の書架に入る。家政学はそのさらに奥。それを説明しながら足を進めていると――


「もういいよ」


 急に腕をつかまれ、引き止められた。

 指先や手の平の感触、温かさ。その全てが、服の上からでもしっかりと感じられる。不意につかまれた分、鼓動こどうが痛いくらいに跳ね上がった。


「あの……もういいって?」

「料理本が借りたいっていうのは嘘。君を連れ出すための口実だったんだ。実は、聞きたいことは他にある」

「他、ですか?」


 おずおずと、戸惑いながら彼を見上げた。

 吸い込まれそうな黒い瞳に真っ直ぐに見つめられた。夜空よりも深い黒。その色に全てをうばわれ、見透みすかされそうな気がして、ごくりと息をんだ。


「その手袋」


 と、彼は再び、私が手にしている革手袋を指差した。


「これが、何か?」

「それを取って、素手で俺の手をにぎってみてくれないか?」


 おどいて、とっさに彼の手を振りほどいた。

 これだけは、どうしても取ることができない。私には取りたくない理由がある。これを外してしまったら、見たくないものを、知らなくてもいいことを知ってしまう。

求められたことに応えられず、不安と焦りがスッと背筋をでていくのを感じた。


「えっと……どうしてそんなこと、急に」

「俺も君と同じ部類の人間なんでね」


 ニッと無邪気むじゃきに笑って、彼は手を見せた。その左手に私と同じような黒い革手袋をしていた。

 同じ部類の人間、そして片手だけにつけられた手袋。ある特定の力を持った者は、無暗むやみにその力を使わないよう、片方だけ手袋をしていることが多い。それですぐに覚った。


「もしかして……〈夢喰い人アルプトラウム〉なんですか?」


 彼は一度だけ頷いた。

 かつて、この世界には〈魔女〉がいた。生まれながらに魔の力を宿した魔女達は、人知を超えた不可思議な力を操っていた。


 傷をいやし、与え、蘇る力を操る【癒し人ベハンドルング

 未来を予見し、道を示す力を操る【予言人プログノーシス

 言葉と紋様を用いて呪術を操る【闇人ナハト


 他にも様々な力を内に宿した魔女達がいた。

 古の時代、魔女達は裏で政治すら操っていたとも聞く。ただ、魔女達が存在していたのは、気の遠くなるような遥か昔のこと。今となってはその血も薄れ、力が覚醒することもなく、魔女の末裔まつえいとして血を受け継ぐだけの〈忘却人オブリビオ〉ばかりになっていた。その中でも、かつての魔女達と同じように、魔の力を覚醒させて生まれてくる末裔も少なからず存在する。


人や物に触れ、そこに染み込んだ記憶を読み取る力を操る〈夢喰い人アルプトラウム〉。それが私の持つ魔の力だった。 

 触れるだけで、その人が歩んできた人生や想い、経験してきた過去の出来事が、走馬灯そうまとうでも見ているみたいに、一瞬にして頭の中に流れ込んでくる力。まさか、彼も同じ〈夢喰い人アルプトラウム〉だとは思いもしなかった。


「いつ、私が夢喰い人アルプトラウムだとわかったんですか?」

「本を戻すのを手伝った時だ。俺と同じように、片手にだけ手袋をしているから、ひょっとしたらと思ってね。少しだけ見させてもらった。その力のせいで、子供頃に嫌な思いをして、それから革手袋をするようになったんだな」


 彼の言葉や声が、耳の奥で何度も反響はんきょうする。聞きたくないと言って拒絶している。眩暈めまいに襲われそうになって、そばの書架に手をついた。


「お願いします……アカネは幼馴染だから知っているんですけど。図書館の人達は、私が夢喰い人アルプトラウムだってことを知らないし、知られたくないんです」


 機械技術が発達した今、機械は生活になくてはならないもの。魔女達が活躍していた時代とはわけが違う。魔女の存在を否定できないとは言っても、疎ましく思っている学者や研究者は少なからずいる。それこそ、ホロン博士は完全なる魔女否定派の一人。私が魔女の末裔まつえいだと知られたら「時代遅れだ!」とか「信用できん!」なんてわめき散らして、図書館に迷惑がかかる可能性はあった。


