夢喰いの魔女~帝国軍古書館に魔女は棲む~

野口祐加

第1章 帝国軍古書館に魔女は棲む

第1話 「悪イ男」

 大明たいめい150年――青龍せいりゅうノ月〈コクウ〉20日の、暖かな昼下がり。今日もあの人が来ている。

 眩い西陽にしびが射し込む窓際まどぎわの閲覧席に、ちょうの柄が見事な着物を上着代わりに羽織はおった、少し風変わりな出で立ちの軍人が1人、椅子の背にもたれて座っている。


 歳は30を少しばかり過ぎたくらいだろうか。

 私より一回りほど上の、大人の男性だ。妖艶ようえんさの混じる精悍せいかんな顔立ちも、右の眉からこめかみにかけて、ななめに縦断する切り傷も目をく。

 窓の外には、この〈帝都カムイ図書館〉自慢の、樹齢200年を越える老桜が満開の花を咲かせていた。雪のようにヒラヒラと、濃い桃色の花弁が舞い散る景色を背景に、どこか気だるそうに本を読んでいる。その姿は猛々しくも美しい。まるで額に納められた絵画を見ているみたいだった。


「ミズキ、半分手伝って!」


 貸出受付脇の作業机で、新刊の受け入れ作業をしていた私のもとへ、同期の司書で幼馴染みのアカネがやってきた。切羽詰ったような言い方に何事かと顔を上げれば、私の前にドンッと返却処理を終えた図書の山を置いた。


「配架なら〈配架用機械人形ブックトラック〉使えばいいじゃない」

「今、全部出払っちゃってるの」

「今日の返却図書、そんなにたくさんあった?」

「ホロン博士が来ているからよ」


 と、アカネはうんざりした顔をして書庫を見上げた。

 受付から見える中二階の書庫に、ボサボサの白髪に薄汚れた白衣、真鍮製で武骨な眼帯をつけた初老の男性が、気難しい顔をして本を読んでいる。この帝都〈カムイ〉では名の知れた機械人形技術士で、ちょっと変わり者の名物博士だ。定期的に図書館へやってきては、研究に使う資料を大量に借りていくのだけれど、これが少々厄介。


 ここに勤務する司書達は、返却された大量の図書をもとの書架に戻す際、〈配架用機械人形ブックトラック〉を使う。長方形の箱に四本の手足が生えていて、蜘蛛くもみたいな歩き方をするちょっと奇妙な箱型の機械人形。

 蒸気機関で稼働するこの箱に本を入れて運ぶことで、重い本を持つこともなく館内を移動できる優れもの。その便利さに目を付けた博士は「わしにも使わせろ」と、いつの頃からか使うようになった。

 最初こそ一台ほどで済んでいたものの、今では四台も独占してしまうから、仕事の効率は落ちるし作業も進まない。司書達も手を焼いていた。


「あれは時間かかりそうだね」

「残りの〈配架用機械人形ブックトラック〉も、今は先輩達が使っていて残ってないの。そういうことだから手伝って」

「残念だけど、私も手が離せないの。新刊の受け入れ作業中だから」

「ふーん。その割には集中してないじゃない。蔵書印、見てみなさいよ」

「……あっ」


 手元を見て、思わず唖然とした。

 見返しに押した蔵書印を、上下逆さまに押してしまっていた。すでに作業を終えた図書も慌てて確認すると、最初の3冊ほどは問題なく押していたのに、それ以降の本全てが逆さになっていた。


「あぁ、やっちゃったぁ……」

「どうせ彼のこと見て、ぼーっとしてたんでしょ」


 アカネはニヤリとして、窓際の閲覧席にいる彼に目をやった。

 他人のことなんて興味がないくせに、こういう話題になると活き活きとした顔をする。おまけにかんするどいから、いつも言い当てられて迷惑している。今回も図星なだけに反論できなかった。


「お願いっ! 主任には内緒にして」


 顔の前で手を合わせ、これで何度目になるかわからない“一生のお願い”を使った。とたんにアカネは両手を腰に当てて、ここぞとばかりに偉そうに胸を張った。


「もちろん。だから配架作業、半分手伝ってね」

「わ、わかったよ。手伝えばいいんでしょ」


 配架作業で黙っていてくれるのなら、これほど安い口止め料はない。

 置かれた図書の山を上から半分。ほんの気持ちばかりおまけして、数冊分を多めに取って膝の上に乗せた。それにもかかわらず、アカネは「こっちもお願いね」と、私が断れないのをいいことに、さらに二冊を追加した。本当にちゃっかりしている。


「それにしても、あの人の何がいいの?」


 アカネは眉間にシワを寄せて、ジッと、睨みつけるみたいに彼を見て首を捻った。


「だいたい、何? 軍服にあんな派手な着物、上着代わりに羽織っちゃって。おかしいわよ」

「とても綺麗だよ? それに案外、軍服にも合ってるし。あのちょっとだけ危険で、甘い香りがしそうな雰囲気がいいじゃない」

「あぁ……これは間違いなく“悪い男”だね」


 大袈裟おおげさに溜息をついて「ご愁傷様」なんて、肩を叩かれてしまった。

 彼のことを何も知らないのに、どうしてそう言い切れるのだろう――そういう私も、彼のことは名前すら知らないから、人のことは言えないのだけれど。それでも、自分が好きになった人を悪く言われるのは、あまりいい気はしなかった。


