第四章 CD


 エレベーターでまず等々力含むスタッフ三人と、岸田と勇子が上がった。

 ここも半分しか電灯がついておらず、ひどく薄暗い。ガランとした空間に、陰がもやっている。

 倉庫のドアは元から付いておらず、以前はのれんが下がっていた。その奥の灯りは、中の壁にスイッチがあり、今灯りはついていなかった。昼間作業で出入りして、灯りはつけっぱなしにしていて、岸田にスイッチを切った記憶はない。この撮影隊が上がっていったようだから彼らが切っていったのだろう。

「あそこが例の倉庫ですか?」

 等々力は嬉しそうに言い、しかしそちらには向かわず、持ってきたパイプ椅子を据えると勇子を座らせ、インタビューを再開した。時刻は八時三〇分。

 勇子は別に霊体験をしたわけではない。先日ここを訪ねてきて岸田と話したときも、実は情報の後付で「何かが見えるような気がした」だけらしい。岸田はちょっと呆れる思いがしたが、それだけ感受性の豊かな子なのだろう。

 カメラマンの後ろでインタビューの様子を眺めながら、岸田は真っ暗な倉庫を気にした。何度かチラチラ見て、目の疲れのせいかと思ったが、白いモヤモヤした物が漂い出て、それが、手のような形になって、手招いた。

 岸田はビックリして等々力を振り向いた。等々力は口をニンマリさせて、カメラはしっかり勇子の背後に倉庫の入り口を収めている。

 白い手がスーッと中に引っ込んでしまうと、等々力はようやく言った。

「行きますか?」

 岸田は恐怖を感じているはずが、すんなり、率先して倉庫に入った。

 壁のスイッチを押し、プカプカと暗く蛍光灯が灯った。

 『あっ』と岸田は驚いた。


 秋葉洋介が立っていた。

 岸田のようく見知っている、昔の店員の制服を着て。


 若いままの彼は部屋の隅に立っていて、岸田に懐かしそうに笑いかけると、眉をくもらせ、背後の床を振り返るようにして、消えた。


「秋葉君……」

 岸田はハッと我に返り、秋葉の立っていた場所に行った。彼が見ていた物は……。

 段ボール箱が四つ、残っていた。ここの棚もすっかりガラガラになり、三十くらいあった段ボール箱もこれで終いだ。


 一番隅の一つが、ひどくぼろぼろで、ふたがめくれ上がっていた。


 岸田は他をどけてそれを引っぱり出し、ふたを開けた。中を一目見て、

「なんだこれは?」

 と呟いた。

 CDが平積みされて詰まっているが、表の六枚がいずれもケースにひびが入っていた。上に重ねた段ボールの重みで割れてしまったのかと思ったが。

「そうか、返品不可品か……」

 通常ケースが割れるなど事故品は店側の過失であってもメーカーで新品に交換してもらえるし、再販制度というもののあるCDなどの場合そもそも我々小売店はメーカーから商品を預かって販売しているようなもので、売れない物は時間が経てばやがてメーカーに返品される。ただ、特殊な限定版であったり、流通の中でいろいろな事情があったりして、最初から店が買い取りで販売する物もある。そうした場合でも事故品が発生すれば新品と交換してもらえるが、時間が過ぎて生産が終了しメーカーに在庫もない場合、交換はしてもらえない。

 この段ボールに詰め込まれたCDたちはそうした訳ありの事故品たちなのだ。

 岸田は掴み出して見ていく。床に置いて次々掴み出す。洋楽ロック、ポップス、今で言うジャパニーズポップス、演歌、クラシック、ジャズ、映画のサントラ、アイドル歌謡に、アニメ。さまざまなジャンルがあるが、みな、古い。八〇年代半ばからせいぜい九〇年の初めだ。岸田でさえこんな物がここに存在していたなどまるで知らなかった。

 次々掴み上げて調べながら、岸田は何故か、

「違う、違う、違う、これも、これも、これも、違う!」

 と呟いていた。

 自分はいったい何を捜しているのか?


