第三章 アイドル
五階倉庫には一人で立ち入らないようにし、いちいち商品を選ぶことはやめ、とにかく入り口に近いところから順次運び出すようにした。
四階以下でも霊たちの仕業と思われる現象は続き、激しくなってきた。岸田のように直接襲われるようなことはなかったが、もしお客さんに怪我人でも出たらたいへんだ。
岸田は、恐怖もあったが、それよりも自分たちの大切な店が傍若無人に荒らされることに激しい怒りを感じた。
何故静かに、幸福な思い出のままに終わらせてくれないんだ!?
思いがけないお客があった。
「先日はお世話になりましたあ!」
茶髪の頭にスカーフを巻いて、大きなサングラスを掛けた、彼女は八月の初旬にここでイベントを開いた地元出身の新人アイドル、大澤勇子だった。
「妹からメールもらってビックリしちゃいました」
「うん、残念だけれどね、そういうことになっちゃった。大澤さんのトークライブが最後の華やかなイベントになっちゃったよ」
「あんまり華やかでもなかったですけどね」
舌を出す勇子に岸田も苦笑した。こうして店内で話していても注目を集めるわけでなし、気付いた人も興味なさそうに自分の買い物に集中する。
五階のイベントフロアで行ったトークライブも、日曜の午後二回、希望者に整理券を配って各回三十五名の予定が、二回とも十人そこそこしか集まらなかった。歌は上手いと思うけれど、今ひとつキャラクター的に地味で、歌の上手さを生かしてポップス調の演歌というか演歌調のポップスというか、今どき昭和レトロな曲で昨年末にデビューしたが、売れ行きはさっぱりだった。二十一歳。頑張って続けていけばそのうちいい味が出てくるかも知れない。せっかく地元の出身なんだから、それまで応援を続けていきたかったが。
岸田は、あっしまった、と顔に出ないように後悔した。イベントに合わせて入荷した彼女のシングルCDが、三百円の値段に関わらずいまだに十枚全部売れ残っていた。……隠しておけばよかった………。
しかし彼女は屈託なく
「ここでイベントさせてもらって嬉しかったですう。前も言いましたけど、わたし子どもの頃お父さんに連れられて何度か来たんですよ」
と嬉しそうに笑った。
いい子だな。
そうだ、この店にはそういうたくさんの思い出が詰まっているのだ。
笑顔の勇子がふと落ち着かなくキョロキョロした。遠慮がちに言う。
「あの〜……、こんなこと言って気を悪くされるといけないんですけどお……、ちょっとお店、変じゃありません?」
「うん……、そうかなあ?……」
岸田は曖昧に言った。勇子はすまなそうに言った。
「妹からも聞いてるんです、このお店にお化けがゾロゾロ出るって噂があるんだって。わたしもその……ちょっと………」
岸田は仕方なくため息をついた。
「君も見える人なのか。正直言うとね、まいっちゃってるんだ」
「ごめんなさい!」
と言って勇子は勢いよく頭を下げた。
「わたしのせいかも知れません……」
さっきまでの元気な笑顔はどこへやら、顔を上げるとべそをかきそうに目に涙を溜めていた。岸田は驚いた。
「ど、どうしたの?」
「わたしが、連れて来ちゃったのかも知れないんです……」
今にもわあ〜んと泣き出しそうな様子に岸田は慌てた。
「と、とにかく、こっちへ」
さすがにお客さんの注目を集めて岸田は勇子をスタッフルームに案内した。
「どういうことなの、その、大澤さんが連れて来ちゃったって?」
お茶を入れてやって落ち着かせ、岸田は訊いた。勇子は話した。
「わたしあのイベントの前の週に心霊番組のゲストに出たんです。知ってます?『本当にあった心霊事件ファイル』って番組? あれに出た女の子のアイドルは潰されるって言う伝説があって女の子には敬遠されてるんですけどお、わたし、番組を選べる立場じゃないですから……。
わたしはゲスト席に座ってただ怖がっていればいい役だったんですけど、そこに出演されていた霊能師の先生がわたしを名指しで、
『あなた、憑いてるわね』
って言って、御祓いしてくれたんですけど……、その先生、実はあんまり評判よくなくって……。霊を祓うどころか悪霊を背負わされるって……。
どうもそれ以来わたし肩が重くって。やっぱり……、
悪い霊を背負わされちゃってたんですうう〜う!!!」
岸田はそれはどうなんだろう?と怪しみながらも顔には出さず、
「そりゃあひどい話だね。なんて人なんだい?」
と訊いた。勇子は暗〜い顔で言った。
「岳戸、由宇先生…………」
帰宅してから岸田はインターネットで調べてみた。勇子の出たその番組は見てなかったし、仕事柄DVDのホラーやオカルト物に一応ざっとした知識だけはあったが、テレビの方は守備範囲外だ。
なるほど岳戸由宇という女はとかく評判の良くない人物のようだ。勇子の言うように霊能師どころか魔女のような女らしい。番組内では悪役の嫌われ役らしく、それなりにキャリアのある大御所らしいが、今は若手のライバルにすっかり人気をさらわれてしまっているらしい……。
若手のライバル、
紅倉美姫。
アシスタントの芙蓉美貴共にすごい美人で、霊能力も抜群で、多くの相談者の信頼を得ているようだ。
大澤勇子は店の現象を自分のことのように思い詰めて、番組のディレクターに相談してみると言っていた。できたら岳戸先生ではなく紅倉先生に相談に乗ってもらえないかと……。
岸田もよく分からないが、どうせなら評判の良い紅倉美姫が勇子の力になってくれたらいいと思う。別にこの現象を勇子のせいとはまるっきり思っていないが……。
では本当に、原因はいったいなんなのだろう?
