第五章 シャッター


 畏れ多くも紅倉美姫にもパイプ椅子に座っていただいて、カメラを前に「事の真相」を解説してもらった。



「美貴ちゃんに調べてもらいましたが、そのCDには当時悪い噂が立っていましたね?」

 岸田も思い出した。

 バブルの時代、このCDにはいかにもな特典が付いていた。

 中にくじが入っていて、当たりが出ると、全国五都市で行われるプレミア・シークレット・コンサートに招待されるのだ。この手の懸賞は添付の応募券で抽選されるのがふつうだが、CDに直接くじを仕込んでいるのが商魂丸出しでバブリーだ。熱烈なファンは当たりくじが出るまで何枚でもCDを買い漁るだろう。

 しかしそのプレミアシークレットコンサートが開かれることはなかった。

 このCDの発売一週間後、彼女は自ら死を遂げてしまったのだ。

 無用となってしまった当たりくじだが、

 ある噂が立ち、

 非常に高額のプレミアが付いた。


 当たりくじを持つファンのもとに、天川セイラがやって来て、歌を歌ってくれる、と言うのだ。


 今で言う都市伝説というものだ。

 この噂のせいで、幽霊でもいいから彼女に会いたいという熱狂的ファンたちが、なんとしてでもその当たりくじ付きCDを手に入れたいと願ったのだ。

 あっと言う間に店頭から商品が消え、在庫が尽きた。

 当たりくじを持つファンの下に彼女が訪れたのかどうか、そういう噂は聞かない。


「そうですね。それはそういう貴重なCDの一枚というわけです」

 岸田がカメラの前でビニールを剥いでケースを開き、インナースリーブを引き出して開くと、黒地に銀のホログラムで『星の夜の特別コンサート』と書かれた当たりの招待チケットが出てきた。

 背後の空気がまたざわざわ蠢いた気がした。


「問題はですねえ」

 紅倉が言う。

「秋葉さんがそれを知っていて、それを売場から隠してしまったことなんです」

「隠した?」

 友人のためにも岸田は憤慨した。

「CDはたった今封を切ったところです。秋葉君が、これを当たりのCDだと知っていたはずないでしょう?」

「いいえ。知っていましたよ。わたしはよく知りませんけれど、例えば、お菓子のおまけのオモチャなんて、外箱を見ただけで中身が分かる法則があったりするんでしょ?」

 そういう話は聞く。では……秋葉君は…………

「知っていたのです。当たりだと知っている懸賞商品を売場から隠したら、それは、店員としてはどうです?」

「それは……」

 岸田は苦しく答えた。

「店員としては許されない行為です………」

 紅倉は頷き、言う。

「そうですね。秋葉さんはそれが当たりだと知って、自分が買ってしまいたかったのだけれど、売場にあなたがいて恥ずかしくて買えなかったのです。誰かが買ってしまうのでないかと気が気でなかった秋葉さんは、思いあまって、CDを棚の裏に隠したのです。しかしギリギリの位置で、誤って下に落としてしまったのです。秋葉さんはしまったと思いましたが、その場ではどうにもならず、仕方なくその日は帰りました。そして、その帰途、秋葉さんは事故に遭って亡くなってしまいました。彼は亡くなるとき、自分のアンフェアな行為を非常に悔いました。いずれあのCDが見つかって自分がどう思われるだろうと、ずうっと、気になってしょうがなかったのです」

 それが秋葉君の仕業だったなんて、自分も、誰も、気づきもしなかっただろう。紅倉が指摘する。

「そんな物が残っていてあなたも驚いたでしょう? ずうっと、秋葉さんの思いが隠し続けていたのです」

 そうなのだろう。このCDもケースに大きくひびが入っている。きっと売場の模様替えの時にでも棚の下から見つかって、返品に回され、何かの手違いでこの段ボールにまとめられ、以来こうして、特に自分の目に触れず、隠れ続けてきたのだろう。

「そうか、それで…」

 この店が閉じることになって、いずれどうしてもこれは発見される。それで観念して出てきたわけか。


「それではここに集まってきた他の幽霊たちは?」

「天川セイラさんの後追い自殺をした若者たちですね。


 自殺した者は決して救われない、


 と、わたしは思いませんが、ま、たいていの自殺者は死ぬときにこの世に強い思いと、死ぬ瞬間に激しい後悔を持っているもので、それが自分を成仏させないのです。

 彼らは天川セイラさんを追ってこの世をさまよい続け、いつの間にか同じ思いを共にする霊の集団となっていったのです。

 彼らはちまたで噂になった『星雪花』の当たりCDを求めてその持ち主を渡り歩いた。しかし、誰一人、天川セイラさんが訪れた者はいなかった。

 CDの持ち主たちは年月と共にやがて彼女への熱意を冷ましていき、幽霊集団は天川セイラさんを求めながら失望を重ねてきた。

 そして最後に残った誰の物でもないピュアなCDが、ここにあったのです」

「幽霊たちはどうやってそれを知ったのです?」

「同じ天川セイラさんの大ファンである秋葉さんの思いをキャッチしたのです。ずうっと隠し続けてきた秘密が、今、白日の下にさらされるというその思いを」

「秋葉君は、やっぱり天川セイラさんのファンだったんですか?」

 紅倉はチャーミングに微笑んで言った。

「信じられません?」

 岸田はむずがゆく「まあ……」と答え、紅倉はおかしそうに笑った。

「そうそう、あなたにそういう顔をされるのが秋葉さんはひどく恥ずかしかったのです。彼は、熱心なロックファンだったのでしょう?」

「ええ……」

「でもね、天川セイラさんが大好きだったんですよ」

「そうですか………」

 岸田は天川セイラの横顔が美しく微笑むジャケットを眺めて思った。


 なんだ、言ってくれれば良かったのに。


 ………多分大笑いしただろうけれど……。それはバカにしてじゃない、嬉しくてだ。自分はロックが大好きだけれど、他の音楽だって、映画だって、大好きだ。君の意外な一面に、俺たちの会話はもっと広がって、もっともっと楽しく過ごせたかも知れないじゃないか?