 段ボールの底が見えて、残り少ないCDたちをかき回すようにして捜した。いかに破損品であってもレコードを愛する岸田がふだんなら絶対にやらない乱暴さだ。

 一番隅の底に、それはあった。

 ジャケットを見た瞬間、それだと確信した。



「天川セイラ『星雪花』(あまかわせいら・ほしゆきはな)……」



 CDを持って岸田は立ち上がった。

 天川セイラは八〇年代末に人気絶頂だったアイドル歌手だった。

 今は、故人となっている。

 彼女の死は、岸田は強烈に覚えている。

 テレビのニュース速報で彼女の死を知ったのと、秋葉洋介君が事故で死んだ電話を受けたのと、ほぼ同時だった。

 彼女、天川セイラは、自ら命を絶った。自殺だった。

 その突然の死は社会に衝撃を与えた。

 まだ十八歳だった。

 その死の原因をマスコミはあれこれやかましく推測した。その言われたところは……あまりに低俗で腹立たしく、思い出したくもない。

 人の悲しみをほっといてやれよ!、と岸田は珍しくテレビに向かって激昂げっこうした。

 毎日顔を合わせていたもっとも仲の良かった友人の死が重なり、岸田は悲しく、やり切れなかった。

 ……その時の悲しみが生々しく甦ってくる。


 その後、大勢の若者たちが死んだ。


 彼女の熱狂的なファンたちが、自分たちの思いを伝えるように、彼女と同じ場所で、同じ時間に、同じ方法で、後を追って自ら死んでいった。

 男性のファンばかりではなかった。同年代の、それよりまだ若い年の、少女たちが、一人で、友人同士手をつないで、やはり自らを殺していった。大好きな憧れの少女を殺した汚い汚れた世界に見切りをつけ、自らの純潔を守るように……。

 マスコミ上げて後追い自殺防止のキャンペーンを繰り広げたが、その後も死の連鎖はしばらく続いた……。


 そうか、その若者たちだったのか、と岸田は思った。

 この店に集まってきた見えない影たちのことだ。

 しかし、ふと不思議に思って手にしたCDを見た。

 なんで秋葉君が天川セイラの死と関係する?

 死の時刻が近かったからか?

 彼は彼女のファンだったのか? あの万年ロック少年の秋葉君が?

 そんな話、自分は一度も聞いた覚えがないが…………


「『星雪花』…………」

 何か、覚えているような気がする。あまり思い出したくない、自分が悲しみに落ち込んでいた時期に……。

 このCDは四曲入りの、いわゆるミニアルバムだった。

 今はシングルCDもフルアルバムCDと同じ大きさのケースで売られているが、CD誕生の初期からしばらく、八センチCDを縦長の紙ジャケットで販売していた。これは当時には珍しいフルアルバムの十二センチCDのプラスチックケースだ。

 そうだ、この「星雪花」は当時非常に売れた。中古盤にもバカ高いプレミアが付いていたと思う。

 何故そんなに売れたのか?

 その、何故、が、岸田は思い出したくないのだ。

 しかし何故だったか。ジャケットを見ると…………


「! そうだ、これだ!……」


 謎が解けたように思ったとき、強烈に第六感を刺激されて岸田は前方を向いた。

 異質な、暗い、空気の固まりが、わあっと、視界いっぱいに迫ってきた。

 一人ではない、複数、五人、六人、七人……十、それ以上……

「っっっっ!!!………」

 岸田は鳥肌を立てて後ずさり、迫ってきた固まりたちは、岸田にぶつかってこようという寸前、互いに争って手を伸ばし、悪鬼の形相を現しわめいた。


『俺のだ! 寄こせえっ!!!』


 岸田は強烈に身の危険を感じ、両腕で頭をかばって身を縮めた。

 しかし、

 突然、まさに一瞬にして、暗い空気は雲散霧消うんさんむしょうし、

 代わりに、

 強い薔薇の香りが鼻を突いた。


「みんな、それが欲しかったのですねえ」


 部屋の空気をすっかり明るくして、真っ白な女、紅倉美姫が、ビシッと黒を着こなした芙蓉美貴に伴われてそこに立っていた。

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