第二章 影たちの攻撃


 数日、何事もなく過ぎた。平日でもぼちぼちお客さんはあった。

 岸田は館内の様子を見つつ、相変わらず五階倉庫の在庫整理に忙しくしていた。

 見えない影は相変わらずそこにいた。

 岸田はのんびりときおり秋葉洋介君に懐かしく話しかけたりしていたのだが……。


 エレベーターが上がってきた。四階までは中央に回り階段があるのだが、五階にはエレベーターで上がってこなければならない。もちろんふだんは使わない非常階段があるのだが。

 上がってきたのは入社二年目の渋谷章子だった。若い彼女には却って気の毒に思う。去年の採用はなかった。

「ああ、渋谷君。これ、三階に頼むよ」

 岸田はカートに乗せたDVDの山をエレベーターに押していった。

 渋谷は何故かエレベーターの奥にへばりつくようにして、出てこようとしなかった。

 岸田が変に思っていると、渋谷はしきりに岸田を手招いた。なんだ自分に持ってこいと言うのかと幾分不機嫌にカートを押していくと、渋谷は岸田の腕を掴み、エレベーターに引っ張り込み、岸田が「おいおい」とカートを引き入れるをイライラと待ち、「閉まる」のボタンを押した。ドアが閉まる。

 エレベーターが下りだし、

「どうしたの? 何かトラブルでも?」

 と岸田は訊いた。

 渋谷は青い顔で、

「主任、あそこ……、何か居ました……」

 と言った。岸田は「ああ、うん……」と言葉を濁した。

「まあ……、いいんだよ。きっと、彼もお別れを言いに来たんだよ」

「彼?」

 渋谷は気味悪そうに訊いた。

「主任、分かるんですか?」

「ああ……。古い友だちでね。君の、先輩だよ?」

 岸田は安心させるようにおどけて言った。しかし渋谷は、

「でもあそこに居たの、一人じゃありませんよ」

 と言った。

「え?」

「何人も……、たぶん、五、六人は、居ましたよ……」

「五、六人……。……君、見えるの?」

「いいえ、感じるだけで。でも、わたし、こういう嫌な感じは分かるんです。あれ、そんないいものじゃありませんよ。きっと……」

「きっと?」

「きっと……」

 エレベーターが三階に着いてドアが開いた。渋谷はさっさと一人で下りて、振り返って言った。

「悪霊です」

 ドアが閉まりだし、岸田は慌ててボタンを押し直した。

 三階はDVD売場だ。それまで三階=映画・ドラマ・アイドル、四階=アニメ・特撮に分かれて売っていた物をここにまとめている。同じくCDはすべて一階に移動し、二階と四階は解体した棚と商品保護のプラスチックケースが山積みされているだけだ。

 岸田はお客に「いらっしゃいませ」と挨拶しながら渋谷に手伝わせて運んできたDVDを陳列した。

 DVDを並べながら渋谷はまっすぐ前を見たまま小声で言った。

「ここにも居るんですよ。一階にも、他の空になった階にも。わたしも主任みたいにここに思い出のある人たちが集まってきてるんだろうと思ってたんですけど、さっき上に行ってはっきりしました。あの人たち、もっとはっきりした目的があって集まってきているんです。それも、きっと、良くない目的です。あそこが一番ひどいです。すごく苛々した感じがして。主任は、ずっとあそこに居て感じないんですか?」

 最後は非難するようにチラッとだけ岸田の顔を見た。

「いや……。そうなのか?……」

 そうだろうか?

 自分にはそんな風に感じられなかった。どうやら彼女には霊感というものがあるらしいが、敏感すぎる彼女の思い過ごしじゃないか?

 突然、


 ガシャン、


 と、上から音が降ってきた。

 なんだろうと岸田も、お客さんの二、三人も、上を見た。回り階段の中央が吹き抜けになっている。そこから音が降ってきた。四階だろう。積み上げた保護ケースが、載せ方が悪く崩れたのだろう。階段はここから先はロープが張ってあってお客さんは上がらないはずだ。間違ってエレベーターで上がってしまうお客さんもいるが……。

 キャッと女性の声が上がって、またガシャンと、棚の向こうから音が響いて、「ピピピピピピピピ」と警報音が鳴り響いた。落下した衝撃で保護ケースの万引き防止用のタグがずれたのだろう。