 ロック馬鹿で、恋人のいなかった秋葉青年の、天川セイラは心の恋人だったのだろう。

 アイドルってそういうものだろう?

 なんだよ、恥ずかしがるなよ……。



「さて、と」

 紅倉がパチンと手を叩いた。

「大澤さん」

 呼ばれて大澤勇子は「!ハイッ」と裏返った返事をした。彼女が主役のはずが、すっかり岸田が聞かれ役を奪ってしまった。

「あなたに彼らを成仏させるお手伝いをしてもらいましょうか。

 彼らに聴かせてあげて、会わせてあげてくださいな、天川セイラさんに」

「えっ、どうやって……」

 すっかり怖じ気づいてうろたえる勇子を後目に、芙蓉美貴がスタッフの運んできたステレオコンポに携帯プレーヤーをセットした。紅倉が言う。

「ほんと便利な世の中ですねえ。カラオケが簡単にインターネットからダウンロードできるんですから。

 天川セイラさんの『恋するフェアリー』が入っていますから、はい、勇子さん、歌ってください」

「わたしが?」

「あなた、この歌カラオケで得意でしょ?」

「ええ……、は、ハイ! でも、幽霊たちに聴かせるなんて………」

 勇子は彼らがいそうな向こうの壁を見てゾッと震えた。芙蓉がマイクを渡し、紅倉が励まして言う。

「しっかりなさい! 大丈夫、あなたには、『憑いて』ますから」

「え…………」

 勇子は目をまん丸くし、

「そうです。『彼女』、です」

 感激に「ハイッ!」と元気に返事した。


 スピーカーから80Sのキラキラしたイントロが流れ出し、じっと耳を傾ける勇子が、ニコッと笑い、歌い出した。

 素直な年頃の女の子の声で、

 純粋無垢な少女が、初めての恋心に戸惑いながらも、浮き浮きした気分が止まらない、

 ハッピーな初恋ソング。

 天川セイラの初のスマッシュヒットとなったシングル曲で、勇子も大好きな曲だ。

 歌う彼女の前で、光がいくつも舞った。

 声が聞こえるように岸田は思った。歓声だ。若者たちの。

 まるで本当にコンサート会場にいるように思えた。

 光たちが、歓喜に、舞う。


 歌い終わり、勇子が

「ありがとうございました」

 と笑顔でお辞儀すると、瞬間、ワッと光が弾け、

 そして、静かになった。


 ブウウーーン……、と、やはり蛍光灯は薄暗かった。

 コンサートは、終わったのだ。




「ありがとうございます! あの、わたしに憑いていた人って、あの、本当に?」

 上気した感激の面持ちで尋ねる勇子に紅倉はニッコリ言った。

「それをわたしが申し上げるわけにはいきません。ただ、歌のとても好きだった人、とだけ申しましょう」

「ハイッ!」

 大澤勇子は嬉しさいっぱいに、すっかり自信に輝いた顔で言った。

 彼女がテレビスタッフに挨拶に行っているのを確認して芙蓉がちょっとなじるように先生に言った。

「本当ですかあ〜?天川セイラさんの霊が憑いていたなんて」

 紅倉はとぼけて答えた。

「誰が天川セイラさんなんて言ったかしら? 岳戸さんに背負わされた危ない霊たちならこの間会ったときに追い払っておきました。彼女に憑いていたのは……、天川セイラのファンの女の子たちよ。彼女たちは、自分が、天川セイラになりたかったんですからね」

 ま、と芙蓉は口を丸く開けた。

「センセ、やり方が岳戸さんに似てきたんじゃありません?」

「あらたいへん。気をつけなくちゃ」

 芙蓉と紅倉は、顔を見合わせて仲良く笑った。

「天川さんが幽霊になって現れるなんてありえないわ。とっくに、あの世で本物の天使になっているんだから」

「そうですね」

 芙蓉は先生の視ているものを見て微笑んだ。

「片づきましたね」

「ええ、きれいさっぱりね」

 皆の礼を受けながら、紅倉美姫は芙蓉美貴に手を引かれて退場した。




 九月二十三日、午後八時。

 閉店を惜しむ長年のお客さんたちに感謝しつつ、菱丸電気万代店はシャッターを下ろし、その三十三年の歴史に幕を閉じた。

 いつまでもスタッフルームでグズグズしている若手従業員たちを追い払い、各フロアを点検し、岸田が最後に下に降りた。

「おつかれさまでした」

「おつかれさまでした」

 店長と挨拶を交わし、灯りが、消された。

 最後の従業員出入り口の鍵を店長に任せ、岸田は一人夜の街へ歩き出した。

 ずうっと通りを歩き、遠くから一度、振り返った。

 さらば、我が青春の、

 夢の、電気店よ。

 道に向き直り歩き出すと、どうしても涙が止まらなかった。

「長い間、本当に、ありがとう。」

 家に帰ったら、熱いロックを思いっきり聴いてやろうと思った。


      Farewell! 2008、9、23



  二〇〇八年九月作品

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霊能力者紅倉美姫25 さらば我が青春の 岳石祭人 @take-stone

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