悪魔の壺

天橋文緒

一話完結

題名:悪魔の壺



「近年、原因不明の突然死というものが問題となっています。

 多額の借金を抱えている人が亡くなっているのを、取り立てに来た人間に発見されるというものです。

 この現象が始まった当初は、借金苦による自殺だという見方がありましたが、現在では否定されています」

 テレビ画面のコメンテーターが真面目な顔で語っている。

「さらに、不思議なことに、発見時にはその方の全てのものがなく……」

 突然、ピンポーン、という部屋のチャイムを鳴らす音が聞こえた。

反射的にリモコンでテレビの電源を切る。

「すみません。どなたかいらっしゃいませんか?」

 続いて、物腰の低そうな男の声が聞こえた。

恐る恐る、覗き穴から様子を窺う。

 扉の前には、外回り風の黒いスーツ姿で、整髪剤で丁寧に髪の毛を整えている30歳前後の男が立っていた。

 俺はホッと胸を撫で下ろしつつ、鍵のつまみを回しドアを開けた。

スーツ姿の男がこちらを見て微笑む。

 俺は不機嫌さを隠さず口を開く。

「新聞の勧誘か何か? 金なんて無いから別のとこ行きな」

「私は、新聞の勧誘ではございませんよ。訪問販売を行っております。

 さらに言えば、販売といっても今回お渡しするものに限って代金の支払いはないのです」

「金が要らない? あんた何言って――」

 男は会話をしながら、鞄から壺を出していた。

 その壺を見た瞬間、俺は言葉を失った。

 湯呑み程の大きさで、毒々しい紫色だった。

 そして、目を離す事のできない強烈な魅力。

 この男から奪わなければならない、そう思わせるほどの何かを感じた。

「正直にお話致します。

 これは「悪魔の壺」です。

 私、悪魔なんです」

 スーツ姿の男は当然のように話す。

 確かに、生まれてこのかた感じたことのないものを感じたが、悪魔だというのは信じられない。

 喉から絞り出すように声をだす。

「……冗談は止めてくれ」

「壺にお金を入れて、その後に指を入れてください。

 値段表に書かれている場所へ行くことができます。こちらをどうぞ」

 男は淡々と言い、俺に一枚の紙を渡した。

 その紙には場所と値段が対応するように書かれていた。

 中には目を疑うようなものもある。


「東京   東京タワー  5千円

 アメリカ 自由の女神像 1万円

 ……

 

 異世界         時価

 天国          時価

 ……

 

 地獄          全財産」


 悪魔だという男は話を続ける。

「私ども、悪魔がいる地獄の世界も多様化の時代となりました。

 魂を取る仕事だけでなく、人間の方々からお金を頂くことも生業なのです。

 どこかに移動なさる際、私どもの壺をお使い頂ければ幸いです。

 先ほど申し上げましたように、壺の代金は結構でございます」

「ちょっと待ってくれ、これは本当なのか?」

 俺が慌てて紙から顔を上げると、スーツを着ていた男はいなくなっていた。

一体何だったんだ。

 今のは夢か?

 そう思ったが、手の中の壺と値段表が現実だと告げる。

 玄関のドアを閉め、放心状態のまま部屋の中に入った。

 さっきからバクバクと心臓が脈打って痛い。

 道を塞いでいる幾つものゴミ袋に意識が向かず、足がもつれそうになる。

 居間に入ると、テーブル上の握り潰された空き缶や散乱したつまみの袋を値段表を持っている手で振り払い、床に落とす。

 ゴミをどけてできた空間に、慎重に紫色の壺を置いた。

 額から脂汗が垂れてくる。

「悪魔の壺」をまじまじと見ると、存在が周囲から浮き出ているように感じられる。

 俺はとんでもないものを手にしているのか?

 そう思わずにはいられない。

 この壺が本物かどうか試してみたくなってくる。

 履いているスウェットのズボンポケットから財布を取り出し、中身を見た。

 1万円札が2枚と500円玉が一枚。

 所持金は、2万500円だった。

 金額上、東京タワーとアメリカのどちらでも行くことができる。

 俺は人生で外国に行ったことがないことを思い出し、どうせならとアメリカに行くことにした。

 財布と値段表をポケットにしまう。

 1万円札を指で掴み、壺の中に入れていく。

 興奮からか、畏れからか、指先が小刻みに震えてしまう。

 1万円札が壺に吸い込まれていく。

 壺の真上から中を覗き込むと、そこには深淵が広がっており、入れたはずのお金も無くなっていた。

 これは本物かもしれない。

 俺は覚悟を決め、大きく息を吸い込んだ。

 目を閉じ、指を深淵の中へと入れた。

 次の瞬間――。



 こちらを訝しむような、聞き慣れない言葉が聞こえてくる。

 よく聞くと英語だということが分かる。

 驚いて目を開けると、さっきまでいた俺の家ではなかった。

 色素の薄い肌の金髪の男やソバージュが目立つ茶髪の女といった人達が、俺の目の前に立っていた。

 俺の手には、紫色の壺がある。

 俺に声をかける人たちを見て、それから自然とその奥に立っているものを見上げていた。

 ブロンズの女神像、アメリカを象徴する自由の女神像だった。

 俺は本当にアメリカに来たんだ。

 そのことを噛みしめ、壺をを掲げて叫んだ。

 壺は本物だ。

 悪魔の言葉を思い出す。

「正直にお話致します。

 これは「悪魔の壺」です。

 私、悪魔なんです」

 本当に正直な悪魔だった。

 自然と笑みがこぼれてくる。

 これはいったいいくらの価値があるのだろうか?

