霊能力者紅倉美姫25 さらば我が青春の

岳石祭人

第一章 最後の日々


「ヒシマル〜ヒシマル〜、電気のことならヒシマルデンキ〜」

 今は使われていない古い店のテーマソングを口ずさみながら音楽映像ソフト販売主任の岸田伍朗は五階倉庫の在庫の整理運び出しの作業をしていた。


 来月、九月二十三日祝日をもって、この地に三十三年の歴史を持つ菱丸電気万代店はその歴史に幕を閉じる。


 そのひと月前から全館バーゲンセールの閉店大セールが始まり、店にはとても多くのお客さんが来てくれている。

 CD、DVD展示全品半額、さらに赤いシールの貼ってある商品は七十%引き、黄色いシールの貼ってある商品は五百円!

 安さに釣られてだろうがこれだけ多くのお客さんが来てくれた。

 店員たちはてんてこ舞いの大忙しに泣き笑いの気持ちだろう。

「ヒシマル〜ヒシマル〜」

 岸田も在庫の整理をしながらさまざまな思いに胸をいっぱいにしている。

 県内一の商品数を誇るこの大型店は在庫もこうしてたっぷり抱えている。しかしセール開始から一週間で早くも売場の棚から半分の商品が消える勢いだ。閉店に向けて各フロアの整理、閉鎖が進められているが、せっかくこれだけお客さんが来てくれているのにまったく欲しい商品がないのでは申し訳ない。それで販売主任の岸田がこうして在庫の整理をしながら下の売場に運び出す商品を、多少出し惜しみしながら、選び出している。

 以前はこの一つのビルで商品全般を扱い、「レコード」は一つのフロアで販売していた。六年前に攻めの姿勢でとなりの土地に家電専門館を建て、このビルはソフト館として全体で音楽映像ソフトを扱うようになった。同時に岸田がソフト館全体の販売主任に就任した。


 しかしこの六年、営業は苦しかった。

 物が売れない時代である。岸田も売場一丸となって努力してきたが、時代の趨勢すうせいにはあらがえなかった。

 便利な世の中だ。大資本の大型量販店、郊外の巨大な複合型ショッピングセンター、便利で安価なインターネット通販。競争力のない小売店は次々淘汰とうたされていく。市内でも菱丸電気に並ぶ老舗のレコード店、電化製品専門店が軒並み閉店している。

 しかしそうした環境より、岸田が寂しく思うのは人々の価値観の変化だ。

 やはり携帯電話が人々のライフスタイルを大きく変えたのだ。

 音楽はスピーカーに向き合ってじっくり聴き込むものではなく、携帯電話にダウンロードして気軽に持ち歩くものになった。それぞれのライフスタイルに合わせて自分らしく装うファッションと同じくなった。

 ……まあ、その楽しさも分からないではない。メタボの気になる中年男性、岸田も三年ほど前から休日には川沿いの遊歩道をウォーキングするようにしているが、退屈しのぎに娘のお古の携帯MDプレーヤーを借りて音楽を聴いてみたら、これが自分でもびっくりするほど楽しく気持ちよかった。なるほどこんな音楽の楽しみがあったのかと、目から鱗の思いがした。

 なるほど、自分は時代遅れの旧人類なのだ。

 時代は、新しい価値観に移行してしまったのだ。

 だがやはり、岸田はがっしりとしたスピーカーでまっすぐ音楽そのものに向かい合う聴き方が好きだった。それが、自分が若者であるときからの音楽のライフスタイルだった。


 岸田は今年四十五歳になる。

 少年の日を思う。

 小学校六年生の時か、当時テレビで流行っていたアイドル歌手のシングルレコードが欲しくて、新しくできた、テレビでコマーシャル「ヒシマル〜ヒシマル〜」が流れていたこの菱丸電気に自転車でやってきた。

 ピカピカの家電製品がたくさん並べられたフロアを上がっていき、レコードフロアに来た。ズラリとLPレコードを納めた棚が並び、壁や柱に黒や派手な色彩に彩られた英語のポスターが貼られていた。それまで聞いたことのない強烈な音が流れていた。大人のお兄さんやお姉さんたちが熱心にLPレコードたちをたぐり、ジャケットに見入っていた。

 岸田のロックとの初めての出会いだった。

 岸田少年はその派手なポスターや強烈なジャケットを眺めて『恐い』と思った。

 そんな雰囲気の中、アイドルのシングルレコードを見るのも恥ずかしく感じられ、早々に店を逃げ出した。

 ロックなんて不良の音楽と見なされていた時代だ。大人しい岸田少年もそう思った。しかし、あのお店の大人な雰囲気はひどく強烈で、心に焼き付いた。

 高校生になってませた同級生たちの影響で岸田もFM放送でロックにチャレンジしてみた。思いがけず耳にすんなり入ってきた。ひどくワクワクして、なんだ、これのどこが不良の音楽だ?と思った。

