三睡目

「あー!やっと来た!」

 近所の河原でほんのりと香る香ばしい匂い。

 軽やかな音と共に鉄板の熱によって色気付いていく食材が、空腹をこれでもかと刺激してくる。

「もう遅い!全然来ないから優斗ゆうとが待ちきれなくて先にお肉焼いちゃってるよ」

 一叶いちかが頬を膨らます。

「ごめんごめん!時間見てなくて…」

「お前肝心のタレちゃんと持ってきた?」

 クラスで1番仲の良い優斗が、僕をトングで指しながら言う。


 指で人を指すのが失礼だというのなら、果たしてトングはどうなのだろうか。


「あれが無いと何も始まらないからな」

「ちゃんと持ってきましたよ。一叶がわざわざメールくれしたし」

 見せびらかすように高々と掲げた瓶の中には、茶色の液体が満タンに入っている。

「お!これこれ!」

 子供のように無邪気にはしゃぐ優斗の姿に、一叶と二人で目を合わせ、笑みをこぼした。



 先程まで純粋無垢だったはずの食材たちは、時間が経つにつれてその色気を増していき、食欲を誘惑してくる。

 一叶から渡された割り箸を丁寧に割り、ゆっくりと挟み上げた肉からは程よい量の油が滴り落ち、湯気が香ばしい香りと共に漂ってきた。


「いただきます」


 一口噛んだ瞬間から肉汁と旨味が溢れ出す。

 外で焼肉なんていつぶりだろうか。

 二枚目にも手を伸ばし、今度は持ってきた焼肉のタレをつけてみる。透明な茶色いドレスと胡麻のアクセサリーを身にまとった肉は、どの食材よりも華やかだ。

 先ほどの旨みの上にアクセントも加わり、タレの甘辛さが丁度良い具合に主役の肉を引き立てている。


 これぞ名脇役にふさわしい。


「やっぱタレ持ってきて正解だろ?」

 優斗が大量のご飯をかきこみながら言う。

 次から次へと白い米を口の中へ吸い込んでいく姿は、まるで真冬の雪国でフル稼働している除雪機のようだ。

「うぐっ…!」

「優斗どーした!?」

 突然上がった苦しげな呻き声。

「大丈夫!?」

「は…白米が喉に…」

 先程までいさぎよかった優斗が手足をばたつかせ、しきりに胸を叩いている。

「息が…」

「ちょ、ちょっと待ってて!私お茶買ってくる!」

 苦しむ優斗を見て焦ったのか、一叶が瞬時に飛び起き、近くのコンビニの方へと走って行った。


 彼女の長くつややかな髪が、美しく輝きながらなびいている。


「ゲホッゲホッ!」

「ほんと大丈夫!?」

「うっ…まじで死ぬかと思った…」

 ようやく気道が開通したのか、優斗が大きく息を吸い込む。

「この白米め…。完全にかちこみ入れてきやがったな…」

「かちこみってまた物騒な…。もっと落ち着いて食べればよかったのに」

 苦笑しながら僕は言うが、当の本人は歯を盛大に見せながらにやけている。


 それにしても、やけに白い歯だな。


「分かってないなー、いいか新汰あらた?バーベキューっていうのは一種の戦いなんだよ」

「戦い?」

「そう。肉っていうのは部位によってかなり性格が違ってくるだろ?大雑把なやつもいれば繊細なやつもいる。希少部位なんてもう貴族様同然だから丁重に扱わないといけないんだよ」


「な…なるほど」


「それでだ。焼き肉で1番難しいのはこの肉とご飯を絶妙なタイムバランスで食べることなんだよ」

 優斗の視線が焼かれるのを待っている真っ赤な肉達の方へ向き、僕もそれにつられる。


「その肉に合ったでメイクを鉄板の上で施した後、美しいタレを着せ、熱々のままご飯と対面させる。そして2人を万全な状態で口の中へと導き、幸せな気持ちのまま喉の奥へと送り出す。これが俺たちにできる最善の流れであり最高の食べ方だ」

 先程味わっていた苦しみが嘘かのように誇らしげに語る優斗。


 今の熱意でどうやら完全に回復したようだ。


「なんだよー!心配したのに案外すぐ治ったじゃん」

「おいおい、俺の食へのこだわりなめんなよ。たった一回の窒息ぐらいじゃ、焼肉を食べる手は止められねぇよ」

 優斗がにやにやしながら再びトングで肉を焼き始める。

「一叶なんて走ってわざわざお茶買いに行ってるんだぞ?ちゃんと謝れよ?」

 僕も呑気に笑いながら言う。


 案の定、優斗の曇った表情を見過ごすくらい呑気に。


「あの、そういえばさ…」

「ん、何?」

 珍しく訪れる暗い空気。

 優斗の口調にも、いつもより重さがのしかかっている気がする。

「一叶、この前告られたらしいぞ」

 あまりにも急な流れに、一瞬心臓の音が止まる。

「え…?」

「サッカー部のエースの高橋先輩。クラスのやつに聞いたんだけど、一叶マネージャーやってるじゃん?それで仲良くなったらしいよ」


 何を言われてるのか分からなくて

 「へーそうなんだ」

 としか言えない僕。


 なんで動揺してるのかも分からなくて、

 「それは知らなかったなー」

 としか言えない僕。


「まぁ、聞いたからにはお前に言っておかなきゃなと思って」

 あんまり言いふらすなよ。そう言って、優斗は肉を焼くことにまた集中し始めた。

 遠くの方から一叶がビニール袋を提げて走ってきた。

 彼女の長く艶やかな髪は、相変わらず美しく輝きながら靡いている。

 だがそれを素直に直視できない僕がいるのは、


 本当に何故なのだろうか。

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永眠の虜 針音水 るい @rui_harinezumi02

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