 使い方次第では、とんでもないぞ。

 口元を手で覆い、ぶつぶつと独り言を呟く。

 突然、肩を掴まれる。

 先ほど声をかけてきた金髪の男だった。

 唾を飛ばしながら、また何かを話してくる。

 ああ、と一人で納得する。

 小汚いスウェットの男が突然現れたらパニックになるよな。

 さて、どうしたものか、と考え始める。

 そう言えば帰る方法は書いてなかったような……。

 慌てて悪魔の男からもらった紙片をポケットから取り出す。

 隅々まで見て、やっと見つけた。

 料金表の裏面に、目を凝らしてやっと見えるほど小さな文字が書かれていた。

「書かれている料金は往路のみです。

 復路にも同じ料金がかかります。

 また、地獄の場合……」

「……!……?」

「あっ!」

 文字を読んでいる途中で、金髪の外国人が俺の持っている紙を奪う。

 何と言っているか正確には分からないが、お前は何者なんだ、などと言っているのだろう。

 他の外国人たちも、携帯電話のカメラを構えて集まってきている。

 一刻も早く逃げだしたい。

 俺は一万円を取り出して紫の壺に入れ、指を入れた。



 気付くと、自分の部屋に戻ってきた。

 俺はふーっと息を吐いた。

 小さな文字の全部を読む前に紙を無くしてしまったが、問題ないだろう。

 一息つくために、椅子に座った。

 壺をテーブルの上に置き、椅子の背もたれに寄りかかる。

 その時、玄関をドンドンと叩かれる。

 一休みする間もない。

「おい、今日こそは金を返してもらうぞ!

 いるんだろ?」

 扉の向こうから男の低い声が聞こえてくる。

 ガチャ、玄関のドアノブが回り、扉が開き始める。

 えっ、鍵って……、閉めてない。

「悪魔の壺」をもらって浮足立ち、鍵を閉めることを失念していた。

 開いていく扉から、ゆっくりと借金の取り立ての顔が見える。

 俺は焦りつつも、逃げ出す方法を考えていた。

 何も思いつかない。

 取り立ての男が靴のまま部屋に入り、ニヤニヤと笑いながら近づいてくる。

 どうしたら……。

 今後の人生、「悪魔の壺」があれば何とかなる気がする。

 逃げなきゃ、。

 何も考えず、財布の中の小銭を「悪魔の壺」に入れる。

 そして指を入れ――。



 目の前には、「悪魔の壺」を渡してきた悪魔が立っていた。

 相変わらずの黒いスーツを着ている。

 辺りを見回すと、暗赤色の空に黒い雲が浮かんでいる。

 息を吸うと、硫黄と生ゴミが混ざったような臭気を感じる。

 思わず鼻をつまみ、下を向くと漆黒の土の上に立っていることに気付く。

「お客様、地獄にいらっしゃったのですね。

 お渡しした紙はお読みになりましたか?」

 口元を吊り上げ、嫌らしい笑みを浮かべた悪魔は、続けて話す。

「ええと、「書かれている料金は往路のみです。

 復路にも同じ料金がかかります。

 また、地獄の場合、魂を頂きます」

 もちろん、ご存知ですよね?

 まあ、知らなくてもここに来てしまった以上、ルールを守って頂きますが」

 全身の力が抜け、膝から崩れ落ちる。

 帰るためには、魂を渡さなければならない。

 だが俺はあることに気付き、頭を上げ、悪魔に問いかけた。

「復路に魂が必要なら、帰らなければ問題ないよな?」

 悪魔は一瞬、呆気にとられ、おかしそうに笑った。

「お客様、お見事です。

 と申し上げたいのですが、そのようなとんちには意味がございません」

「ど、どうしてだよ」

「人間のあなたが地獄で生きていくことはできません。

 何故なら、地獄のルールで生者は存在することすら許されていないからです。

 そして、そもそも「悪魔の壺」は、あなたのように借金に苦しみ逃げだしたいと思う方々から魂をとるためにあるのです。

 逃げ出したいお客様は、何かのきっかけで藁にもすがる思いでここにいらっしゃる、という仕組みです

 まあ、ほとんどの方が借金取りの方に追いかけられてですが」

 悪魔は俺の指を掴み、壺に近づける。

「お客様の全財産は既に頂いたので、後は壺に触れて肉体を元の場所に戻して、魂を頂きます」

 俺はなんとか振りほどこうとするが、ビクともしない。

 そうだったのか……。

 悪魔と出会う前、テレビのコメンテーターが言っていたことを思い出した。

「さらに、不思議なことに、発見時にはその方の全てのものがなく……」

 泣き叫びながら、声を張り上げる。

「やめてくれ――」

 指が壺の深淵に触れる直前、悪魔が何か呟いたような気がした。



「やれやれ、悪魔が正直な訳ないでしょう」


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悪魔の壺 天橋文緒 @amhshmo1995

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