 岸田は向かい、女性客に

「大丈夫ですか? すぐに止めますので」

 と、キーでタグを外し、警報を止めた。

「どうもお騒がせしました」

 岸田は如才なくその女性客に笑顔で挨拶したが、女性客は青い顔で、

「わたしじゃないんです」

 と言った。岸田は笑顔を崩さず、

「棚に空きができていますからね、不安定になってます。申し訳ありません」

 と謝ったが、女性客は、

「誰かがわたしの肩を押したんです。いえ……、そんな気がして……、でも誰もいなくて……、そしたら、そのDVDが、スー……ッと………」

 とますます顔を青くし、はっと、何を馬鹿げたことを言っているのだろうと思い直したらしく、岸田に軽く頭を下げるとスッと立ち去ろうとした。


 ガシャン。


 また、音がした。今度は下から。

「ガシャン」

 岸田の見ている先の棚からDVDが滑り出し、床に落ちた。ピピピピピピピ、と警報音が鳴り響いた。

 ガシャン。ピピピピピピピピピ。

 続けざまに音が鳴り響き、女性客は足早に階段を下りていった。

 岸田は慌ててDVDを拾い上げ、警報を止めながらつぶやいた。

「いったい、これは、どういうことだ?」

 ガシャン、ガシャガシャ。

 上から、今度は明らかに誰かがプラスチックケースを乱暴に崩している音が響いてきた。

 岸田は階段を駆け上がり、明かりのない薄暗いフロアを眺めた。

「おい、誰だ? 誰かいるのか?」

 岸田を嘲笑うかのように、しんとした静寂があるだけだった。下の騒ぎも収まったようだ。

「なんなんだ、いったい……」

 岸田は薄暗がりの中、途方に暮れて立ち尽くした。



 そうした現象はそれからも時たま起こった。音が鳴ったり、物が落ちたり、従業員やお客さんが何者かに体をぶつけられたり。

 せっかく来てくれたお客さんが突然青い顔になって逃げ出すように帰っていったり。

 そういう人たちは、見えて、しまう人たちなのだろう。


 従業員もみんな気味悪がって、渋谷章子の言っていた「一番ひどい」五階には上がって来たがらなかった。

 岸田は平気だったし、同じく平気な男性店員が品出しを手伝ってくれた。

 岸田は未だ半信半疑だった。これだけおかしな現象が頻発しているのだから何かあるのだろう。ただ、それが渋谷らの恐れるような「悪いもの」であるようには思えなかった。岸田が永年勤めて愛着のあるこの店に、終わろうというこの時期に、そんな悪いものが集まってきて悪さをしているなど思いたくなかった。

 ここはそんな場所じゃあない。

 集まってきた者たちも、きっと、昔と同じようにCDやLPレコードを見ているだけなのだろう。ただそれが、幽霊だから、上手く出来ないだけなのだ。

 倉庫の棚もずいぶん減った。もう半分が分解してとなりのイベントスペースに積み重ねられている。倉庫には棚ばかりでなく段ボールに詰められた商品もたくさんある。中にはほとんど日の目を見ずにずっと保管され続けてきた物も。

「さーて、お次の目玉商品は誰かなー?」

 岸田が段ボールのふたを開いて中のCDの確認を始めたときである、

 突然、後ろから思い切り突き飛ばされた。

「わっ」

 かがんだ姿勢に不意打ちだったので手でかばうのも間に合わず岸田は前の壁に肩をしたたかに打ち付けた。

「うわっ」

 さらに、力が、背中から岸田を壁にぎゅうぎゅう押し付けた。

「く、くそ、何をする!?」

 岸田は自分と同じ昔を懐かしむ仲間と思っていた者たちの裏切り行為に怒りが燃え上がった。しかし、

「ひっ、」

 岸田は壁から引き剥がされ、と思うと

「!っ、」

 壁に思い切り叩きつけられた。今度は幸い腕でかばっていたので顔面を打ち付けるようなことはなかった。

 影たちの攻撃は続く。横殴りに引き倒され、段ボール箱の上に転がった。何かのし掛かってきて、肩を思い切り揺さぶられた。岸田は「ひっ」と声を上げて身をかばった。ガタガタガタガタ!、と棚が揺れた。ガシャンガシャンとCDやDVDが落ちてくる。岸田は怒った。

「やめろっ! 商品に手を出すなっ!!」

 棚の揺れが収まると、

 岸田は思いきり蹴られた。襟首を持ち上げられ、殴られた。

「や、やめろおっ」

 岸田は見えない者たちの暴力に倉庫の中を転げ回った。

 ガン!と頭を棚に打ち、クラクラ目眩がした。ふらふら隅っこに逃げ込むと、再び両肩を押さえられてガクガクと激しく揺さぶられた。ガクガクと、脳しんとうを起こしそうになって、岸田は吹き付ける「音」を感じた。


 ………………………


「……え? なに? なんだって?……」


 ………………………!

 ……………は……だ!?

 ……………は、どこだ!?


「なに? なにがどこだって?」


 どこだ!?

 どこだ!?

 どこだあっ!?


 ガクンガクンと揺すぶられ続け、岸田は意識朦朧もうろうとなっていった。



 ………………は、どこだああああっっっ!!!???






「岸田さん、岸田さん!!」

 男性店員に肩をポンポンと叩かれて岸田は意識を取り戻した。

「ああ……、伊藤君……」

「岸田さん。さっきの、あれは、なんですか!?」

「君も、見たのかい?」

 店員伊藤はエレベーターで上がってきて、倉庫の激しい音に驚いて駆け込み、何者かに襲われている岸田を見て、訳の分からないまま「あっちへ行けえ!」と両手をふるって襲撃者を追い払ったのだった。

「ケガはないですか?」

「ああ……、うん……」

 あちこち打ったが、出血はないようだ。

「ここを出ましょう、は、早く!」

 伊藤にせき立てられ、二人してエレベーターに乗り込んだ。

 振り返ってみると、暗い蛍光灯が、ブウーーン……ジジッ……、とまたたいた。

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