土日のお祭り騒ぎを経て、いよいよ閉店まで残り一週間となった。来週の火曜日祝日が、菱丸電気万代店の最後の一日となる。
何か事故が起こりはしないかと心配したが土日の混雑時にはおかしな現象は起きなかった。お化けたちもお客さんの熱気に当てられたらしい。
代わりに昨日月曜日はひどかった。
すっかり商品も少なくなって、前日を潮にさすがにお客さんの姿もめっきり減った。するとお化けたちはまるで自分たちの存在を誇示するようにあちこちで騒音を立て、物を落とした。
とうとう店員の中にはっきり姿を見たという者も現れた。渋谷章子もそうだし、他に二人の女性店員が見たと言った。
若い男だと言うし、
女子中学生たちだと言う。
女子中学生と言ったのは渋谷章子だ。若い女の子とは岸田は意外な思いがした。自分が襲われたときの暴力的な様子は明らかに、男たち、だった。
若い男に女子中学生。
どういうことなのかますます分からない。
しかし、今夜、もしかしたらこの事態が解決するかも知れない。
紅倉美姫が来てくれると言うのだ。
大澤勇子が番組のディレクターに相談したところ、紅倉美姫に会わせてもらうことになったと言う。とても魅力的な人だったと電話で勇子は嬉しそうに興奮しながら喋った。
紅倉美姫は閉店後九時にここに来ることになっている。
紅倉美姫に来てもらう代わりに、七時からその「本当にあった心霊事件ファイル」の取材を受けなければならない。放送はひと月後以降で事前に内容をチェックさせてもらうということで、人気者の紅倉美姫の出馬と交換条件だ。
岸田はもっとふつうに静かにこの店とお別れしたいのだが……。
「どうも。番組の制作を請け負う『アートリング』の等々力と言います」
岸田と同年輩の堅太りのひげ親父が名刺を差し出した。
「ポルターガイスト現象に視覚化した霊魂ですかあ! 大勢見てるんでしょ? すごいなあ!」
と実に嬉しそうに言う。ふざけた男だ。
「残念だなあ、もっと時間があればたっぷりカメラに収めたいのになあ。紅倉先生が来ちゃったんじゃあダメだなあー」
と実に残念そうだ。岸田は訊く。
「紅倉先生って、そんなにすごいんですか?」
「すごいですよお。今まで解決できなかった事件なんて一つもないですからね。ま、オカルト界の金田一耕助ってところですな」
金田一耕助は事件が解決するまでに何人も人が死ぬんじゃなかったか……。
等々力は「岳戸先生だったらねえ」と残念そうに言いつつ、「じゃ、お願いします」と頭を下げると元気にスタッフへの指示に走っていった。八時の閉店まで、表向き老舗大型電気店の閉店前の様子を取材するということになっている。
八時。本日の営業が終了となった。
大澤勇子がやってきた。申し訳なさそうにしながら、やはり自分が主役となる取材に嬉しさがにじみ出ている。
閉店となった店内、半分電灯を落とした薄暗いフロア、数少なくなったDVDの棚をバックに、大澤勇子はパイプ椅子に座ってインタビューを受けている。このフロアも半分はすでにロープを張られ、解体した棚や空のプラスチックケースが積まれている。長く商品棚や宣伝ボードで隠れていた白い壁が寒々と露出している。
大澤勇子は先月ここで行ったトークライブの様子を語っていたが、例のひげディレクターが口を挟んだ。
「それって、ここの五階なんですよねえ?」
意地汚く物欲しそうな媚びた笑顔を浮かべる。
「現場で……、やらない?」
いや、それは、と思わず岸田は制したが、ふと、何故駄目なんだ?と疑問に思った。
別にいいじゃないか。
彼らは専門家なんだし。
自分も、
出来ることなら早くその正体を見てやりたい。
岸田は、勇子がいいならかまわない、と承諾した。
インタビュー取材は、五階のイベントフロアに場所を移して続けられることになった。
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