「このこと、黙っていてもらえますか?」

「最初から言うつもりなんてないさ。ただ、一つだけ条件がある」


 人差し指を私の前に立て、ニヤリとした彼の表情が途轍もなく悪そうに見えて、思わず後ずさった。


「事は相談なんだが、ここを辞めて軍本部の〈古書館〉に司書として来る気はないか?」

「古書館!? 遠慮します!」

「おい、即答しなくてもいいだろ」

「嫌なものは嫌なんですっ。お断りします!」


 軍人な上に夢喰い人アルプトラウムだと聞いた時から嫌な予感はしていたけれど、そのまさか。彼が身を置いているのは、間違いなく〈ヒノモト帝国軍本部古書館〉。ここには、国で起きた犯罪や事件の記録を資料として保管している。


 それを管理しているのは魔女の末裔まつえいである夢喰い人アルプトラウム

 日々、押収品に染み込んだ人の記憶を読み取って、それを文字に起こし、記録・保管していると聞く。つまり、彼は私に夢喰い人アルプトラウムとして働く気はないかと誘いをかけてきた。


 小さい頃からずっと革手袋をして、力のことを隠してきたというのに。何が嬉しくて、この力を存分に発揮しなければならない古書館に、自ら望んで行かなければならないのか。まったくわからない。


「私、夢喰い人アルプトラウムの力は使いたくないんです。お役には立てないと思いますので、きっぱりお断りします!」

「それは俺も断る」


 彼もまた食い下がる。横を通り抜けて逃げようとすれば、彼が前に立ちはだかって行く手をはばむ。右へ行けば右へ、左へ行けば左へ。書架と書架の間で、私と彼は何度も横移動を繰り返した。


「古書館は万年夢喰い人アルプトラウム不足なんだ。ここで見つけた貴重な人材を、逃すわけにはいかないんだよ」

「何と言われようと、私は行きません! それ以外に用が無いのでしたら、ここで失礼します。私には司書としての仕事がたくさんありますので」


 深々と頭を下げ、彼の横を足早に通り過ぎた。けれど、彼は逃がさんと言わんばかりに私の腕を掴んで引き止めた。


「俺の申し出は断らせない。必ず手に入れるから覚悟しておけ、七瀬ミズキ」


 こんな時でも、私の体は本当に正直で困ったものだ。

 この人に関らない方がいい。頭ではわかっていても、一時でも恋していた体は、たかが名前を呼ばれただけで、いちいちドキドキしてしまう。多分、顔が熱くなっているから、頬か耳の辺りが赤くなっているかもしれない。


「な、なんで、私の名前!? あっ、手袋から?」

夢喰い人アルプトラウムなら、そのくらいできないとな。まぁ、俺だけ色々と見るのは不公平だろう。俺の名前も、触れて調べたらどうだ?」


 手を出されたけれど、私はそのままそっぽを向いた。


「私の力は不安定なんです。見たくないものも、見てしまうから。遠慮します」

「じゃあ、こっちから名乗っておく。周防すおうレンだ。これから一緒に仕事することになるだろうから、憶えておいてくれると助かるよ」


 そう告げて、彼は踵を返した。

 背中が遠ざかり、通路を曲がって、ひるがえした着物のすそも見えなくなった。足音も完全に聞こえなくなったところで、私は深く息を吐いて、その場にしゃがみ込んだ。

 あんなにも知りたかった彼の名前を、こんな形で知ることになるとは思わなかった。神様は案外、意地悪いじわるで、悪戯いたずらが好きなのかもしれない。

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