 七〇年代、ロックがもっともエキサイティングでエネルギッシュな時代だった。お利口でクラシック音楽など愛聴していた岸田はアートロックと呼ばれるロックミュージック、イエスやエマーソン・レイク&パーマーといったグループに夢中になった。少年の日におどろおどろしく『恐い』と思ったジャケットのアルバムは、聴いてみればなんと美しい音楽であったことか。

 より刺激を求めて、ませたクラスメートが夢中で熱弁していたレッドツェッペリンやローリングストーンズにも挑戦してみた。頭が痛くなって、みんな同じ曲に聞こえて、ストーンズなんて乗り物酔いしたように吐き気がして、こんなものどこがいいんだ?とさっぱり分からなかった。今よりロックがずっと毒を含んでいた頃の音楽だ。それでも意地になって聴き続けていたら、ある時ふととんでもなく気持ちよく感じられた。

 音楽のグルーヴというものを知った。

 岸田青年はほとんど週に一度菱丸電気のレコード売場に入り浸るようになり、在りし日に感じた大人の雰囲気を味わいつつジャケットを眺め、店内に流れる音楽を楽しんだ。

 大学は県外の大学に入学した。マイケル・ジャクソンやマドンナのビッグヒットがあり、岸田も浮かれた青春時代を楽しんだ。その後のラップ・ミュージックにはなじめなかったが。

 就職を考えなければならない時期になって、岸田は真っ先にレコードを売る仕事を思った。ギターもちょっと囓ってみたが自分の才能はすぐに見限った。

 岸田が真っ先に考えた就職先が、郷里の、菱丸電気だった。

 幸い岸田はすんなり菱丸電気に採用してもらえた。一番最初に受けた就職試験、その面接で岸田は上がりまくりながら、それでも情熱を込めて自分の音楽への愛と少年時代からのこの菱丸電気での思い出を語った。面接官のおじさんはニコニコと岸田の話を聞いてくれていた。


 以来二十年、岸田は売場一筋で来た。家電製品売場を担当したこともあるが、頑固な希望で音楽映像ソフトを多く担当させてもらった。

 まるで夢のような日々だった。岸田はずうっと夢の世界に暮らしていた。とにかくレコード……岸田の店員時代にはCDに替わっていたが、音楽を売ることが楽しくて仕方なかった。我が家を城に例えるが、岸田にとってはこの店が城だった。職場結婚した妻や娘は毎日嬉しそうにいそいそ出勤していく岸田を呆れて見送った。とにかく音楽に囲まれているのが楽しくて仕方なかった。

 夢の世界が、ずっと続くと思っていた……。


 自分がベテラン店員になり、このソフト館を実質的に任されるようになり、夢が、だんだん辛いものになっていった。

 そして、今、とうとう閉店を迎えようとしている。

 入社当時、若い店員であった頃は、まさか自分がこの店の閉店を請け負うことになるとは夢にも思わなかったが、この三年ほどは、ある程度の予想と、覚悟はあったように思う。


 ……とうとう、その日がやってくる…………。


「ヒシマル〜ヒシマル〜…………」

 歌いながら、寂しく作業する。

 ふと、背後が翳った。

 岸田は慌てて鼻歌を引っ込め振り返った。

 ここ五階はフロアの三分の一を倉庫に、三分の二をイベントフロアに当てている。

 そのガランとしたイベントフロアには、誰もいなかった。

 なんだ気のせいかと岸田はまた作業を始めた。

 しばらくして、また気になって振り返った。

 …………………。

 小さな明かり取りの窓だけで、蛍光灯の明かりがついている。その蛍光灯がなんとなく暗く感じられ、ブウーーンというノイズが聞こえる。


 ………何か、

 いや、

 ………誰か、居るように感じられた。


 岸田は目を細め、じいっと、なんとなく気になる辺りを眺めた。

 ふと、イメージが浮かんだ。


「君……、もしかして……、秋葉君……か?…………」


 答えはない。そもそも誰もいない。しかし、


「そうか? そうなのかい?」

 岸田はそこを見つめて、ニッコリ、微笑んだ。

「そうか、秋葉君か。君も、来てくれたのかい?」

 岸田は懐かしさに胸が熱くなった。


 秋葉洋介君は岸田の一年後輩で、岸田がもっともかわいがっていた、もっとも仲の良かった同僚だ。

 残念ながら彼は入社三年目に交通事故で亡くなってしまい、付き合いは短かったが、いまだに『ああ、彼が生きていてくれれば……』と思うことがあった。

 彼も、岸田以上にロック・ポップスファンで、よく酒場で二人、ロック談義に花を咲かせた。


 岸田は幽霊なんて見たことはないし、あまりその手のものは信じる方でもなかったが、この時は、「秋葉君が来てくれたに違いない」と強く思った。


「そうなんだよ。残念ながらこの店は終わってしまうんだよ。僕も退社だ。本店の方に話もあるんだが、この年で、家も家族もあるしね、これから東京はちと辛い。大丈夫、物売りはベテランだからね、きっとどこかに就職できるよ。それより、とにかく君が来てくれて、本当に、嬉しいよ」

 岸田はニコニコそこに居るはずの秋葉洋介に笑いかけた。


 それが秋葉洋介だと、岸田は思い込んでいた…………。

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