「悪い男だなんて、勝手に決めつけないでくれる?」

「だって、ミズキが好きになる男は、大抵悪い男ばかりだったじゃないの」

「そ、それは……」

「違うって言い切れる?」


 正直、思い当たることがいくつかあって、違うと言い切れないところはあった。認めたくないのだけれど、アカネ曰く、私から好きになった男は“悪い男”らしい。

 以前、菓子屋の跡取り息子に恋をしたことがあった。いつも甘い香りをまとっていて、笑顔の可愛い人だった。


 顔を憶えてもらうまで何度もお店に通って、世間話ができるまでになって、ようやく相手に「付き合って欲しい」と言わせたというのに――。ふたを開けてみれば、絵に描いたような最低な男だった。親が稼いだ金で遊び呆けて自分は働かない。おまけに別の恋人が2人もいたことが後になってわかった。典型的な馬鹿息子に引っかかってしまった。


「きっと、あの人にも何か秘密があるに違いないわ」

「それでも、好きになっちゃったんだから仕方ないでしょ」

「だったら、今すぐ声かけたらいいじゃない。遠くから見てるだけじゃなくてね」


 難しいことなんて何もないとアカネは言うけれど、それを実行に移すには途轍もない勇気が必要になる。引っ込み思案な私にはなおさらだった。

 嫌な顔をされたらどうしよう、無視されたらどうしよう。考えればきりがないくらい、望まない結末ばかりが頭に浮かんでしまった。


「挨拶くらいなら、できるでしょ?」

「……それができたら苦労しないよ」


 投げやりに答え、返却図書を抱えて席を離れた。

 彼とどうやって接触を試みるのか、考えるのはまたの機会にしよう。そのきっかけは、これからいくらでもあるはずだから。今は目の前の仕事を片付けるのが最優先。

 小さく溜息をついて、ずっしりと重い図書の山に視線を落とした。一番上に乗っているのは分厚い植物辞典。表紙には箔押しされた薔薇ばらの模様が描かれている。


「えっと、これは参考資料の書架ね」


 自ら呟いてハッとした。

 参考資料が並ぶ書架は、彼がいる閲覧席のすぐ後ろにある。近くまで行けば、気づいて目を合わせてくれるかもしれない。それこそ、挨拶くらいならできるかもしれない。微かな期待と緊張を胸に、図書を抱えておそるおそる書架へ向かった。一歩、また一歩と、足を進める度に距離が近づいていく。


 参考資料が並ぶ書架の前にやってくると、足音に気づいた彼は反射的に私を見た。

 今、この瞬間だ。「こんにちは」と、その一言でよかったのに。目が合ったとたん、胸の中にあった期待が弾け、緊張だけが瞬く間に膨れ上がった。気がつけば、その書架に戻すはずの植物辞典を持ったまま、何事もなかったように別の書架へ移動していた。


 度胸が無いにも程がある。挨拶することなんて、どうってことはないのに。図書館の利用者に挨拶をするのは、司書なら誰でもしていること。目が合っただけで怖気づいているようでは、彼と話をするなんていつになることか。


「この調子だと、話をするだけで何年もかかりそうだね……」


 植物辞典は後回しにして、他の図書を配架しに行くことにした。

 天文学や物理学、それから文学に獣医学。あっちへ、こっちへ、手際良く書架に戻していく。植物辞典を除いて、残りは昆虫図鑑が1冊になった。

 動物学の図書が並ぶ書架の前にやってくると、その図書がどこに配架されていたのか、著者名順にずらりと並んだ本の列を、上から順に目で追いかけた。


「昆虫図鑑は、えっと……あっ! あそこだわ」


 八段ある棚の一番上の棚に、昆虫図鑑と同じ幅の空間が、本と本の間に1つ開いている。

 手を伸ばして図書を戻そうとしたけれど、私の背丈ではどうしても届かない。近くに脚立も見当たらないし、なんとかこのまま収めようと、グッと思いっきり背伸びをした。


「あと、少し!」


 爪先立ちでフラフラしていた、そこへ――


「あそこでいいのか?」


 不意に声が降ってきた。横から伸びてきた手が、私から図書をさらっていく。その人は背伸びもせず、軽々と図書を書架に戻してしまった。


「ありがとうございます、助かり――」


 そう言いかけた言葉は、驚きと一緒に喉の奥で止まった。

 手伝ってくれたその人は、あの着物を羽織った軍人さんだった。見上げた先、おまけに目と鼻の先に彼がいる。言葉すら交わしたことがなく、ただ遠巻きに見ているだけだった彼が、こんなにも近くに立っていた。

 彼が動く度に、薔薇ばらのような甘い香りと、煙草のほろ苦い香りが、フワリと鼻先を掠めて行った。体中の血という血が、カッと熱を帯びて、瞬きをするよりも早く体中を駆け巡っていく。きっと、驚きと戸惑いで、とんでもなく間抜けな顔をしていたに違いない。


「そっちの本は?」

「えっ? あっ、こっちは大丈夫です! 配架場所が違う棚なので」

「そう。ところで、それ」


 彼は何を思ったのか、私の手を指差した。


「この季節に革手袋なんて、珍しいな」

「あぁ、これですか。えっと……私、冷え性なんです。それに、図書館の仕事をしていると、手も荒れちゃうことが多くて。それで、これを」

「なるほど。変なこと聞いて悪かったな。それじゃ、仕事頑張って」

「は、はい!」


 ヒラヒラと手を振って、彼は去っていった。その姿が見えなくなったとたん、私は力なく書架に寄りかかった。

 彼が私を手伝ってくれたことや、目を合わせて言葉を交わしたこと。これは本日最大の事件だ。私は本当に単純かもしれない。たったそれだけで、天にも昇るような想いを味わえるのだから。

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